第46話 王都を出るか、残るか
机の縁が、短くミシと鳴いた。
査問が終わったはずの部屋には、まだ石の匂いが残っている。帳簿の角は、ラウラが揃えたときのまま、きっちりと揃っていた。
その几帳面さが、そのまま王都の「規定」の形に見えた。
ギルベルトは黙ったまま、節の浮いた指で机の木目をなぞっている。ノアは椅子の背にもたれ、天井を見上げて息を吐いた。ミアは、さっきからこめかみを親指で押さえっぱなしだ。
「……これで、ひとまず落着って顔は、してくれないのね」
ノアが小さく笑う。
「落ちたのは写像核だけだ。線の先は、まだ残ってる」
俺はそう答えながら、自分の喉の奥に残った圧を、ゆっくり飲み下した。
終わってはいない。ここで「終わり」と書かれれば、その瞬間から全部が石になって固まる。
結果で黙らせる。それは簡単だ。
ただ、場所を選ばないと、鎖にされる。
◇
残れば、王都の案件は積み上がる。札も肩書も増える。
出れば、糸から距離が取れる。野で証明するぶん、足場は悪いが身は軽い。
俺の中で、2つの天秤がぎしぎし音を立てていた。
「残るなら、ここで積める実績は大きいです」
ラウラが言う。いつもの仕事口調だが、少しだけ迷いが混じっていた。
「王都案件は、ここでしか積めません。依頼主も、上層に顔を利かせられる人ばかりですから。ただ……」
「ただ?」
「政治の帳簿にも、同時に載ります」
ラウラの視線が、ほんのわずか俺たちを撫でてから、机の端へ逃げた。
ギルベルトが腕を組む。椅子がきしんだ。
「出る場合の話をしようか」
低い声でそう言われて、俺はうなずく。
「外に出れば、今回みたいな案件を、外側から追える。供給路も、線の帳尻も」
「ただし、庇護圏からは外れるわ」
ノアが指を3本立てる。
「道中で何かあっても、自分たちで片付けることになる。王都ギルド印の庇護は、基本、都の外のすぐ先まで」
「それでも、外のほうがいい」
口が勝手に動いた。
「ここにいれば、証拠も報告も、全部、管理される。外なら、戦いも結果も素手だ」
言ってから、自分でその言葉の軽さに、少しだけむかついた。
素手、なんて表現は、あまりにも綺麗すぎる。実際は泥まみれになるだろうし、斬ったはずの線が別のところでつながることだってある。
それでも——。
「式、展開」
ミアが、ぽつりと呟いた。
視線は机の上の報告書ではなく、壁の向こう、王都全体を透かしている。
「王都の残響は厚い。さっきまで動いてた式の名残が、まだ空気の中に残ってる。……頭、少し痛い」
ミアはこめかみを押さえた指を、ぎゅっと強くした。
「残ると、その残響にずっと触れてることになる。悪い線じゃないけど、長く浴びるのは、たぶん、良くない」
ギルベルトが小さく息を吐く。
「出たいのか?」
「出たい」
俺は即答した。
「けど、勝手に飛び出す気はない。規定の外に出たら、それこそ、あいつらの書きたい形にされる」
「だからこそ、規定の中で出る」
ノアが、指を3本立てた。
「3日前倒しで依頼を束にして持ち出せる。護衛2、調査1。ぜんぶ王都発、街道沿いの宿場まで。規定内でやれば、誰も文句はつけられない」
「そんな抜け道があるの?」
「抜け道じゃなくてルール。ちゃんと、利用者用の欄に書いてあるのよ。ただ、面倒だから誰も使わないだけ」
ノアは肩をすくめた。
「出るにしても残るにしても、こっちのほうが足場はいいでしょ?」
ミアが俺を見る。
「レイが外で戦うって言うなら、わたし、外の式も読む。ここにいるより、ずっと楽」
「楽って表現もどうかと思うけどな」
ノアが笑いながら突っ込む。
その軽さが、張り詰めた空気にちょっとだけ隙間を作った。
その隙間から、やっと呼吸が入ってくる。
◇
「……写像核の出所は、どう見ても外部です」
ミアの声は淡々としていた。
机の上には、下水迷宮で拾った欠片と、ミアの書き出した線の図が広がっている。
「王都内の系統と、符の組み方が合わない。帳尻が合うのは、城壁の外。街道沿い、2つ目の宿場あたり」
「外の帳尻か」
俺は図を覗き込んだ。
線と線の交わるところに、小さくピンの印が描かれている。
そこを見ているだけで、足の裏がうずく気がした。
「ここにいるかぎり、証拠は管理される。外なら、戦いも結果も素手だ」
