第44話 査問官、そして石
雨の音で目が覚めた。
薄い天井板をとおして、ぽつ、ぽつ、と水音が落ちてくる。まだ夜が残っている時間だが、隣のベッドではミアがうーんと小さくうなり、防臭布の下で身じろぎした。
頭、まだ痛えか。
声に出す前に、俺は起き上がって狭い部屋を抜け、共用の台所へ向かった。廊下はひんやりしている。湿った木の匂いが鼻に残った。
台所では、すでにノアが鍋の前に立っていた。寝癖の金髪を適当にまとめて、片手でおたまを回している。
「おはよ、レイ。顔、まだ真っ青」
「鏡持ってこい」
「割られるからやだね」
軽口を返す余裕はある。俺はベンチに腰を下ろし、腰の剣を外して布で丁寧に拭った。金属の冷たさが手のひらに心地いい。
しばらくして、ミアがふらふらと台所に顔を出した。前髪の隙間から覗く目の下には、くっきりとしたクマ。
「お、おはよ……。ノアのスープ、いいにおい……」
「おはよう。はい、頭痛薬スープ」
「そんなの聞いたことない……」
笑いながらも、ミアは両手で椀を抱え込む。湯気が頬を赤く染めた。
ノアが俺の方を鋭く一瞥する。
「ねえレイ。今日だけは、計画の外に無茶しないでよ」
「……やることはやる」
「それを無茶って言うの」
ノアは呆れたようにため息をつきながら、防臭布の予備をテーブルに並べていく。袋には細かくメモが書き込まれていて、なぜか油の在庫まで計算済みだ。
「今日の予定。ギルド仮詰所で事情聴取、王都の査問官付き。誓約石使用の可能性、大」
「石のやつ、か」
昨夜、簡単に聞かされていた単語が頭の中で重くなる。石で証言を縛る。言葉を、後戻りできない形に変える道具。
俺は刃を拭う手を止めずに、短く答えた。
「やる。情報が足りねえ」
その一言で、ミアとノアの視線がこちらに集まる。ミアは椀を抱えたまま、ゆっくりとうなずいた。
外に出ると、雨はほとんど上がっていた。
雲の切れ目から薄い光が落ちているが、石畳はまだ濡れていて、鈍く光っている。足裏に水の冷たさが伝わってきた。
ギルドの仮詰所前には簡易のテーブルが出され、その向こう側に黒い外套の男が立っている。肩には王都ギルドの紋章。横には細身の書記が控え、板ばさみになった支部の職員が数人、落ち着かない顔で様子を見ていた。
黒外套の男が、無言でテーブルに一枚の封書を置く。
赤い封蝋が、やけに鮮やかに見えた。
男は指先で封をつまみ、ためらいなく引き裂く。乾いた音が、ピン、と空気を震わせた。
紙が開かれる音まで重い。俺は、それを眺めながら呼吸を3つに分ける。吸って、止めて、吐く。その拍に合わせて、体の余計な力を落としていく。
「通達。王都ギルド本部による事情聴取および代替査定を命ず」
低い声が、石畳の上を滑っていった。
男はちらりともこちらを見ないまま、次の箱をテーブルの上に載せる。木箱だ。封印の術式札がいくつも貼り付けられている。
俺の背筋に、ひやりとしたものが走った。
あれが、誓約石。
札が剥がされる。木箱の蓋が持ち上がるとき、古い蝶番が、ミシ、と小さく悲鳴を上げた。
中から現れたのは、握りこぶしより1回り大きな石だった。琥珀色とも白ともつかない半透明。男が手袋越しに触れると、石の内部に微かな光が灯る。
淡く、しかし確かに光っている。
周囲の空気が1段、冷たくなった。
「誓約石だ」
ノアが小声でつぶやく。視線は石ではなく、その台座の刻印に向いていた。
黒外套の男――査問官が、ようやくこちらを見た。細い目に、感情の色はほとんどない。
「石は嘘を記録しない。従わぬなら拘束」
この男にとっては、それで全部なのだろう。
俺は石を見つめる。表面に、かすかな傷。いや、傷ではなく、合わせ目。外殻と中身を別に作って、組み合わせたような痕跡。
石で縛り、言葉で締める。なら――継ぎ目を探す。
「手順を確認する」
ノアが一歩前に出る。既にメモ帳を開いていた。
「立会人はギルド支部長代理、査問官殿、書記殿、それからうちの3人。退路標は、ここ」
