第6話 壊れた日
村が見えた瞬間、かずしは走り出していた。
理由はなかった。
ただ、胸の奥がざわついていた。
昨日まで、ここにいた。
リナと一緒に、ゴブリンと戦った。
血の匂いと、土の匂いと、叫び声。
それでも、守れたはずの場所だった。
「かずしさん――」
後ろからリナの声がしたが、かずしは止まらなかった。
門をくぐる。
静かだった。
静かすぎた。
昨日は、あんなに騒がしかったのに。
修理の音がするはずだった。
生き延びた人たちが、怒鳴り合っているはずだった。
誰かが、笑っているはずだった。
なのに、誰も、笑っていない。
村人が立っている。
何人も。
無言で。
そして、かずしを見ると、
目を逸らした。
心臓が、強く打った。
「……?」
一人に近づく。
顔見知りの男だった。
「おじさん? 」
男は答えない。
「父さんと母さんは、今どこに? 」
沈黙。
家に行けば、いいのに聞かずにいられなかった。
男の喉が、動いた。
「……かずし」
声が、震えていた。
嫌な予感が、形を持った。
「……何? 」
男は、言葉を選んでいた。
だが、選びきれなかった。
「……すまない」
その瞬間、
世界が、一段、
遠くなった。
「何が」
自分の声が、他人のもののように聞こえた。
あの時、確かに言えば無事だった。
ゴブリンは確実にきていないはず。
「……すまないの 」
男は、目を伏せたまま言った。
「首都の騎士だ 」
理解できなかった。
「……え?」
「ゴブリンが来たとき……あいつら、逃げた」
知っている。
森で見た。
逃げていく背中。
「逃げる途中で……家を回って……」
男の拳が、震えていた。
「金を奪った」
――理解が、止まった。
「抵抗した人は……」
男は、最後まで言えなかった。
言わなくても、分かった。
分かってしまった。
「……嘘だ」
かずしは、笑った。
「嘘だ」
違う。
そんなはずがない。
騎士は、人を守るものだ。
騎士は
だって、金で雇って。
あの子達を。
金にして。
「嘘だろ」
おじさんは、泣いていた。
それが、答えだった。
かずしは、歩いた。
家へ。
ゆっくりと。
逃げたら、
現実になる気がした。
扉に、手をかける。
押す。
中に入る。
父が、倒れていた。
母が、その隣にいた。
動かない。
血は、もう乾いていた。
「……あ」
声が出た。
それだけだった。
近づく。
一歩。
また一歩。
父の顔が見える。
目が、開いていた。
何かを見たまま、止まっていた。
かずしは、しゃがんだ。
手を伸ばす。
触れる。
冷たい。
「……父さん」
返事はない。
当たり前だ。
分かっている。
分かっているのに、
「起きて、」
声が出た。
「起きてよ」
揺らさず、手を添える。
体は、動かない。
母を見る。
母も、動かない。
昨日まで、笑っていたのに。
昨日まで、話していたのに。
昨日まで、生きていたのに。
森で、すれ違った騎士。
鎧の男。
あの時。あの時。
血の匂いがした。
「あ」
思い出した。
あれは、魔物の血じゃない。
嗅いだことのないような、人間の血?
父さんと、母さんの?
