中編
バスケ部に所属している加藤くんは、部活中に浮いてしまったら練習や試合はどうするんだろう、とというのが疑問だったんだけど、加藤くんによると部活してるときはバスケに集中しているから浮かないそうだ。
私に告白した日が練習になっても浮いた状態で困った唯一の日だったらしい。
「そうだ、今度の土曜日にこの学校の体育館で丸一日練習試合するから見に来る?」
手を繋いだら加藤くんが浮いてしまった翌日の朝、浮く仕組みがまだ気になっていた私が学校で加藤くんを質問攻めにしていると、そんな提案をされた。
「練習試合って、公式な大会でもないのに、私みたいな部外者が見に行っていいの?」
「うん、大丈夫。よく部員の家族とか友だちとか彼女とか、試合見に来るし。あと、キャプテンは女子にモテるからファンが何人か来たりとか。……それから」
「……何?」
言いよどむ感じにどうしたんだろうと首を傾げると、加藤くんは自信なさげに、でも少し嬉しそうに笑った。
「3年に上手い先輩が多いから公式試合にはなかなか出してもらえないけど、練習ならきっと出してもらえるから、さ」
そっか、つまり今度の土曜日に行けば加藤くんが試合に出てるところを見られるんだ。
「わかった。午前中は私も部活があるから、終わったら行くね。楽しみ!」
非公式の試合かもしれないけど、加藤くんが活躍できますように。
約束の土曜日。部活を終えた私は猛スピードで片付けをして練習場所だった音楽室を出た。
「夏美! 忘れ物!」
廊下を駆け出そうとする私を合唱部の友人の高い声が呼び止めた。
振り向くと、音楽室の入り口から半分体をのぞかせた彼女が持っているのは練習で使った楽譜だった。バッグにしまうのを忘れていたみたい。
「ありがと~。危ない危ない」
「しっかりしてよー。なんかふわふわして浮かれてるっぽいけど。廊下を走って転んだりしないでね」
はい、と楽譜を手渡してくるその友人を、意外な気持ちで私はまじまじと見つめた。
「……どした?」
「私、浮かれてる?」
「うん。普通だったらこんな忘れ物しない。バスケ部だっけ? 彼氏の試合見に行くんでしょ? よっぽど彼のこと好きなんだなって見ててわかるよ。試合勝つといいね」
お礼を言って楽譜を受け取る。
授業がない晴れた昼の校舎に、明るい太陽に光が差し込む。私は静かな廊下を体育館に向かっててくてくと歩いた。
自分ではそんなつもりはなかったけれど、はたから見ると浮かれていたのかな。
「よっぽど彼のこと好きなんだな」って、そういうふうに見られてたのか。
落ち着こうと思ってとりあえず走らずに廊下を歩いてみるけど、それとは逆に心のほうはうきうきして、それこそ浮かれたような気分になってくる。
そうだ、私、加藤くんが好きなんだ。
思わず頬が緩んで、ふふっと笑みがこぼれた。
私はスキップしたい衝動を抑えて小走りで、校舎のすぐ横の体育館に入った。
早く加藤くんの姿を見たい。ていうか会いたい。
けれど、私の浮かれた気分は数分後にはすっかり消えてしまった。
加藤くんが言っていた通り、体育館の中には試合を見に来ている人が2階のギャラリーにちらほらといた。
誰かの親かなーという人もいれば、おそらく加藤くん情報による「キャプテンのファン」たちと思われる、数人の女子生徒も試合を見ている。
そんなに大きな体育館ではないから通路も細い。
私は空いているスペースを探して手すりから少し身を乗り出した。
ざわざわしている1階では今まさにゲームの真っ最中だった。
うちの中学のバスケ部と、相手はどうやら隣りの市の中学校。
点数を見ると、私の学校が勝っていた。
加藤くんはどこにいるんだろう。まず、ベンチにいる生徒たちを1人ずつ見ていく。それぞれ今試合に出ている選手たちを声をあげて応援している。けど加藤くんっぽい人は……いない。
ということは、と試合に出ている私の学校の選手5人を、目をこらして見てみる。
まず、手を上げて合図を送りながら走ってる男子は、違う。相手チームのボールを今奪った人も、違う。その人からボールをパスされた人は……。
その見慣れた男の子がドリブルで素早くボールを運んでいく姿に、おお~、と周囲で小さくどよめきが起こった。
加藤くんは小柄だからああやって人の間をすり抜けていくのが得意なのかな。
加藤くんが持っているボールはゴール下にいた選手がパスを受け取って、流れるようにシュートを決めた。
ギャラリーからまばらに拍手や歓声があがる。
私は、今の加藤くんのかっこいい姿を目に焼き付けておこうと、手の甲で汗をぬぐっている彼を黙って見ていた。
ふいに、加藤くんがギャラリーのほうに目線を向けた。
距離があるから私のことが見えているかわからないけど、目が合ったような気がした。と思ったとき、加藤くんがこちらに向かって軽く片手を上げた。
やっぱり目、合ったよね。嬉しくなって、小さく手を振り返す。
