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寂しさを紛らわすために愛があるなら、私の行為は愛だったろう。生き物の気配が僅かしかない城の中は温度よりも冷たかった。独りで階段に腰掛けて読書をしていると、お尻から温かさが昇ってくる。清潔に掃除された床に頬をつけてみると、頬がほんのりと温かくなった。忙しい旦那様に聞かないで、自分の力で調べてみたけど、どうやら温泉を床の下に通しているようだ。管を張り巡らして温泉の熱で温めている。広い城内も温かさを保ち、お風呂もかけ流しで入れる。村にいる頃には考えられなかったことだ。山頂にある村は水も薪も貴重で、温かい湯で体を洗えることは稀だった。
「何をしているんだ」
「調べ物をしていました」
旦那様は横に座り、私が指差した先を見た。
「そうだ。地下の温泉を組み上げて巡回させているんだ。老朽化が激しいから、数十年に一度は配管を交換しなければいけない、この前の工事は去年終えてから暫くは無い」
指先を掴まれて、広い城内を横断した。
「あそこの植物園にも温泉は回している。一年中温度を保つためだ」
城に多くある庭の中で其処だけ独立したように異様だった。硝子のようなものを使って作られた多面体で、金剛石を綺麗に切断したような形状だった。
「あそこには博士がいる」
数少ない使用人の一人がいる。私も何度か遠目で見たことがあるけど、遠くで頭を下げられて話をしてこようとしなかった。緑の髪は葉っぱのようで、植物から誕生したような肌の色をしている。異形で一見すると恐ろしく見えるけど、美形といえば美形だ。召喚師の端くれとして魔物たちと慣れ親しんできていたので、その種族にとってどう思われるかぐらいは観察することはできた。
植物園から博士がでてきた。気だるい感じで、何となく服も着ているが、だらしなくて投げかけて着せたように変だった。彼の周囲の花が彼のほうを向いた。まるで太陽を見るように、彼の歩みに合わせて花は向きを変えた。
「お綺麗な人なんですね」――花にとっては、を付けるのを忘れていた。
枯れた木が軋む音が鳴ったようだった。魔王が怒りを体内に閉じ込めるために力を籠めたからだ。心気を整えるように、大きく呼吸をして、私の肩に手を乗せた。力は全く篭っていないけど、掌の奥に充満する魔力が痛いほど圧迫してきた。両目を見れば焼けるといわれたほどの魔力は、常人ならそれだけでも気絶しただろう。
「夫がいる身で、他の男を褒めるのは止めろ」
何気なく言った言葉に異常なほど嫉妬心を籠めていた。
それは愛おしいものだったけど、恐ろしいものでもあり、気を滅入らせた。
此処にいると、月日が大河のように緩やかに流れた。
すでに時間の感覚は無くなり、歪な夫婦関係は、織物を作るように緻密に、雁字搦めに、切っても切れないものに変わりつつあった。下手くそだった料理も作れるようになり、寝床も一緒になった。時が来て、女になったけど、女扱いはされなかった。
魔王城の中、御飯事のように時は過ぎた。
種を植えて作った花畑で冠を作りながら、魔力を体内で自由自在に動かした。召喚師だけではなく魔法使いもする基礎的練習だ。頭、右手、左手、右足、左足、魔力の塊で肉体を壊さないように速やかに正確に運ぶ、次はもっと細かい所に魔力を集中させる。爪、産毛、眼球、骨、皮膚、唇、舌、花冠が完成する頃には魔力の巡回で、体中に汗をかいていた。
「お見事ですね。サブリナ様」
「博士、来ていたの?」
旦那様が一度嫉妬していたけど、自らを律するように話をすることを許してくれていた。屈折した感情から出た優しさは嬉しかったけど、私も複雑な心境だった。博士の助言のお陰で、植物園の外にも管理された植物の美しさが広がり、魔王城を来訪した者たちに安らぎを与えていた。
「……素晴らしい魔力ですね」
私が博士に魔力を籠めた冠を渡した。生命力が充実しているため、しばらくの間美しいままで咲き誇るだろう。
「私にとっては私の魔力」
博士の腹が鳴ったような気がした。彼も魔物の一員だ。旦那様ですら執着する私の魔力に喉を鳴らさない訳が無かった。私は冠を取り返して、魔力を取り返した。この魔力を彼が食ってしまったら、彼の命が危ないだろう。私は自分の頭に乗せた。
「すみません。私も修行が足りなくて」
「別に良いわ。私にとっても危ないから」
博士が花の上に手を翳すと、全ての花がそちらに向いた。会話は常日頃からしているので、意味の無い会話が交わされた。そして、私の口から言葉が漏れた。
「博士には名前はあるの?」
「博士ですね。真名は私には分かりません」
真名を知るにはどうすれば良いのだろうか。それを管理している魔王もどうやって管理しているのだろうか。好奇心から魔王城の図書館で探してみたことがあるけど何も見つからなかった。どこかに隠して保管しているのかも知れない、もしかしたら魔王が見つからないように隠しているのかも知れない、夫婦といえど隠さなければいけないことなのだろう。
「魔王が愚痴をこぼしていましたよ」
「……私の事?」
「サブリナ様が名前をつけてくれないと」
私は黙った。
名をつけるのは嬉しかったけど、井戸の底から襲ってくるような冷気があった。どこに根源があるか分からない恐怖が、私の魂をちろちろと舐めるようだった。
「怖いの」
私の返事に、博士は無表情だった。




