4.物の価値
"教育は、本は読めるが、読むに値する本がどれか分からぬ人々を大量に作り出した。"という言葉もあるが、似たようなもので、数字の比較はできるが、物の価値を判断することができない人が多く居ると思う。大抵のものについている数字と言えば、もちろん売値である。つまり売値の大小の比較はできるが、それを絶対視しているように感じられる人がいるのだ。
例えば、同じ物ならば消費者は安く購入しようとするのは当然だが、品質の違うものに対して、安いからという理由だけで安い方を買ってしまう人がいる。これはまさに違いが分からないという知識不足から来る行動である。安い方がいいというのは品質が同じであるという大前提に基づいていて、低品質のものが安いことには何の優位性もない。しかし購入者は自分の理解の及ばないそれらを同一とみなし、安い方に優位性を見出す。また、飲食店で食材の原価を考え、高いなどと批判する人もいる。材料費を指して原価と呼ぶのは簡単だが、輸送費や手間賃、料理の技術料や店舗維持費などがかかっているという想像が致命的に足りていないのだ。原価を気にするなら野菜の種でも買って育てればいい。他にも、10円や20円安い程度で遠くのスーパーへ買い物へ行く人達。交通費や時間を費やして得られるのは僅かに安い品物だけだ。普段使う店を利用し続けることが結果的には自分にとってもプラスなことが多い。
こういった値段至上主義のようなものは社会全体に良くない影響を及ぼす。利益を削らなければ客が来ないこと以上の不幸があるだろうか。
しかし彼らは好きで値段至上主義に走っているわけではないのだ。彼らは単に値段以外に比べられるものがないだけなのだ。遠くのスーパーに行くことと近所のいつもいくスーパーに行くことの価値の差が判断できないから、与えられる数字だけが彼らの道しるべとなる。数字の大小の比較は小学校で習ったからできる。でも数字の書いてない物の価値の比較はできない。価値を比較するという発想すらない。文字通り無視するわけだ。
彼らは暗闇の中で日々を生きている。辛うじて見えるのは教育で照らされた数字だけだ。暗闇が見えない限り数字にとらわれてしまう。しかし暗闇を照らすのは心の眼だ。その眼を開けば、薄っすらと世の中が見えるはずだ。私は広い視野を持って日々を生きていきたい。




