3-4
「どうにかならないんですかっ」
翌日の生物室、ボクはイスから立ち上がって机を叩きながら、二葉先輩と向かい合っていた。
「……そう言われてものぅ」
「先輩なら柚乃ちゃんの心を治してあげるくらい、出来るでしょっ!?」
「……あのな、わらわはネコ型ロボットではないんじゃぞ。ただの妖怪じゃて」
「茶化さないでくださいっ!」
もう一度、机を思い切り叩く。
「あーもー鬱陶しい……」
それに先輩は頭をわしゃわしゃとかき乱し、大きく溜息を吐いた。
「大体、柚乃じゃったか。その娘、最後までされてしまったわけではないんじゃろ?」
「……そうですけど」
柚乃ちゃんの話だと、どうやらすんでのところで、たまたま通りがかった笹垣さんに助けられたらしい。
――あたし、前に絢ちゃんに助けられたことがあって。
あれはきっと、そういう意味だったのだ。
そうして、その教師は学校を解雇され、警察に逮捕された。柚乃ちゃんは知らなかったらしいが、他にも被害にあった生徒がいたと聞かされたそうだ。その分では、柚乃ちゃんは運が良かったんだと思う。
でも――。
「だけど、襲われて傷ついたことには変わりないじゃないですか!」
「ええい、やかましいっ。そんなことは十分承知しておるわ! 少し黙らんかっ!」
まだ言いたいことは山ほどあったけど、仕方なく口を閉じる。
「……まあ、いい機会じゃし、おぬしにも教えといてやるわい」
そう言うと、先輩はイスから立ち上がり、試験中の教師みたいに机と机の間を歩き始める。
「確かにわらわは効能高い薬を作り出すことが出来る。じゃがな、表面の傷は治せても、心に付いた傷までは治せんのじゃ。いや……正確には、一時的に精神を侵す毒素を減少させられるんじゃが――」
「なら、それを……っ」
「話は最後まで聞けというに。わらわが出来ることは、あくまで一時的なものじゃ。それをやったとしても、原因となるものや記憶を取り除けるわけではない。わらわが吸い出せるのは、増えすぎた心の毒――つまりは、感情という名の毒素だけじゃからな。むしろ、それがわらわの本来あるべき姿じゃ」
言葉の意味がよくわからず難しい顔をしていると、先輩は小さく息を吐いて、出来の悪い生徒を見る教師のような顔で微笑んだ。
「わからんか? 要するに、ここで言う毒素というのは、心の『がん』じゃ」
「がん、ですか?」
言うと、先輩は満足げに頷く。
「うむ。がんがすべての臓器や組織に発生するように、人の心も常に狂気を孕んでおる。信頼、懸念、緊張、悦楽、友情、愛情――。程良い量ならプラスに働くことも、行き過ぎれば容易く裏返る。信頼は疑心に、懸念は恐怖に、緊張は失態へと繋がり、悦楽は堕落と成り下がり、友情や愛情は依存や憎悪へとすり替わる。そして、一度それに囚われてしまえば、どんなに善いことでも負の感情に引きずられてしまう。それが、人間というものじゃ」
そこまで一息に言い終えて、先輩は静かに目を閉じる。やがて開いた目には、ほんの少しだけ翳りがあった。
「わらわの一族は、そういったモノを喰らい、奪い、時には人を助け、時には」
先輩の視線が、ボクを射抜いた。
「――人を、殺めた」
ぞくりと、何かが背筋を駆け上がる。
その先輩の瞳は、刀の切っ先のように冷たい光を放っていた。
「あ……」
指先が震え、言葉がうまく出てこない。
先輩はそんなボクから視線を外し、窓際まで行くと、そこから部活をする生徒たちを見下ろした。
「は、元気なことじゃのう」
その声は、どこか自嘲するような、それでいて目の前の誰かを羨望するような響きがあった。
「……生活習慣とがんの間に相関があることは知っておるな?」
やがて窓枠に背中を預け、先輩は腕を組みながらボクに訊いてくる。
「は、はい。喫煙とか飲酒とか……肥満も、ですよね」
「そうじゃ。そして、心の毒にもそれは言える。その者の過去の出来事や環境は、感情を暴発させる引き金にもなる。じゃが、がんと決定的に違うところは、それが単なる要因だということじゃ。結局のところ、原因を活かすか呑まれるかは、そやつ次第なんじゃて。わらわが毒を取り除いたとしても、その者の心が弱ければ、また同じ状態へと戻る。……悪循環じゃ」
