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歴史学科卒の私がショックを受けた日本史 〜勝てば官軍、負ければ極悪人之家也〜  作者: まるちーるだ


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9/12

第8話 歴史上の人物、一言でまとめられがち問題


前回、「史実と違うのでは?」と言われた時の話をしました。


歴史創作は、歴史学という敷居の高い学問への入口になる。


面白いと思ったら、そこから人物や時代を自分で調べてみてほしい。


けれど、入口になってくれた創作物を、


「史実と違う。だから駄目」


と切り捨てるだけで終わってしまうのは、少し違うのではないか。


そんなお話でした。


さて。


今回は、歴史上の人物や事件につきまとう「ラベル」の話です。


歴史上の人物は、よく一言でまとめられます。


名君。


暴君。


忠臣。


逆賊。


奸臣。


英雄。


悪女。


猛将。


裏切り者。


とても分かりやすい言葉です。


分かりやすいから、覚えやすい。


覚えやすいから、広まりやすい。


広まりやすいから、後世のイメージとして定着しやすい。


ただし、この「分かりやすいラベル」は、時にとても怖いものでもあります。


なぜなら、そのラベルは、


誰が貼ったのか。


どの立場から貼ったのか。


どの時代の価値観で貼られたのか。


どの史料をもとに貼られたのか。


それによって、意味が大きく変わるからです。


大学時代、この話を友人としていたことがあります。


なお、この友人についても、身バレしない程度にぼかすなら書いてよいと、ご本人に確認済みです。


そのため、詳しい家名や地域、現在の親族関係など、特定につながりそうな部分は伏せます。


その友人の母方は、彦根藩士のお家だったそうです。


桜田門外の変の時、井伊直弼公を守る側だった家だと聞きました。


そして、そのお家もまた、桜田門外の変の後、とても大変だったそうです。


友人は、そのあたりのことを卒論でまとめておりました。


ワンコさんはその話を聞いた時、少し考え込んでしまいました。


桜田門外の変。


教科書では、どうしても「井伊直弼が暗殺された事件」として出てきます。


安政の大獄。


開国政策。


尊王攘夷。


水戸浪士。


そういった言葉と一緒に覚える事件です。


後世から見ると、政治的な意味を持つ大きな事件です。


幕末の流れの中で語られる、とても重要な出来事です。


けれど、その場には当然、守る側の人たちがいました。


主君を守ろうとした彦根藩士がいた。


その家族がいた。


事件の後も生きていかなければならなかった家があった。


そして、その子孫がいた。


教科書では数行でまとまる出来事でも、その数行の向こうには人の生活があります。


討った側にも人生があります。


討たれた側にも人生があります。


守る側にも人生があります。


事件の後に残された家にも、続いていく時間があります。


ワンコさんは、その友人の話を聞いた時、改めて思いました。


同じ事件でも、どこから見るかで意味が変わる。


誰の側に立つかで、見える景色が変わる。


井伊直弼公は、後世では強権的な政治を行った人物として語られることがあります。


安政の大獄と結びつけて、厳しい評価をされることもあります。


けれど、彦根藩側から見れば、主君です。


仕える相手です。


守るべき相手です。


その人を守ろうとしていた家から見れば、桜田門外の変は、単に「大老が暗殺された事件」では済みません。


主君を守れなかった事件。


家が影響を受けた事件。


その後の生活や立場にも関わる事件。


家の歴史に刻まれた事件。


そういうものだったはずです。


「暗殺された大老」


「討たれた権力者」


「守りきれなかった主君」


「家の歴史を変えた事件」


どの言葉を選ぶかで、見える景色はまったく違います。


歴史のラベルは怖い。


ワンコさんは、そう思います。


これは、ワンコさんの祖父方の本家の話にもつながります。


ひい爺さんの口伝では、忠義に熱い家。


教授から聞いた話では、『吾妻鏡』でだいぶ悪く書かれていたらしい家。


後から見つかった日記によって、忠義を果たすために朝敵になってしまった家だったのではないか、と見方が変わった家。


同じ家です。


同じ祖父方の本家です。


けれど、どの史料を見るか。


誰の側から見るか。


どの時代の人が語るか。


それによって貼られるラベルが変わる。


忠義の家。


朝敵。


悪く書かれた家。


忠義を果たそうとして、結果的に負けた家。


同じ存在なのに、ラベルが違う。


歴史とは、そういうものなのだと思います。


だからこそ、歴史上の人物を一言でまとめる時には、少しだけ立ち止まりたいのです。


悪女。


本当に悪女だったのでしょうか。


猛将。


本当にただの猛将だったのでしょうか。


裏切り者。


本当に裏切り者だったのでしょうか。


忠臣。


本当に忠臣だったのでしょうか。


暴君。


本当に暴君だったのでしょうか。


もちろん、そう呼ばれるだけの理由がある場合もあります。


その人物が行ったこと。


残された史料。


同時代の評価。


後世の研究。


そういうものを見た上で、そのラベルが使われている場合もあります。


だから、ラベルそのものが全部悪いとは思いません。


分かりやすく整理するためには、ある程度の言葉が必要です。


ただし、ラベルは便利なぶん、とても強い。


一度貼られると、その人の他の面が見えにくくなります。


「悪女」と呼ばれた人の賢さ。


「猛将」と呼ばれた人の繊細さ。


「裏切り者」と呼ばれた人の事情。


「忠臣」と呼ばれた人の迷い。


「暴君」と呼ばれた人の政治的判断。