ノアはしゃがみ込んで、石畳の端に小さな金属片を打ち込む。コトリ、と軽い音が響いた。
「入る前に出る道。合図は引き2ね」
「退路標まで打つ聴取って何なんだよ」
「君が無茶しそうだから、保険を厚くするんでしょ」
ノアはさらりと言いながら、ロープを腰の高さより低い位置に張っていく。目立たないが、走ると確実に足を引っかける高さだ。光タグの束をミアに渡す。
「ミア、いつもの。光でラインだけ引いて」
「……うん。視るの、長くはできないけど」
ミアはまだ少しふらついていたが、タグを握る手だけはしっかりしていた。
「式、展開。糸をほどくみたいに――視える、行ける」
小さく呟き、瞳が淡く輝く。ノアがランプの芯を下げて光を落とすと、光タグのひとつがふっと点灯した。
ミアは小さな指先で石を指し示す。直接触れることはない。わずかに空気の流れが折れた先。
「外殻と中核の間……ミシ。錨は、左寄り」
ミシ、という彼女の言葉に合わせて、石の影が地面に2重に落ちた気がした。一瞬だけ、世界の線がずれる。
そこだ。
俺は心の中で位置を焼き付ける。
ミアが顔をしかめた。こめかみを押さえ、息を吐く。
「ごめん……頭がいたい……もう少しだけ待って」
「十分だ。無理すんな」
俺はその場から一歩下がり、石と査問官、書記、立会人、全部の位置関係を頭に並べ直す。
「時刻、記録します」
書記が澄ました声で時刻を読み上げた。その声が、まだ残っている雨垂れの音と重なって、規則正しい拍を刻む。
「対象者、レイ・アークライト」
査問官の視線が刺さる。俺は石の前に立った。
「あなたは『無許可で魔術を破壊』した。これを認めるか」
言葉の枠で、最初から囲ってくる。
俺は一瞬だけ目を閉じ、昨夜の迷宮を思い出す。崩れた柱、暴走しかけた防御術式。俺が切ったのは、飽和しかけていた詠唱の回路だ。
壊したんじゃない。外しただけ。
「壊してない。外した」
静かにそう返すと、査問官の眉がわずかに動いた。
「外した?」
「魔法が最強なら、斬ればいいだけだろ。暴走する前に」
周りの空気が一瞬、ざわついた。支部の職員のひとりが咳払いを飲み込む音が聞こえる。
ノアは黙って手帳にペンを走らせていた。誰がどのタイミングで息を呑み、咳払いをし、紙をめくったか。全部、在庫表みたいに記録しているのだろう。
査問官は感情を殺した声で次々と質問を投げてくる。はい、いいえ、で答えさせる形が多い。逃げ道を塞ぐための言い回しだ。
石は淡々と光り続ける。その光の奥で、何かが刻まれていくのを、ミアだけが眺めている。
やがて、一度だけ空気が緩んだ。書記がインクを継ぎ、ノアが領収の欄を確認し、査問官が視線を別の文書に落とす。
今だ。
俺は1歩、半拍だけ時間をずらして動く。
足運びは無幻歩。踏み出した位置と、見えている位置が微妙に合わない、あの感覚。世界の線の方を、こっそりと押しやる。
ミアがつけていた光タグの1点灯が、石の左側面をかすめる。その真横。外殻と中核の間。
刃は抜かない。鞘からほんのわずかに、きらり、と覗かせるだけだ。
そこに、置く。
沈めない。叩かない。ただ、合わせ目だけを撫でて、音をひとつ減らす。
感覚の中で、ピン、と張っていたなにかが切れた。
「拘束線だけ、外す」
誰にも聞こえない声でつぶやく。
石の光が一瞬だけ揺らいだように見えた。だが、砕けることも、暗くなることもない。表向きの機能はそのまま。証言は記録される。
ただ、その奥で、どこか見えない線が逆向きに流れ始めた。
ミアが小さく息を呑む気配がしたが、すぐに黙り込んだ。ノアはわざとらしいくらい無表情で、書類の隅を整えている。
そのとき、石畳の向こうから、ギシギシと木が軋む音が近づいてきた。
荷車だ。
黒外套の別の男が荷車を押してくる。上には、もうひとつ大きな木箱。さきほどの石の箱よりも分厚く、重そうだ。
査問官が手で合図を送ると、荷車が止まる。木箱の蓋が開き、内側から金属光沢が覗いた。