先輩の周りを赤い光が包み込み、逆光で表情が見えなくなる。
ボクはそれに戸惑いながらも、なんとか浮かんだ疑問を口にした。
「毒を活かす……? そんなこと出来るんですか?」
「出来る。彼の有名な医師であり、錬金術師でもあるパラケルススとて『毒は薬なり』と言っておるわい」
れ、錬金術師? そんなの本当にいたんだ……。
「そもそも、毒と薬は表裏一体なんじゃ。薬も過ぎれば毒となり、毒も使い様によっては薬になるものもある。そう、すべては可能性じゃ」
「可能性……」
「そうじゃ。歴史の授業で阿片戦争を習ったじゃろ。あの阿片が、麻酔薬のモルヒネになることは言わずもがなじゃな」
そういえば、聞いたことがある。アヘンってケシの実から取れる粉末で、モルヒネが大量に含まれているのと同時に、常用すれば中毒になる麻薬だって話だ。
「それだけではないぞ。この前、おぬしに取りに行かせた鈴蘭じゃがな、かつては薬としても使われておったんじゃぞ?」
「え、そうなんですか?」
「うむ。鈴蘭の全草に含まれる成分は毒性があるが、同時に強心配糖体も持っておるんじゃ。根と根茎を乾燥させた生薬は鈴蘭根といっての、強心利尿薬として使われていたこともある。まあ、扱い方が難しいらしく、今じゃ使われてはおらんがの」
思わず、感嘆の息が漏れる。
先輩は「よっ」と言いながら体を起こし、再びボクの方へと歩いてくる。その目には、もう翳りも、冷たい光も浮かんではいなかった。
そこで、ある疑問が湧いた。
「あれ? でも、確かあのときラベルに傷用って……」
「ん? ああ、わらわは体内で毒の成分を自由に操れるからの。こういうところでは、強心剤なんぞより、傷薬の方が需要があるじゃろ?」
な、なんてデタラメな人なんだ……って、ああ、妖怪なんだっけ。
それにしても、スズランなんて観賞用の花としか思っていなかったのに、まさか毒があるだけじゃなく、薬としても使われていたなんて思いもしなかった。
「それが先輩の言う可能性……ですか」
「そうじゃ。それにの、出来ることなら、わらわはあんまり人の毒素は吸いとうない。わらわが毒素を奪ってやることは簡単じゃが……なるべくなら、自分で気付き、毒を出す努力をして欲しいんじゃ。それが、人としての成長というもんじゃろう?」
なんて、先輩は今まで見たことがないような優しい笑みをボクに向けてきた。
やっぱり、二葉先輩は卑怯だ。
そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまう。
「すみません。……今日は、失礼します」
言って鞄を持って生物室を出る。
先輩も、それを止めようとはしなかった。
「……まったく、難儀なことじゃの」
ただ、ドアを閉める直前に、そんな誰に向けたともわからない呟きが背後から聞こえてきた。
(あ……そういえば、明日数学のプリント提出しなきゃなんだっけ)
生物室を出た後、ボクはプリントを机の中に入れたままだったのを思い出し、教室へと向かった。
「あれ?」
教室のドアを開けると、そこには柚乃ちゃんが窓際にぽつんと座って、外を眺めていた。
「柚乃ちゃん? どうしたの?」
「あ……珠ちゃん……」
柚乃ちゃんは、ボクに気付くと立ち上がり、ゆっくりと近付いてくる。
「一度は帰ろうとしたんだけどね、やっぱりなんか珠ちゃんがいないと不安で……ここにいれば珠ちゃん来てくれるかなって思って、戻ってきちゃった」
えへへとはにかみながら、柚乃ちゃんはボクの目の前までやってきて、音もなくボクにもたれかかってきた。
「ゆ、柚乃ちゃんっ?」
一瞬、どきりとしてしまったけど、次に出た柚乃ちゃんの言葉で、ボクの肩から緊張がすっと抜けていった。
「……ごめんね、ヘンなことばっかり言って」
「柚乃ちゃん……」
ボクの胸元に頭をちょこんと当てた柚乃ちゃんの肩に手を置く。
