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そして、日を追うごとに毒は拡がっていった。
朝、登校してみれば、ボクの上靴には針山のように裁縫針が突き刺さっていて。
体育着は、ご丁寧に袖と襟の部分が縫い付けられ、腕と頭が通せなくなっていて。
教科書を広げようとすれば剃刀が仕掛けられていて、指を切った。
それでも、ボクは学園に通い続けた。イタズラをしている人が、何を考え、どうしてこんなことをするのかはわからない。だけど、ボクが学園に来なくなったら、柚乃ちゃんたちに余計な心配をかけるだろうし、何よりイジメに屈することになる。
それだけは、どうしても嫌だった。
ボクだって、あの頃の自分とは違うから。
さすがにお弁当のショックは大きかったけど、それ以外のイタズラなんて、いかにも子供じみたものだった。こんなの、あの頃と比べればどうってことない。それに、今のボクには友達がいるから。
柚乃ちゃん、円ちゃん、宮帆ちゃん、笹垣さん、鈴波さん――それに、二葉先輩。
もうボクは一人じゃないから。
「楽しみだね、珠ちゃんっ」
クリスマスプレゼントを開ける子供のような笑顔を浮かべながら、隣で歩いていた柚乃ちゃんが声を掛けてくる。
「うん。それにしても、よくこんな早く出来たね」
前を歩いている二人に向けて言うと、鈴波さんが振り返った。
「私たち、裁縫が好きですから。それに、今回は自分たちも舞台に出るし、気合が入ってしまって」
恥ずかしそうに少し頬を赤らめながら話す。
学園祭を一週間後の土曜日に控えた、金曜の放課後。ボクたち二人の衣装も出来たらしく、今日は練習の前に出演者全員で衣装合わせをしようということになっていた。ロミオの恋敵であるパリス役や、ジュリエットの乳母役など、他の脇役を含めた総勢十人が、ぞろぞろと廊下を歩く。
「いや、ほんとすげーよ。あたしにはそういうの絶対ムリだし」
「円ちゃんには誰も期待してないから平気だよ~」
声がして振り返ると、後ろではちょうど宮帆ちゃんが円ちゃんにこめかみをぐりぐりとされているところだった。宮帆ちゃん、悪気があって言ったわけじゃないんだろうけど、割と天然だからなぁ。
「よいしょっ……と。はい、じゃあ自分の受け取ったら、それに着替えてみてね。サイズが合わないとかあったら、遠慮なく言って」
衣装を保管してあった家庭科室に着くと、ロッカーから大きなダンボールを出してきた笹垣さんが、みんなに告げる。
そして、ダンボールから衣装を出すと、名前を呼んで衣装を渡していく。衣装を渡された人たちは、目の前でそれを広げながら、目を輝かせて着替え始める。さすがに色々とまずいので、ボクは体育のときと同様、周りを極力見ないようにしながら、自分の衣装を渡されるのを待った。……渡されたら、いつも通り端っこで着替えよう。
「あら? おかしいわね……」
そんなことを考えていると、笹垣さんが眉根を寄せて呟いた。
「どうしたの?」
「え? あ、うん。それが、近衛さんの――ロミオの衣装がないのよ」
ダンボールを覗くと、そこはすでに空になっていた。
嫌な予感が、身を震わせた。
「ど、どこかに置き忘れたとか……じゃ?」
「そんなはずないわ。だって、衣装は全部ここで作ったんだもの。それに昨日、一番最初にダンボールに入れたのよ? ちょっと待ってて。他のロッカーも見て――」
言って、笹垣さんが身を翻したとき。
「きゃあ――――っ!」
家庭科室に、耳をつんざくような声が響いた。
「未紗っ!? なに、どうしたの!?」
慌てて、笹垣さんがロッカーの前にいた鈴波さんの元へ駆け寄る。
その状況を半ば予想していたボクの足が、小刻みに震え始める。
「あ、あや、絢芽ちゃん……」
青ざめた顔で、鈴波さんが振り返る。
「だから、どうしたの? 一体、何が――」
