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結果的に部活が休みになったことでなんのお咎めもなかったわけだけど、一時間後のボクは、やっぱり部活をやっていた方がよかったかもしれない、なんて思い始めていた。
この前の中庭での出来事のせいで、笹垣さんたちとボクの間には微妙な空気が漂っていたけど、そんなのはお構いなしに柚乃ちゃんが次々と会話を広げていくものだから、それも時間が経つうちに霧散していった。
だから、それはいい。
問題は、どうしてボクが男子禁制の花園――いわゆる、ランジェリーショップにいるのかということだった。
「どうしたの、近衛さん? さっきから挙動不審だけど」
「え!? ど、どうもしないよ!? あー、あれかわいいなー!」
背後にいた笹垣さんからいきなり声をかけられ、ボクはそんな思ってもないことを口にしながら遠くにあったブラに駆け寄っていく。ああ、しにたい。
「へー、珠ちゃんそういうのがいいの? ちょっと意外ー」
「そうね。近衛さんって、もっとシンプルなのが好みかと思ってたわ」
「えっ、そ、そうかなぁ? そ、そんなことないよ? あは、はは……」
言われて手元を見てみれば、そこには星マークが全体的に散りばめられた可愛らしいデザインのブラジャーがあった。消えたい。
「でも……残念ですね。近衛さんのサイズのものは、ないみたいですよ?」
横からメガネの位置を直しながら、ひょっこりと鈴波さんが顔を出して言ってくる。
「あ、あはは、そうみたいだね! 残念残念~っ」
ボクは慌ててブラを元の場所に戻しながら、別の場所に移動しようとする。
正確にいえば、みんなと離れようとしていた。なのに、どうしてか柚乃ちゃんたちは周りを見回しながら、ボクの後ろをついてくる。
「あ、あの柚乃ちゃんっ!? じ、自分の探さなくていいの!?」
「うーん、探してるんだけど、あんまりいいのが見つからないんだよねー」
スタッフ! 彼女にオススメのものを! 急いで!
ボクは一刻も早く、この桃色ラビリンスから脱出したいんだから!
「……というか、近衛さん。本当に挙動不審よ、あなた」
右手と右足を一緒に出しながら歩くボクを見て、笹垣さんが訝しげな視線を送ってくる。そりゃ、そうだ。
「近衛さん、あんまりこういうところ来ないんですか?」
両手でカゴを持ちながら、鈴波さんが首を傾げる。
「こ、来ないわけじゃないんだけど……その……いつも妹と一緒だから……」
そう。ボクは着けたくて着けてるわけじゃないけど、女性物の下着を装備している。マンガとかだったら笑っておしまいだけど、現実はそうもいかない。ボクにとって、それはどうしても必要なことだから。
もちろん下は男物のボクサーブリーフだし、アクシデントがあっても見られないように、制服のスカートは膝丈にして、さらに中にはトレーニング用のショーパンを穿いている。夏場はさすがにちょっと暑いけど、背に腹は代えられない。
「わ、珠ちゃんって妹さんいたんだ? ねえねえ、どんな子どんな子っ?」
それを聞いて、柚乃ちゃんは目を輝かせながら顔を寄せてくる。
「ど、どんな子って……その、普通の子だけど……」
柚乃ちゃんより少しだけ身長が高いボクは、顔だけを仰け反らせるようにしながら答える。
「むーっ、それじゃわかんないよっ。ねねっ、かわいいのっ?」
「そ、そんなの、身内のボクがわかるわけないって。でも、まあ……無邪気で元気よくて……その、頼れる子……かな」
ボクをここまで完璧な女の子に仕立てあげてくれたのは、親でもお医者さんでもなく、妹の柑奈だった。
初めてランジェリーショップに連れてきてくれたのも、女の子らしい服を選んでくれたのも、自分でもまだよく知らないメイクを必死で覚えて教えてくれたのも、全部柑奈だ。だから、ボクは柑奈にだけは頭が上がらない。というか、柑奈がいなかったらと思うと、ぞっとする。
「……うん。すごく、いい子だよ」
そんな柑奈のことを思い出していたからか、ボクの乱れていた心は、いつの間にか落ち着いていた。
「わぁ、仲いいんだねっ」
「あ、うん……ま、まあ……」
だけど、やっぱりそんな面と向かって言われたら恥ずかしいわけで。ボクは頬をかきながら曖昧に笑った。
「へえ、近衛さんの妹さんかぁ。ちょっと見てみたい気もしますね」
そう鈴波さんが呟くと、隣で柚乃ちゃんがポニーテールを跳ねさせながら頷いた。
「うんうんっ! そうだっ! ね、珠ちゃんっ、今度妹さんに会わせてよっ」
「え、ええっ?」
「ああ、それなら学園祭に招待すればいいんじゃないかしら? それなら問題ないでしょう」
「ああもう……笹垣さんまで……」
項垂れて溜息を吐くと、笹垣さんはくすくすと小さく笑った。
「ごめんなさい、ちょっといじめすぎちゃったかしら。でも、せっかく劇をやるんだから、一人でもたくさんの人に見てもらいたいじゃない?」
それに、柚乃ちゃんが「だよねーっ」と満面の笑みで同意する。
だけど……困った。いや、柑奈はボク以上にボクのことを『女の子』として扱ってくれているから、秘密がバレることはないだろうけど……。
「……うん。そう、だね。帰ったら、誘ってみるよ」
でも、ここのところずっと劇の練習やら部活やらでごたごたしてたから、柑奈をあんまり構ってあげていなかった気がする。だから、それくらいはいいんじゃないかって、そんな風に思った。
「ほんとっ? やったー、すごい楽しみっ」
それに柚乃ちゃんはこっちが恥ずかしくなるくらいの笑顔を浮かべ、鼻歌を奏でながら、再び下着を物色し始めた。
(……あれ?)
