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魔王の城は恐ろしく広いが、召使は数えられるほどしか居らず、これが本当の王か――と言う感じだった。魔王は青年と呼べるほどの年齢なので、配下の者たちから疎んじられているのかと思ったけど、そうでもないのがすぐに判明した。
魔王が許嫁を迎え入れたとして、盛大な式が開かれた。それは盛大なもので連日連夜騒ぎが起きて、誰もが魔王に頭を垂れた。式が終わると再び静かになった魔王城は寂しげだった。
「魔王様は配下の方たちと比べて途方も無いくらいにお強いのですか?」
「私が強いのでは無い。私は配下の者たちの大事なものを所有している。それで逆らえないのだ」
「それは何ですか」
「真名というものだ。これを握られてしまうと誰も逆らえない」
真名――聞いたことがある。誰にでもある本当の名前で、それを誰かに取られてしまうと絶対に逆らえないと……。
「何万人もの真名を持っているのですか」
「そうだ。この世界にいて俺が真名を持っていないのはサブリナぐらいだよ」
私は最近まで名すら無かった。真名なんて高尚なものは当然持っていないのでは――。
「魔王に名前すら捧ぐと言ったが、それは本当の意味では無いな。本当に捧ぐなら、名だけではなく真名だって捧げるはずだ。」
私は何も言えなかった。
言うべきでないと判断した。
「まあ、どうでも良いことだが」
それで話を終えてしまった。
私はいつも通りの勉強法をした。本を読むということだ。古い言葉は読み辛かったけど、ゆっくり読んでいるうちに少しずつ頭の中に入ってきた。
特に魔王の許嫁関連の所は調べた。
昔から言われていた懸念があったけど、許嫁は生贄では無かった。たしかに当初は生贄の色合いが強かったようだけど、徐々に許嫁の意味が強くなっていった。召喚師たちにとっては魔王の協力があれば魔物をより自由に操ることが出来る。おそらく真名を所有していることが大きな影響を与えているだろう。魔王にとっても強力な魔力を持つ花嫁を簡単に得ることが出来るので、魔王配下が実力を落とすのに比べて実力を維持し続けていた。
魔王という高貴な血を維持するのも大変そうで、高貴な血族というだけで魔物達を押さえつけることができる。その為には、戦乱の世でなくても強力な魔力の持ち主の必要があった。
「サブリナ。本ばかり読んでいないで手伝え」
「はい、魔王様」
私が本棚に古書を戻して、小走りで魔王の元へ戻ると、
「魔王様は止めろ」
「だって、私と同じで名前が無いんですもの」
私の旦那様は、生まれて直ぐに空位だった魔王の座についたため名前が『魔王』だった。私に名前が無いのは不便だ――と言ったが、実は自分の名前も持っていなかった。
「旦那様でも良いですよ」
「それでも良いが……サブリナが名前をつけてくれないか」
「と、言われましても……」
旦那様と違ってすぐには思いつかなかった。殆ど年齢が変わらないはずだし、私も本を何千冊も読んでいるけど、旦那様の頭の回転のほうが早いようだ。創造的なこともしたことが無ければ、労働的なこともしたことが無い、仕事はもっての他なので、急に言われても困る。
「俺の名前が無いのも、真名が誰かに渡ることを防ぐ目的があったのかも知れないな」
「それほど恐ろしいものなのですか」
「当たり前だ……だから、サブリナが俺の名をつけてくれないか」
顎を触れられ、唇を親指で押し広げるように開かれた。
城の中の大きな中庭に鍬が置かれていた。使用人は誰もいなくて、土塗れになりながら旦那様が畑を耕していた。家庭菜園と言うには大き過ぎる範囲だ。植物園には使用人がいるらしいけど、此処は旦那様の領域のようだ。
「畑をほぐそう」
「……はい」
私は箸より重いものを持ったことが無い――は言い過ぎだけど、肉体労働をしてこなかったので畑作業は一苦労だった。昨日まで雑草を抜いていたけど、今日からは鍬での作業のようだった。
「旦那様、お聞きしたいことがあるんですが」
「何だ?」
「召使とかはいないのですか?」
「これは娯楽だ。娯楽を使用人にやらせるほど野暮では無い」
「――そうですか」
そうなれば楽しんでやるしかなかった。汗水たらしながらほぐして、肥料を均等にまきながら、咲き誇った時に美しくなるように種をまいた。
文字にすれば僅かだけど、すべて終えるまでに数日かかった。魔王城に来てからは読書と肉体労働の日々なので、全身に心地良い疲労感があった。
「時が来れば、花の香で城内は充満するだろう」
旦那様が山ほどの書類を処理しながら言った。
「これからは何をすれば良いですか?」
首をゆっくりと傾げた。
「何かしたいことは無いのか?」
したいこと――私の今までの人生で選択肢が無かったことだ。
「外に出てみたいです」
「……それは駄目だ。サブリナ。君は魔王の花嫁だぞ」
やっぱり駄目か。
私には自由と言う言葉は無いのだろう。
「それなら読書を行いたいです」
旦那様は眼をつぶりながら頷いた。
私の怒りのこもった足音には気付かなかったようだ。