さっきの自分の言葉を、今度は確認するように繰り返す。
「外で落とす。線で」
言い切った瞬間、胸の奥で何かがピンと鳴った。
それは不安じゃなくて、位置決めの音だ。
ゼロの底で、線だけを見るときと同じ、あの感じ。
「……いい顔」
ノアがぼそっと呟いた。
「じゃ、決まりね。ギルベルトさん」
ノアが視線を向けると、ギルベルトはゆっくりと腕を組み直した。
「出るなら、依頼を積め。護衛2、調査1。印は二印だ」
短く、それだけ。
それが、この王都で許される最大限の「後押し」なのだと分かった。
「2印?」
「ギルド印と、治療所印。王都の外で何かあったときに、戻ってきたときの処理が変わる」
ラウラが事務的に説明する。
「通行票はこちらで通します。出立予定は?」
「3日前倒しで組む。今日から動けば、準備は間に合う」
ノアの声はもう完全に段取りモードだった。
◇
準備に入ると、時間の流れが変わる。
さっきまで石のように重かった空気が、少しずつ粒になって、棚に収まっていく感じだ。
「粉チョーク、1袋補充。時凍ポケットに、食糧72時間分。水は現地調達でいい?」
「宿場までは井戸がある。最悪、途中で川を拾う」
ノアとラウラがやり取りする声を聞きながら、俺は剣帯を半歩だけずらした。
腰骨にかかる重さが、しっくりくる位置に落ち着く。
呼吸を3拍で揃え、ゼロ酔いの名残を探る。まだ、喉の奥にわずかな眩暈が引っかかっていた。
「ミア」
「大丈夫。頭痛は、だいぶ薄くなってきた」
ミアは小さくうなずく。
「ただ、王都の残り香は、やっぱり強い。早く外に出たほうがいい」
「そのための準備だ」
ノアが在庫タグを書き換える。白い札に、細い字がすべる。
その手元から、指先の感覚が伝わってくるようだった。
恐れは消えない。ただ、細かく刻んで棚に並べれば、手に取って扱える。
準備は、恐れを薄く切り分ける儀式だ。
トレイの上に、許可札が1枚落ちた。
コトリ。
もう1枚。
コトリ。
二印がそろう、小さな決定音。
「退路標はどうする?」
「北門まで延長する。帰り道の糸は、ちゃんと結んでおく」
ノアはそう言って、搬送索と小さなピンの束を腰袋に入れた。
「無茶は計画の外。死ぬ前に申請してね」
「死ぬ予定はない」
「そういう人ほど申請しないのよ」
ノアと軽口を交わしていると、心臓の鼓動が、さっきよりだいぶ静かになっているのに気づいた。
◇
ギルドの廊下に出る。
扉の蝶番が、ミシと鳴いた。
半拍置いて、もう一度、ミシ。
さっきはなかった、2度目のきしみ。
誰かが通ったのだと、体のほうが先に理解する。
黒外套の気配が、ほんの瞬きほどだけ、空気の層をずらしていった。
顔は見えなかった。ただ、匂いだけが薄く剥がれて残る。
「今の……」
ノアが声を落とす。
「追わない」
俺は首を振った。
「情報が先だ。外で線を追う」
足を止めるな、と心臓が言っていた。
ここで振り返るのは、さっき決めたばかりの線を、自分でへし折る行為だ。
扉の向こうには、空白だけが立っている。
なら、そこは今は見なくていい。
◇
ギルドの前に出ると、風が少し冷たくなっていた。
掲示板には依頼札がぎっしり並んでいる。その下、足もとの石畳を、何かがこつんと叩いた。
風に磨かれた紙片が、俺の足に触れていた。
拾い上げる。
角が削れ、印が半分ほど欠けている。けれど、「助け」の語だけは読めた。
インクが、雨に流されながらも、そこだけはかろうじて残っている。
「……助け?」
ノアが覗き込む。
ミアが紙を指でなぞった。
「線が、外から来る」
短くそう告げて、ミアは顔を上げる。
「王都の外。たぶん、街道の先。さっきミアが言ってた帳尻の場所と、近い」
「偶然か?」
「偶然かどうかは、出てみないと分からない」
風が紙片を揺らした。
ノアが鞄を閉じる音が、コトリと、小さく確かに鳴った。
「行くんでしょ?」
ノアの声は、もう疑問形ではなかった。
「行く」
俺は紙片を折りたたんで、外套の内ポケットにしまう。
「積んで出る。外で、証明する」
言葉が、自分の中で錨になる。
背中を、風が押した。
王都と、その外と。
まだ見えない線が、どこかでミシと鳴り始めている気がした。
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