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猫の額の奥にある物語  作者: クロイシロネコ
10/18

アニメの台詞のように

 銀座松屋で行われているエヴァンゲリオン展を見に行ってきました。

 コチラはあの有名なアニメ作品エヴァンゲリオンのテレビ版、映画版お絵コンテや設定資料や、漫画の生原稿などを展示したもの。最初のブースにあるのは、ある使徒の攻撃を迎え撃つ主人公達というシーンを作る為の絵コンテ、それぞれのエヴァが走るシーンの3DCGを作る為お資料。背景となる町並みのデーター。それらが、壁ギッシリに大量に貼られて紹介してあるのですが、その資料はそのシーンを制作する際につかったものの一部。それだけの莫大な労力をかけて、できあがったシーンは五分くらいのモノ。それがアニメの世界なんですよね。

 

 それらをみていて、映画好きの人のオフ会の時に、実際映画制作に携わっている友人の言葉を思い出してしまいました。

「実写はいかようにもその場で台詞や表情を変更する事は出来るけれど、アニメはどのタイミングでどの台詞を語らせるかキッチリ決めてから絵を作りその後に台詞をのせる為に、全ての台詞は制作者のなんだかの意図が入ったものになる。それ故に無駄な台詞なんて一つもない」

 それは、ある映画においての台詞について論議していた時に出てきた言葉なのですが、その意味がこの展示会やっと理解できました。

 その展示会にあった一つの資料なのですが、「わかってる――」といった台詞を喋らせる為に、何枚のコマで「わ」をしゃべらせ次に何コマで「か」にいかせるかというのを、タイムラインで一つ一つ調整し設定してからでないと絵を作くれない。台詞一つ喋らせるのにも、もの凄い労力を必要とするのがアニメという表現方法なんです。それゆえに、無駄しゃべりをさせるわけにはいかないでしょう。


 それを考えると、文章というのは実写映画以上に台詞については自由気ままに表現できる世界。その事にかなり甘えてしまって、気を使うことを忘れてしまっているなと反省してしまいました。


 物語において台詞の一つ一つに意味を持たせるというのは難しい事ですが、逆に不要な台詞を排除するようにしていくのを心がける必要はあるのかもしれませんね。

 


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