そして、ロッカーを見た笹垣さんの表情までもが凍りついた。
ロッカーの中には、ズタズタに切り裂かれたロミオの衣装があり、ロッカーを開けたときに落ちたのか、鈴波さんの足元にはパソコンでプリントアウトされた紙があった。
小さい文字が整然と並ぶそれを拾い上げ、笹垣さんが静かに読み上げる。
「――学園祭の劇を中止しろ。さもなくば、舞台に姿なき死神が舞い降りるだろう」
教室が、深夜の墓地のような沈黙に包まれる。
それは、誰が見ても明白なまでの脅迫状だった。
「珠ちゃん……」
隣でジュリエットの衣装を片手に抱えた柚乃ちゃんが、青白い顔でボクの服を掴んでくる。
「そんな……無理よ、こんなの。だって、ここは授業と部活のとき以外は鍵が掛かってるのよ……? 誰かが忍び込んでこんなこと、出来るはずないわ……」
脅迫状を持った笹垣さんの手が震えていた。
「ふ、深町さんの衣装のボタンがほつれてたから……私、その、直そうと思って、裁縫道具のあるロッカーを開けたら……これが……」
気の毒なほどに、鈴波さんは怯えきっている。
だけど、それは誰もが同じだった。ただ一人、円ちゃんを除いて。
「ちっ」
空気が震える。
円ちゃんは静まり返った教室をずかずかと横切ると、そのまま笹垣さんの手から脅迫状を奪い取り、くしゃりと握り潰した。
「気にすんな、こんなの単なる質の悪いイタズラだろ」
振り返り、みんなに向けて言う。
だけど、円ちゃん以外の人間は、そうは思っていないようで「でも……」とか「やだ……なにこれ……」という呟きが耳に届いてきた。
「おい。まさか、こんなもんのために劇を中止するとか言い出すんじゃないだろうな?」
「円ちゃん……気持ちはわかるけど落ち着いて? ね?」
呟きの主を睨みつけながら言う円ちゃんを、宮帆ちゃんが宥める。それにもう一度舌打ちして、円ちゃんは顔を背ける。
「くっそ……誰だよ、こんなふざけたことしたヤツ」
手の中の紙を力強く握り締めながら、忌々しそうに円ちゃんが呟く。
その声を聞きながら、ボクは震える体を止められずにいた。
(ボクのせいだ……ボクの)
ぎり、と奥歯が鳴る。
間違いない。この脅迫状はクラスのみんなに宛てられたモノではなく、ボク個人に向けて書かれたモノだ。そうでなければ、切り裂くのはロミオの衣装でなくてもよかったはずだ。だけど、切り裂かれていたのは、ダンボールの一番下に入っていたはずのボクの衣装だった。そんな面倒なこと、わざわざする必要はない。
それが意味することは、一つしかなかった。
(なにも、こんなっ……みんなを巻き込むなんて……!)
知らず、拳を握りしめていた。
「珠、ちゃん……?」
そんなボクの様子に違和感を覚えたのか、隣にいた柚乃ちゃんが不安げな目で見上げてくる。その、ボクの制服を握った手を静かに振りほどき、家庭科室の出入口に向かって歩き出した。
「珠ちゃん!」
ドア枠に手をかけて、振り向く。
「……ごめん。ボク、今日は帰るよ。ほら、これじゃ衣装合わせ出来ないし。……本当、ごめんね」
それだけ言い残して、廊下に出る。
「珠ちゃん! 待って、こんなの珠ちゃんが気にすること――」
柚乃ちゃんの声が背中に掛かる。だけど、ボクはその声を最後まで聞くことなく、教室のドアを閉めて歩き出した。
(許せない……許せない! どうして、こんなこと!)
怒りを込めて足を突き出しながら、昇降口へと出る。靴を履き替え、校門のところまで歩みを進める。
だけど、そこで足が止まった。
イジメに負けたくない。みんなに心配なんてかけたくない。腫れ物に触れるように扱われるのは、もう嫌だ。
(でも――)
また、壊れる。壊されてしまう。
――ボクのせいで。
(どうすれば、いいの……)
校舎を振り返って、特別教室棟を眺める。
生物室の窓は、暗幕で閉ざされていた。




