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第10話 狙撃手
新東京市の夜は、光が多すぎる。
ネオン、ホログラム広告、ドローンの航路灯。空は暗いはずなのに、街は昼のように明るい。高層ビルの窓が無数の星のように並び、その谷間を車のライトが流れていく。
その光の海の中。
一つだけ、完全に静かな場所があった。
ビル屋上。
高さおよそ四百メートル。
風は弱い。
屋上の縁に、一人の女が伏せていた。
巨大な銃。
全長二メートル近い黒い塊。
電磁レールガン狙撃銃。
三脚のようなバイポッドで支えられ、銃身の横に取り付けられたコンデンサが低い唸りを上げている。
女の右目が、赤く光った。
義眼。
狙撃モード。
レンズの奥で、距離、風速、弾道計算が高速で流れている。
緒方凛はスコープを覗いたまま、小さく呟いた。
「距離、千八百七十」
風が髪を揺らす。
「風、弱いね」
彼女の声は、妙に楽しそうだった。
スコープの向こう。
二キロ先のビル。
ガラス張りの会議室。
そこに、一人の男が立っている。
義体企業の幹部。
護衛が二人。
凛は少しだけ首を傾けた。
「うーん」
コンデンサの光が強くなる。
ウィィィィン……
電力がレールに流れ始める。
チャージ。
レールガンは単発。
一発撃てば、また数秒充電が必要になる。
だからこそ。
外さない。
凛は軽く息を吐いた。
「じゃ、いこうか」
トリガーを引いた。
バシュッ
発射音は小さい。
ほとんど聞こえない。
だが。
一秒後。
遠くのビルの窓が爆ぜた。
ガラスが吹き飛び、会議室の男の胸が一瞬で消し飛ぶ。
義体の装甲ごと、貫通。
衝撃波が遅れて届いた。
ドン
凛はスコープから目を離した。
「はい、終了」
その瞬間だった。
背後。
風の音が変わる。
凛は振り向かない。
「蒼?」
屋上のドアが開き、男が入ってくる。
長身。
黒いコート。
目つきは鋭く、口数が少なそうな雰囲気。
緒方蒼は屋上の入口に立った。
「……来た」
凛が笑う。
「早かったじゃん」
蒼は屋上の縁を見る。
「下」
凛は眉を上げる。
「え?」
その瞬間。
ドン!!
屋上のドアが吹き飛んだ。
破片が飛び散る。
煙の向こうから現れた巨体。
ショットガンを肩に担いだ男。
黒瀬だった。
「派手にやってんな」
凛が目を丸くする。
「うわ」
黒瀬は屋上を見回す。
巨大なレールガン。
凛。
蒼。
黒瀬は目を細めた。
「……なるほど」
蒼がゆっくりナイフを抜く。
「黒瀬」
黒瀬は笑う。
「久しぶりだな」
蒼は一歩踏み出す。
次の瞬間。
二人の距離が一気に詰まった。
蒼のナイフが横から走る。
黒瀬は腕で弾く。
金属音。
義体同士の衝突。
黒瀬がショットガンを振り上げる。
蒼が身体を捻り、蹴りを放つ。
二人の動きは速い。
人間の速度ではない。
義体戦闘。
凛が屋上の縁に座りながら言う。
「うわー」
「懐かしい組み合わせ」
黒瀬が蒼の腕を掴む。
蒼がナイフを突く。
黒瀬が笑う。
「腕上げたな」
蒼は無言。
次の瞬間。
パン!
銃声。
屋上の中央に弾丸が撃ち込まれた。
二人が同時に止まる。
黒瀬が振り向く。
そこに立っていた。
女。
長いコート。
二丁拳銃。
煙草をくわえている。
久世玲だった。
「やめなさい」
凛が目を輝かせる。
「隊長!」
久世は煙を吐く。
「久しぶりね」
凛は屋上の縁から降りた。
「全然変わってないじゃん」
久世は肩をすくめる。
「あなたも」
黒瀬が笑う。
「これで揃ったな」
蒼はナイフをしまった。
その時だった。
久世の耳の奥。
エニマの声。
「隊長ォ」
「一つ情報」
久世
「なに」
エニマ
「今撃ったターゲット」
「企業関係者」
久世
「どこの」
エニマが答えた。
「東亜重工精密」
その名前に、凛の笑顔が少しだけ消えた。
「やっぱり」
久世が煙草を落とし、踏み消す。
夜の風が吹いた。
新東京市の光が、遠くで瞬いている。
面倒な事件の匂いがした。




