ナツノオワリ
夕暮れ時。遠くに鴉の声を聞く。
寄せては返す波の音に呼応するかのように蜩が鳴いている。
いやらしく照りつけていた太陽はその勢いを弱め、砂浜は熱くなくなったが、未だに大気の暑さが和らがない。
照りつける夕陽がジリジリと顔を照らし、僕は額に汗をかいていた。
いや、太陽だけじゃない。
きっともっと大きな要因で僕は汗をかいている。
高鳴る心臓はその拍動の回数を増している。きっと僕の体内では血液が普段より早く循環していて、酸素なんかを沢山運搬しているんだろう。
落ち着こうと思った。
目の前には頬を赤らめる少女の姿。夕陽の影響か、それとも…。
きっと僕もこんな風になっているのだろう。
落ち着こうと思った。
でも、やはり駄目だった。
「明日からは普段の生活に戻らなきゃだね」
僕を見ないようにしているのか、少女は俯きながら話しかけてくる。
「そうだね…」
僕も俯いてみる。どうもまともに顔が見れそうにない。
心臓が早鐘を鳴らす。手にまで汗をかくのはやはり緊張しているんだろうか。
「しばらく会えなくなるね」
そんな言葉を彼女から聞いて、僕はああそうなんだと思い返していた。
ずっとこっちにいたからそんなこと思いもしなかった。
そうだ、日常に戻るということは、そういうことなんだ。
長いようで短かった至福の時は終りを迎える。
でも、それは終わらなきゃならない季節だから。
そうしなくては先へと進めないと知っていたから。
「そうだね…戻らなくちゃ…」
肯定する。
瞬間、胸を締め付けられるような、そんな感覚を覚える。
嫌なんだ、ずっと此処に留まっていたかったんだ。
その少女は、そう思わせるぐらいに魅力的で…彼女を手放したくないとずっと思っていた。
「寂しくなるね…」
彼女のその表情が曇る。
「あの…さ」
この季節が終わる前に。
僕は彼女に言わなくちゃいけないことがある。
きっと彼女も分かっているのだろうけど、だからこそ言わなくちゃいけないことがある。
「何?」
きっとそれが何かを分かっているんだ。
夕焼けに照らされたそのあどけない顔が、瑞々しい林檎のような赤に染まっていく。
「僕は…」
ドクンと心臓が鳴った
「君が…」
手にも力が入って…。
「好きなんだ」
言った後はそのまま固まっていた。
「うん、嬉しいよ」
笑いながら、彼女は泣いていた。
ハッ…
天井が白かった。身動き取れない体、そして体のあちこちから鈍痛が走っている。
状況を把握しようとした。長時間暗いところに居た時のように、送られてくる光の情報に目が痛がっていた。何気に頭痛もするじゃないか。
左を見れば母の姿が見えた。
母は僕の目が開いているのを見て笑っていた。手に確かな温もりを感じた。
「僕さ…」
「うん…」
「あの子に会えたよ」
「あの子はなんて言ってたの?」
「会えなくなって寂しいって」
「そうなの…でもお別れを言ってきたのね」
「言ってきた。ついでに告白してきたよ」
「すごいわねぇー。お返事は?」
「嬉しいってさ」
「よかったわねぇー」
そのまま母は僕の胸で少し泣いた。
「戻って来てくれてよかったわ」
「多分あの子が戻してくれたんだと思う」
多分あの子は去年亡くなった子だったと思う。
仲の良い女の子だった。可愛くて、僕が大好きだった子。
開かれた窓から蜩の鳴く声がした。
「そっか…もう終わるんだね、夏が」
「ええ…」
「夏休み…何も出来なかったなぁ」
遠くに見える沈む太陽を、僕と母は二人で見ていた。