理解した瞬間、自分の何かが、
音を立てて、壊れた。
怒りではなかった。
悲しみでもなかった。
もっと静かな、もっと冷たい、
何かだった。
かずしは、立ち上がった。
表情は、動かなかった。
涙も、出なかった。
その日の夕方。
かずしは、一人で墓を掘った。
素手で掘った。
誰も手伝わせなかった。
リナは、それを見守る。
道具は使わない。
魔法なしで、掘る。
何度も。
何度も。
何度も。
爪が、手の皮が剥けた。
血が出た。
止めなかった。
強化魔法も、防御魔法も、回復魔法を
今は何もかもいらない。
父を埋めた。
母を埋めた。
土をかける。
少しずつ。
少しずつ。
見えなくなる。
最後に、
完全に、
消えた。
かずしは、墓の前に立った。
長い間、動かなかった。
後ろで、リナが見ていた。
何も言わずに。
ただ、そこにいた。
「……潰す」
声に、感情はなかった。
首都の騎士を思い出す。
森で、すれ違った男。
血の匂い。
逃げていく背中。
「覚えてる」
忘れない。
絶対に。
その瞬間。
かずしの中から、“恐怖”という概念が消えた。
魔物を前にしたとき、
身体を止めていたもの。
それが、消えた。
樹形図のごとく分かれていた
恐怖一つ一つが消えた。
「もう、怖くない」
これは喜びではない。
空虚。
そして気がついた。
すべてを潰していれば、失うこともなかった。
恐怖によって抑制されていた魔力が、
解放される。
魔力が、漏れだす。
いや、
噴き出した。
空気が歪む。
地面が、震える。
リナが怯える。
「――かずしさん?」
かずしの視界が変わる。
世界が、
構造として見える。
すべて。
見える。
理解できる。
分解できる。
世界を再構築できる。
「――あ」
かずしが、一歩踏み出す。
その一歩で、
地面が、崩れた。
踏んだ場所の構造を、
無意識に分解していた。
「かずしさん!!」
リナが叫ぶ。
かずしは答えない。
目が、何も見ていなかった。
世界を、“物質”としてしか見ていなかった。
村人が後ずさる。
かずしの存在が、恐怖。
当然だった。
今のかずしは、人間といえるのか。
世界を壊す側の存在だった。
リナが、前に立つ。
「かずしさん!!止まってください!!」
反応がない。
魔力が、さらに膨れ上がる。
空気が軋む。
リナは、歯を食いしばる。
そして――叫んだ。
「私は!!」
かずしの足が、止まる。
わずかに。
「私は、生まれたときから、両親がいませんでした!!」
かずしの瞳が、わずかに動く。
「家族なんて、最初からいなかった!!」
リナの声が震える。
だが、止めない。
「それでも師匠がいました!!」
一歩、前に出る。
「その人が、私を育ててくれました!!」
涙が落ちる。
「でも――」
声が、崩れる。
「目の前で、殺されました」
沈黙。
「何もできなかった」
拳を握る。
呼吸が震える。
「そして私は、呪われて」
胸に手を当てる。
「昨日まで、間も無く死ぬはずだった」
一歩、さらに近づく。
「それでも!!」
叫ぶ。
「それでも私は、生きてます!!」
「かずしさんが助けてくれたんです!! だから――」
かずしを見る。
まっすぐに。
「あなたも、生きてください」
沈黙。
かずしが、リナを見る。
そして、疑った。
本当に?
本当に、この人は、
そこまで失って、
立っているのか?
その瞬間。
【本質看破:強制発動】
見えた。
リナの過去。
小さな少女。
血。
倒れる聖騎士。
伸ばした手。
届かない。
絶望。
孤独。
呪い。
苦しみ。
それでも、
立ち上がる姿。
すべて偽りではない。
本物だった。
かずしの中で、
暴走していた魔力が、
止まる。
ゆっくりと。
静かに。
膝が、崩れる。
「……あ」
呼吸が戻る。
感情が戻る。
自分が何をしようとしていたのか、
理解してしまう。
「……俺は……」
声が壊れる。
リナが、そっと抱きしめた。
かずしは、
抵抗しなかった。
初めて、涙が出た。
声を出さずに、
ただ、泣いた。
リナは何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
「行きましょう」
リナが、静かに頷いた。
この日、かずしの中で、
何かが、完全に、死んだ。
そして――何かが、生まれた。
もう、守る側ではない。
奪われたすべてを、奪い返す側になる。
そのために、
人間も、魔族も、関係ない。
「理不尽に奪うものを全部、潰す。」
俺が理不尽を全て請け負ってやる。