そういうものが、ラベルの下に隠れてしまうことがあります。


ワンコさんが柴田勝家公について考えた時、引っかかったのもそこでした。


鬼柴田。


無骨な猛将。


頑固。


融通が利かない。


そういうラベルは、とても強いです。


分かりやすい。


覚えやすい。


物語にも使いやすい。


けれど、勝家公は本当にそれだけだったのでしょうか。


戦場で強かった。


それはそうでしょう。


鬼柴田と呼ばれるほどの武将だった。


それもそうでしょう。


けれど、その人が家ではどんな顔をしていたのか。


妻にどう接していたのか。


家臣にどんな言葉をかけていたのか。


困った時、何を考えたのか。


誰かを大切に思うことがなかったのか。


そういう部分は、ラベルだけでは見えません。


史料が残っていれば、そこから少し考えることができます。


豊臣秀吉公のように、女性たちへ宛てた手紙が残っている人物なら、そこから距離感や人柄を考える余地があります。


もちろん、手紙に書かれた言葉が本心そのものとは限りません。


それでも、考える材料にはなります。


一方で、勝家公のように、政治や軍事、領国支配に関わる文書は残っていても、内面や日常や家族への言葉が見えにくい人物もいます。


そうなると、後世に残ったラベルだけが強くなっていく。


鬼柴田。


無骨な猛将。


その言葉だけで、その人の顔が固定されてしまう。


でも、人間は本来、一つの言葉で終わるものではありません。


これは歴史上の人物だけではなく、現代の人間でも同じです。


「あの人は怖い人」


「あの人は優しい人」


「あの人は厳しい人」


「あの人は変わった人」


そういう印象は、見る人によって変わります。


職場で厳しい人が、家では優しいかもしれない。


家では不器用な人が、外では頼れる人かもしれない。


ある人にとっては恩人でも、別の人にとっては苦手な相手かもしれない。


人間とは、そういうものです。


ましてや歴史上の人物は、もう本人に確認することができません。


残された史料。


後世の記録。


研究者の分析。


創作で広まったイメージ。


それらを通して見るしかありません。


だからこそ、ラベルには気をつけたい。


「この人は悪人です」


「この人は善人です」


「この人は猛将です」


「この人は裏切り者です」


そう言いたくなる時ほど、


それは誰の視点なのか。


その評価はどの史料から来ているのか。


別の立場から見たらどうなるのか。


その人の他の面は見えているのか。


少しだけ考えたいのです。


もちろん、創作ではラベルを使うことがあります。


分かりやすくするためです。


物語の導入として、


「鬼柴田」


「悪女」


「裏切り者」


といった言葉を使うことはあります。


むしろ、そうした強い言葉があるから、読者様がすっと人物を掴めることもあります。


ただ、そこで終わらせたくない。


ワンコさんはそう思っています。


「鬼柴田」と呼ばれた人が、なぜそう呼ばれたのか。


そして、その鬼の中に、人としての顔がなかったのか。


「悪女」と呼ばれた人が、なぜそう呼ばれたのか。


本当に悪女だったのか。


それとも、そう呼ばれるしかなかった立場があったのか。


「裏切り者」と呼ばれた人が、本当に裏切ったのか。


それとも、別の視点から見れば生き残るための選択だったのか。


そういうところに、歴史創作の面白さがあるのだと思います。


大学時代の友人の話は、ワンコさんにとって、そのことを考える大きなきっかけの一つでした。


桜田門外の変。


教科書では事件として覚える。


でも、友人にとっては、母方の家の歴史に関わる出来事でした。


ワンコさんの祖父方の本家の話も同じです。


教科書に載るような大きな歴史の片隅で、ある家が朝敵と呼ばれた。


けれど、家の口伝では忠義の話として残っていた。


後から見つかった日記によって、見方が変わった。


同じ出来事でも、誰が語るかで意味が変わる。


同じ人物でも、誰の側から見るかで評価が変わる。


歴史のラベルは、便利です。


でも、とても怖い。


ワンコさんは、そう思っています。


だから、歴史創作を書く時、できるだけ一言で終わらせたくないのです。


もちろん、全部の人物を深掘りすることはできません。


物語には尺があります。


主人公もいます。


脇役もいます。


敵役も必要です。


全員に長い背景を書いていたら、物語が進みません。


ワンコさんも迷子になります。


読者様も迷子になります。


けれど、少なくとも自分の中では、


この人にも事情があった。


この人にも立場があった。


この人にも、見えていない顔があるかもしれない。


そう思っていたいのです。


それが、歴史上の人物を借りて物語を書く時の、ワンコさんなりの敬意なのだと思います。


歴史は勝った側だけのものではありません。


でも、勝った側の言葉は残りやすい。


語る力を持った側の評価は残りやすい。


分かりやすいラベルは、後世に広まりやすい。


だからこそ、そのラベルの下に何が隠れているのかを考えたい。


悪人と呼ばれた人の事情。


忠臣と呼ばれた人の迷い。


猛将と呼ばれた人の繊細さ。


負けた側の沈黙。


守る側だった家のその後。


歴史は、一言では終わりません。


終わらせてはいけないのだと思います。


ワンコさんは、歴史学科でその怖さを学びました。


そして、創作をしている今も、その怖さを忘れずにいたいと思っています。


次回は、少しだけ「悪女」というラベルについてお話ししようと思います。


歴史上の女性は、なぜかとても簡単に悪女にされがちです。


ええ。


これもまた、なかなか根深い話です。


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