そのとき、ちらりと見えた鈴波さんの表情が気になった。それは、どこか冷たく硬くて。そう、それはこの前、花壇の前で見せた――
「あ、これ珠ちゃん似合いそーっ。……あれ? そういえば、珠ちゃんってサイズいくつなの?」
そんなことを思い出していたら、いきなり柚乃ちゃんがボクの目の前に何かを差し出してきた。ドット柄の生地と小さいリボンで視界が埋め尽くされる。
「う、うわっ!?」
「ん? どうしたの?」
「う、ううん……なんでもない……」
びっくりした……。やっぱり、こういう店はボクみたいな健全な男子には毒だ。
「そういえば、珠ちゃんってサイズいくつなの?」
「ぁ……えっと……き、91のF……」
「うわ、うらやましいっ! あたしなんて、82のCだよ? うー、珠ちゃんくらいとは言わなくても、もう少しだけでいいから欲しいなぁ……」
そ、そうかなぁ? ボクはそれだけあれば十分だと思うんだけど。っていうか、好きな女の子より胸が大きいボクって……。
「ねっ、折角なんだし、これ合わせてみたら?」
「え、ええっ? ボ、ボクはいいよ」
そうそう。ボクのなんて、そこら辺の百円で売ってるのだっていいくらいだ。だって、ボクの下着姿を見る人なんて、後にも先にも柑奈くらいだろうし。
「いいからいいからー、ほらほらー」
「えっ、えっ、ちょっ……柚乃ちゃんっ……」
ボクの意見なんか聞かず、柚乃ちゃんはぐいぐいと試着室までボクを押していく。
思わず助けを求めて笹垣さんたちの方を見るが、笹垣さんだけじゃなく鈴波さんまで「いってらっしゃい」なんて笑いながら手を振っていた。
……うん、さっきのは気のせいだったみたいだ。
「ランジェリーショップに来て、一着も買わないだなんて、女の子として失格だぞっ」
「わ――!?」
なんて油断した瞬間、ボクは柚乃ちゃんに押されて試着室に入ってしまった。右手には、柚乃ちゃんが渡してきたブラとショーツ。
ど、どうしよう……。
(む、無理無理! う、上はともかく、下は試着なんて出来ないよっ)
でも、外には柚乃ちゃんが待機していて、逃げ場はない。
(ぎゃー。柑奈、助けてえ……)
心の中で助けを叫んでみるけど、この場に運良く柑奈が現れるはずもなかった。
「しょうがない……。よし、ボクも男だ」
気合を込めて言うと、しゅる、という衣擦れの音を立てて制服を脱いでいく。
というか、男だから嫌なんだけど。
「上だけ着けてみて、下は手で持って合わせるだけにしよう」
もっと、ダメなやつだった。
まあ下はともかく、買うなら上だけは着けてみた方がいいだろうし。
「ん……っと。あ、でも結構いいかも」
渋々と着けたブラは、だけど思いの外、着け心地がよかった。確かに、今のよりは値段も張るだけのことはある。
「でも、これセットなんだよねぇ」
正直、下はいらないんだけど、仕方なく手で持って合わせてみる。
……うん、まあ……かわいい、のか?
なんてことを考えていると――
「もういいー?」
という声がして、後ろのカーテンからぴょこんと柚乃ちゃんが顔を出した。
「△※■○×♂◆――――――っ!?」
自分でも信じられないくらいの速さで、ボクはその場でしゃがんで体を縮みこませる。
「ど、どしたの、珠ちゃん……?」
「だ、だ、だ、だだだだだだめっ! は、ははははやくっ、し、しめ、しめ」
「え……? でも、閉めたらあたしが見れな」
「い、いいいからっ、おおおおねがいっ、し、しめてぇ……っ!」
ほとんど泣きそうになりながら、顔だけ後ろを振り返り懇願する。
すると、柚乃ちゃんは小首を傾げながらも、カーテンの向こうに顔を引っ込めてくれた。
(し、しししぬっ……しぬかとおも……おもった……!)
それを確認すると、ボクは涙目のまま、即座にショーパンとスカートを穿いた。
もういっそ、殺してください。




