2-7
「ふむ、どうりで見つからないわけだよね」
手の上にハンカチを乗せたまま、階段を上っていく。ハンカチの中には、さっき鈴波さんからもらったスズランの実が包まれている。
あんなところを目撃してしまったせいで、ちょっと気まずかったけど、あそこに鈴波さんがいてくれて助かった。たぶん、ボク一人だったら見つけられなくて手ぶらで帰っていたと思う。
それにしても。
「さすがに、これで怒られるとかはない……よね?」
だって、咲いてないものはしょうがない。まさか、先輩だってスズランが売っている花屋を探し出してでも持って来いとは、さすがに言わないだろうし。
「…………いや、二葉先輩ならありえる」
愚痴の代わりに溜息をこぼしながら、やがて生物室の前まで戻ってくる。
「先輩、あの……言われた通り取ってきましたけど。でも今の時期じゃ、もう花は咲いてな――」
がら、とドアを開けると、異様な声が耳に飛び込んできた。
「うぉおぉぉおぉぉぉぉ……っ! フェイトぉぉおぉぉぉぉぉぉ……っ!」
そこには、ポータブルプレーヤーでDVDを見ながら、ティッシュ箱をすぐ脇に置いて、涙と鼻水をずるずると啜る先輩がいた。
「は……?」あまりのことに、教室を間違えたかと思った。
そのまま数秒停止していると、ようやく先輩はボクの存在に気付いたらしく、ちーんと鼻を噛みながら片手で手招きしてきた。
「うっく……ずず……っ、お、おそいぞっ……、っく……早ぅ持ってこんかっ」
「え……は、はい……」
のろのろとした足取りで先輩に近付き、ハンカチを広げて中にあるスズランの実を見せる。
「あの……さすがに花は咲いてなかったので、これだけ持ってきましたけど……」
ところが、先輩はボクの話なんてどうでもいいみたいに、ハンカチの上からいくつか実を取ると、スナック菓子でも食べるように、ひょいひょいと口に入れてしまった。
へえ、スズランの実って食べれるんだ……。
せっかくだからボクも食べてみようかと思い、ハンカチの中から一つ取り上げたところで、先輩が口を挟んできた。
「……おい、食べるでないぞ?」
言いながら、先輩は消しゴム大の空き瓶を取り、目の下に添える。
「え? どうしてですか?」
「阿呆、死にたいのか」
死、という言葉にどきりとして、実を床に落としてしまう。
「あ……」
先輩は液晶画面に向かって「かわいそうにのぅフェイト……。おぬしの悲しみに比べれば女性化くらい……」なんて、普段のイメージとかけ離れた声を上げていた。失礼な。
「し、死ぬ……? って……」
「……ええいっ、もうじき終わるから、ちょっと待っておれっ」
泣いていても、その迫力は健在で、ボクは言われた通りにDVDが終わり、二葉先輩が涙でいっぱいになった小瓶を机に置くまで、手の中の赤い実を見つめながらじっと立ち尽くしていた。
っていうか、液晶に映っていたのはアニメだった。しかも、魔法少女ものだった。
……先輩、オタクだったんですね。
「ふぅ……やはり、な○はは何度見ても泣けるのぅ……」
残った涙を拭いつつ、先輩は一人頷きながらしみじみと呟く。その顔は、昼休みのボクみたいに化粧で崩れたりすることはなかった。
先輩の顔って化粧っ気がないとは思ってたけど……目はいつもパッチリしているし、まさか完璧なまでにノーメイクだとは思わなかった。
くそ……なんか、ちょっと悔しい。
「じゃなくてっ……し、死ぬってどういうことですかっ」
「ん? なんじゃ、おぬし本当に知らんかったのか? 鈴蘭は致死性の有毒植物じゃぞ?」
「う、うそっ!?」
鈴が連なっているみたいで、あんなに可愛くて綺麗な花が……毒っ!?
「本当じゃ。有毒な物質は全草に含まれておる。中でも花と根に多く含まれておって、これを口にすると頭痛や眩暈を引き起こし、最悪の場合は死に至る。花瓶の水を誤って飲んだことによる死亡事故じゃって起こっておるぞ?」
ぜ、全然知らなかった……。うわあっ、もう少しでボク、本当に食べちゃうところだったよ!