そこまでは何も問題なかったんだけど。
私はその光景に、手をぴたりと止めた。大変だ。
試合中なのに、加藤くんが浮いていた。それも数ミリとかじゃなくて、かなり高く。
自分の部屋のベッドで毛布を頭まで被ってうずくまっていると、ドアが開く音がした。
「夏美、ごはんだよ……って、どうしたの? 具合悪い?」
心配そうなお母さんの声に、私はのろのろと起き上がって毛布から顔を出した。
ううん、何にもないよ。すぐ行くね」
「そお? でも元気ないわよ。何かあるなら相談しなさいね」
優しくそう言われてちょっぴり泣きそうになるのを抑えて私はうなずいた。
お母さんが出て行ったドアをぼんやりと見つめる。
リビングではテレビがついているみたいで、騒がしい音が静かなこの部屋にもかすかに聞こえてくる。
私は大きくため息をついた。
試合、見に行かなきゃよかった。
そう思ったとき、枕もとに投げ出していたスマホが鳴った。
画面を確認して、電話をかけてきた相手の名前に私はうつむいた。
なんで電話してくるんだろう。通話ボタンを押して、なんて言えばいいんだろう。
それでも重い手を動かしてスマホを手に取り、電話に出た。
「……もしもし」
「もしもし、村田さん?」
いつもと変わりない加藤くんの元気な声が、つらかった。
「今日、試合見に来てくれたでしょ。ありがと……」
「ごめんなさい!」
「……え?」
まだ言い終わらないうちに被せて私はスマホに向かって叫んでいた。
相手が電波の向こう側で戸惑っているのが伝わってくる。
「な、なんで謝るの?」
「……浮いたでしょう。それで、試合にならないから選手交代になっちゃったでしょう」
絞り出した声はそんなつもりはなかったのに震えている。
加藤くんはあのあと、浮いた状態が続いてどうしようもなかったから、ベンチに戻されてしまった。
そんなアクシデントさえなければ、あのまま試合に出られていただろうに。
「あー、あれはカッコ悪いとこ見せちゃったけど、別に村田さんが謝るようなことは何もなくない?」
「だって、私のほう見てたときに浮いたじゃん」
少しの間、加藤くんがくちごもる。なんとも言えない沈黙がしんどい。
「……それは、えーと、村田さんが来てくれたのが嬉しかったから。普段はめったに浮いたりとかないんだけど」
「じゃあ、やっぱり私、行かないほうがよかった。私が行かなきゃ加藤くんあのまま試合出られたってことだし、こんな迷惑かけなかったもん。本当にごめんなさい」
「村田さん? 俺そんなつもりで言ったんじゃ……」
逃げるようにして電話を切った。
悪いのは私なのに、責めるような口調で謝ってしまった。
それもなんだか申し訳なくて、もやもやした気分でベッドに倒れこんだ。
思い返せば試合だけじゃない。授業中とか街中とか、私と一緒にいて浮いたことが何回もある。そのたびに私は加藤くんに迷惑をかけているんじゃないだろうか。
「ちょっとー、夏美? ごはんって言ったでしょー」
ドアの向こうから困ったようなお母さんの声が聞こえた。
月曜日、登校した私が下駄箱で上履きに履き替えていると、後ろから話しかけられた。
「むーらーたさんっ」
「うわっ」
突然だったから肩をびくりと跳ねあがらせてしまう。
振り向くと、松本くんがにこにこと笑って立っていた。
「おはよー」
「お、おはよう。びびびっくりした……」
「いや、驚かせるつもりで近づいたけど、びっくりしすぎじゃない?」
松本くんが自分から話しかけたくせに困った顔で私を見る。
そんなこと言われても。加藤くんだったらどうしようと思ったのだ。
一昨日なかば強引に電話を切ってしまったわけだし、今日会えば絶対に電話について何か言われるに決まっている。
ひとまず加藤くんじゃなかったからセーフだけれど、彼とは同じクラスだから遅かれ早かれそのときはやって来るだろう。
松本くんが私の浮かない表情に気づいているのかいないのか、のんびりとした口調で話を続けた。
「ところで村田さん、涼太となんかあったんだろ?」
「! なんでそれ知ってるの」
「あ、本当にそうなんだ。涼太がさっきからあそこで村田さん見ながらこそこそしてるから」
そう言って松本くんが下駄箱の裏に回った。
「え、ちょ、まっちゃん」
「ほらー、喧嘩したのかなんなのか知らんけど、何か言いたいことあるならさっさと言っちゃえよー」
「喧嘩はしてない、けど……」
彼が無理やり腕を引っ張ってきたのは不機嫌そうにごにょごにょとつぶやく加藤くんだった。
私の前に押し出されて、隠れていたのがきまり悪いのか私の視線を避けるようにうつむいた。
私たちの低いテンションとは裏腹に元気な松本くんが、私と加藤くんの背中を1回ずつ叩いた。
「よくわかんないけど何事も話し合いが大切だよ!」
この……松本くんのおせっかい。
遅かれ早かれどころか、登校して早々、気まずいタイミングはあまりにも早く訪れた。




