神戸にて
香織はなぜこんなにヒステリックなのか。
埼玉でも香織が余震におびえるので、神戸に帰ることにした。
母校などを訪れて笑顔も見せた香織だったが、まだ情緒は不安定で、親に急に攻撃的になったりした。
母親は、疲れ果てた。
18まで育てて東京に送り出した娘が精神を病んだのが何年前だろう。
高校時代から様子がおかしかった。いや、中学だ。中学3年生ぐらいからこの子は何かがおかしかった。
旅行から帰ってきたのに楽しそうな顔を見せず、なんだか不幸そうな顔つきで、いや、
あれは何だったんだろう。あれが予兆だったのだろうか。
母親は気づいていない。
ハワイに行ってきた香織に、おばあちゃんはあまり海外に行ったことがないから嬉しそうな話をしてはいけないとか、むしろ母親自身が何で私はいけないのと泣き叫んだことを娘が気に病み、どんな思い出話もできない香織の心境。
母親が「香織が行かないなら私が行きたい」と泣いたことにより嫌々学校を休んだことで学校の理科のノートを借りることがどれだけ香織の屈辱であったか。
香織は、とてもまっすぐな娘に見えて、とても歪んでいた。
そのひずみが今、顔を現している。
母親も嘆けない。
障碍者の母親になるなど想像もしていなかったのになっちゃったと娘の前で平気で言える母親。
香織の気持ちも、察してほしいものである。
言えない言葉は言わない言葉。言わない気持ちはないのといっしょ。
香織の夫が好きな歌のフレーズである。そして香織もこのフレーズは胸にあった。
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