「意外か? 花には結構、有毒物質が含まれておるものも多いぞ?」
「そ、そうなんですか……?」
「うむ。今の時期じゃと……そうじゃな。彼岸花は知っておるか?」
「ヒガンバナって……あ、あの赤くて、墓地とかによくあるって言う?」
何度か目にしたことはあるけど、なんだか花火を逆さまにしたような形の花だった気がする。
「そう、それじゃ。あれも全草有毒の植物じゃぞ。ちなみにの、墓地にあるのは人工的に植えられたものが多いんじゃ」
先輩は喋りながらも小瓶にラベルを貼り、ポータブルDVDプレーヤーを鞄の中に仕舞う。小瓶のラベルには『切傷・火傷・打身』と書かれていた。
つまり、今ボクは先輩が薬を作っている、正にその現場を目撃したってことで――だけど、正直初対面のときの衝撃が大きすぎて、先輩が薬を作るということにはそれほど驚きを感じなくなっていた。
むしろ、今はスズランやヒガンバナに強い毒性があることの方に興味が湧いた。
「人工的って……どうしてそんなこと?」
「簡単なことじゃ。彼岸花の毒性を活かして、墓を動物や虫に荒らされないようにしとるんじゃ。同じように、水田の周囲に彼岸花が植えられておることもあるぞ。ま、毒も使い様ということじゃな」
ああ、そうだ。確かボクが見たヒガンバナは、小学校の通学路の途中にある田んぼの周りにあった気がする。
「へぇ……でも、なんか信じられません……。ヒガンバナはともかく、スズランみたいな可愛らしい花が、毒性の強い植物だったなんて……」
「言っておくがな、彼岸花も鈴蘭もクロンキスト体系ではユリ科だったんじゃぞ」
「ク、クロンキ……?」
「クロンキスト体系――いわゆる旧分類じゃ。一九八○年代にアーサー・クロンキストが提唱した、被子植物の分類体系のことじゃな。まあ現在では、DNA解析によるAPG植物分類体系が主流になってきておるがの」
「は、はぁ……」
何を言っているのか、さっぱり理解できない。
先輩は「APGでは彼岸花はヒガンバナ科じゃが……」と言いながら、くるりとイスを回転させてボクに向き直る。
「そもそもじゃな、ユリ科には毒性のあるものが多いんじゃ。その二つの他にも有名なところで、チューリップがあるのう。それ以外にもエンケイソウ、オモト、バイケイソウ――クロンキスト体系で言えば、スイセンなんぞもそうじゃ」
「そ、そんなに?」
目を丸くして聞いているボクの顔を見て、突然先輩は何かに気付いたように、にやりと口元を歪めた。
「おお、そうじゃ。いかに見た目が可愛らしいからと言って、よく調べもせずに手を出すと毒を呑まされるということじゃな。……まるで、誰かさんみたいじゃのぅ?」
「ぅ……」そうですか、ボクは毒ですか。
そのボクのげんなりとした顔に満足したのか、先輩はきししと八重歯を覗かせて笑う。
……さて、ボクと先輩、毒が強いのはどっちだろう。
「それにしても……」
ちら、と机の上に置かれたままになっている小瓶に目をやる。
「薬って、先輩の涙だったんですね」
「なんじゃ、今更。わらわは体液を薬液に変えると、最初に会うたときに言うたじゃろ」
「いやまあ、それは実際に――」
言いかけて、脳裏に一昨日のここで先輩にされたことを思い出しかけ、ボクは大きく頭を振った。
「で、でもっ……な、涙とは思わないじゃないですかっ」
「なんじゃ? それじゃったら、今度は鼻水にでもしてみるかのぅ?」
「ぶっ」
ボクが鼻水を吹きかけた。
「冗談じゃ。真に受けるでない」
「で、ですよね……」
薬を売りつけられる人たちのことを思い、胸を撫で下ろす。
薬が何から出来ているのか知らないとはいえ、さすがに鼻水はちょっと可哀想だ。
その先輩は、見事に引っかかったボクを悪戯っぽい目で見ながら「大体じゃな、そんなのはわらわの方が嫌じゃわい」と言った。
「む――」
バカ正直に騙されたことに恥ずかしさを感じると同時に、少しだけかちんときたボクは、小瓶の脇に置かれた鞄を生温い目で見下ろした。
「そ、そうですよねぇ~。でも先輩だってアニメ見て泣くとか、ちょっとありえないと思いますけど~?」
「な、なんじゃとぉ!?」
「ひ……っ!?」
ちょっとからかってみるだけのつもりだったのに、その言葉を聞いた先輩はがたっとイスから立ち上がり、顔を怒りで真っ赤にしながら背伸びをして、ボクの目と鼻の先まで顔を近付けてきた。
「き、ききっ、きさまっ! な○はをバカにするとは何事じゃ!」
「うわ! せ、せんぱっ……その、近っ……」
「うるさいっ! な○はをバカにする奴は絶対に許さんぞ!」
なんて怒鳴り散らすと、唐突に鞄を漁り始め、そこから何枚ものDVDを取り出した。
「命令じゃ! 珠希、おぬし今度の土日でこれを全部見てこい!」
そして、それはさっきまで先輩の顔が会った位置に、ずいと突き出された。
あの……先輩、近すぎて何も見えません。
「ええええ!? こ、これを見なきゃいけないんですかっ!?」
少し後退ると、そこには先輩の両手に挟まれた、五枚のDVDがあった。その表紙には、どれも小学生くらいの女の子が描かれている。
「そうじゃ! 全部で十三話あるからのっ。それを見終わったら、第二期じゃ!」
そのDVDをボクに押し付けると、先輩はさらに鞄の中から六枚のDVDを出した。
というか、それいつも持ち歩いてるんですか。
「今回は二期までで許してやる。いいか、これを見終わらない限り、おぬしの休みはないと思え!」
「そ、そんなぁ……」
自業自得とは言え、そうしてボクは強制的に魔法少女のアニメを鑑賞してくることになってしまった。
最悪だ。
「こんなの見てたら、途中で眠っちゃうよ……」
翌日の土曜日、ボクは朝から溜息をこぼしつつ、家のリビングでDVDをセットしていた。
背後で、一緒に見ると言ってきかない柑奈が「おねえちゃーん、まだー?」と急かしてくる。……だから、家の中までお姉ちゃんはやめてください。
「二葉先輩じゃあるまいし、こんなので泣けるわけないじゃん……」
プレーヤーにDVDをセットして、柑奈と並んで水玉のビーズクッションに身を沈める。
柑奈が用意してくれたお菓子はいつまで持つかな、なんて考えながら、ボクはリモコンの再生ボタンを押した。
そして、その日の夜。
「うあぁぁあぁぁぁぁん! リィン・フォースうううううううううう……!」
一期と二期の両方をぶっ通しで見続けたボクは、さすがに疲れてボクの肩に頭を乗せながら眠ってしまっている柑奈を憚ることなく号泣していた。