「ね、もう謝るのやめにしない?」
「え?」
その言葉に、柚乃ちゃんが顔を上げた。あまりにも距離が近すぎて、ボクの顔はきっと恥ずかしくて赤くなっているだろうけど、構わずにボクは続けた。
「だ、だって、ほら……あや、謝ってばっかりじゃ……楽しくないでしょ? せ、せっかく、柚乃ちゃんと、その……仲良くなれたんだから……やっぱりボクは、えっと……笑って過ごしたい、かな?」
悲しいくらいにしどろもどろになってしまったけど、それでも言いたいことはちゃんと言えた。
「珠ちゃん……」
それを聞いた柚乃ちゃんは、またもボクの胸元に顔を預け、すんと一度鼻を鳴らした。
「うん、ごめ……じゃないや、ありがと」
「……うん」
そうして、少しの間ボクらはそのままでいた。
やがて、柚乃ちゃんは落ち着きを取り戻すと、顔を上げて「むんっ」と言い、
「よっし、復活っ。珠ちゃん、部活終わり? だったら、一緒に帰ろっ」
と、いつもの調子でボクに笑顔を向けてきてくれた。
不覚にもそれに鼓動を速めてしまったボクは、柚乃ちゃんの顔から視線を逸らしながら、自分の机に向かって歩き出した。
「う、うん。あ、あのボク……ちょっと、数学のプリント取ってくるから、待ってて」
今はまだ空元気かもしれないけど、柚乃ちゃんは明るい声で「はーいっ」と返事をしてくれる。
……そうだ。薬で心の傷が癒せないなら、ボクが柚乃ちゃんの心の傷を癒してあげればいい。それがボクに出来るかどうかはわからないけど、可能性はゼロじゃない。
そんなことを考えながら、少し笑っている自分に気付き、ボクはなんだか温かい気分になりながら自分の机の中に手を入れた。
「ひ――――っ!?」
だけど、そんな気分は一瞬にして吹き飛ばされてしまった。
「? どうしたの、珠ちゃん?」
「な、なんでもないよっ。す、すぐ行くからっ」
近付いてこようとする柚乃ちゃんを、声で制する。
だって、こんなの絶対に見られるわけにはいかない。
(なに……っ、なにこれ……っ?)
指先に、手の平に、ぬるりとした弾力のある感触。
慌てて手を引っ込め、固唾を呑んで中を覗くと、そこには。
(い、糸こんにゃく……っ?)
机の中はびっしょりと湿っていて、教科書やプリントの上に糸こんにゃくが無造作に撒かれていた。
(これって……そんな……)
こんにゃくの感触と、嫌な想像で身震いする。
(なんで……)
なんで? そんなの考えるまでもない。
ここまで明確な悪意に気付かないほど、ボクの神経は図太くない。
これは、イジメだ。
「っ……」
途端、呼吸が苦しくなり、手足が震え始める。
「珠ちゃん……? ほんとに、どうしたの?」
でも、それを柚乃ちゃんに気付かせたらダメだ。
柚乃ちゃんがイジメに気付けば、彼女の性格からして犯人を探し出し、糾弾するだろう。そんなことをしたら、今度は柚乃ちゃんがターゲットにされかねない。
(そんなの……ダメだっ!)
「な、なんでもないよっ。行こっか?」
くるりと柚乃ちゃんを振り返ったときには、ボクはもう笑顔を取り戻していた。
「え? そ、そう?」
「うん。ほらっ、暗くなっちゃう前に帰ろ?」
言って、ボクは濡れていない方の手で柚乃ちゃんの腕を掴み、足早に教室を去る。それに、なんとなく納得のいかない顔をしている柚乃ちゃんを昇降口まで連れていくと、ボクは「あ! ご、ごめん! ちょっとお手洗い行ってくるね!」と言い残し、教室に戻って机を空にすると、そのままトイレのごみ箱に糸こんにゃくを捨てた。
「はぁっ……はぁっ……、っ……は」
どくんどくんとうるさい心音と、鐘の音のように響いてくる頭痛を追い払いながら、ボクはトイレで何度か戻し、ぬめりが消えるまで何度も何度も手を洗った。
(やだ……嫌だ! お願い、もうやめてよ……!!)
過去に聞いた笑い声と、ひそひそ声が頭の中に鳴り響く。動けなくなってしまったボクはトイレの個室に閉じこもり、震える指でメールを打った。
『具合が悪くなったから、保健室に寄って帰ります。ごめん、今日は先に帰ってて』