人型。太い腕、無表情の顔。胸部には視孔らしき穴があり、その奥がぼんやりと光っている。
魔導ゴーレム。
「では実地。安全を証明せよ」
査問官の声は変わらず冷たい。
法で縛って、石で締めて。それで足りなければ、力を持ち出す。
順番は決まってるな。
黒外套の斥候のひとりが、近くの扉の前を通り過ぎるとき、わざとらしく蝶番を鳴らしていった。ミシ、と。目が合うことはなかったが、見られている、という感覚だけが背中に刺さる。
ノアが小走りに下水の弁に向かい、器用に工具を回した。しばらくして、詰所前の石畳に、うっすらと水があふれ始める。
薄い水膜が地面を覆い、さっきまで乾きかけていた石が、再びぬらりと光った。
「滑りやすいよ。気をつけてね」
ノアはさらりと言いながら、ロープの張り具合を確認する。退路標が、コトリ、と再び小さな音を立てた。
「引き二で戻れ!」
短い声が飛んでくる。ミアは光タグを握り直し、安全な足場に淡い線を引いていく。
「錨は、右足元!」
声に合わせて、俺は足元の水の流れを見る。雨水が、排水の溝に向かって一定のリズムで流れていく。
1、2、間。
水が石の継ぎ目をなぞる音が、ミシ、とかすかに軋んだ気がした。
踏むな。外せ。
魔導ゴーレムが動き出した。
胸部の視孔が強く光り、ぎぎ、と関節が回転する。腕が持ち上がり、俺に向かって構えを取った。
「腕部制御、試験的打撃。カウント、3拍」
査問官の指示に合わせて、書記が再び時刻と手順を読み上げる。
3拍目で来る。
俺は視線を逸らさずに、心の中だけでカウントを始めた。
3。
ゴーレムの肩の装甲、その隙間。そこに走る魔力の細い線が、ミアの光タグでうっすらと浮かび上がっている。
2。
足場の水が、俺の靴の底を冷やす。ロープの位置、退路標の距離、全部を一度に掴む。
1。
無幻歩で、半歩だけ空間をずらす。同時に、刃を鞘からわずかに滑らせ、肩関節の制御線だけを撫でる。
刃が触れたのは、金属でも、魔石でもない。制御のための「式」の線だ。
ピン、と音がした。今度は、俺の感覚の中だけではない。ゴーレムの腕が途中で鈍り、拳は紙一重で俺の胸の手前で止まった。
水がぱしゃりと跳ねる音だけが遅れて届く。
「設計に従っただけだ」
俺はそう言って、鞘に刃を戻した。
書記が、はっと息を呑む気配。周囲は一瞬、完全な沈黙に包まれた。
査問官の目が細くなる。彼の視線はゴーレムの拳と誓約石と俺を、順番に往復した。
形式的な質問と確認が、いくつか続いたあとだった。
ノアが手帳をめくりながら、小さくつぶやく。
「記録、2拍ずれてる。……後で効く」
「何がだ」
俺も小声で返す。
「石のタイムスタンプと、実際に腕が止まった拍。書記さんの読み上げと、咳払いの位置。全部、ちょっとだけ合わない」
ノアはそれ以上は口に出さない。だが、目は確かに光っていた。これは数字の世界だ。石は正確だ。だからこそ、ズレが残る。
それはまだ、誰も問題にしない小さなひびだ。
やがて、査問官は通達の紙を再び持ち上げた。
「本件は保留。明朝、迷宮警備区画での実地再現を命ず」
明朝。迷宮の防御区画。ゴーレムは本番仕様で、誓約石は今日の記録を抱えたまま持ち込まれる。
宙ぶらりん、ってやつだな。
けど、道は残した。
俺は心の中でそう呟きながら、誓約石を一瞥する。淡く光る石の奥で、内側と外側の線が、ほんの少しだけ逆位相で揺れている気がした。
魔導ゴーレムは再び木箱に収められた。蓋が閉まり、金具がはめられる音が、コトリ、と響く。荷車が動き出し、石畳を軋ませながらゆっくりと遠ざかっていく。
そのとき、木箱の隙間から、視孔の光が一瞬だけ漏れた。
まるで、こちらを見返しているみたいに。
「……終わり。次だ」
俺は退路標をひとつ抜き、コトリと指先で鳴らした。
雨は完全に上がっていた。雲の切れ間から、ぼんやりとした光が差し込む。湿った風が頬を撫でる。
明日の朝、迷宮で。石とゴーレムと、制度ごと、もう一度向き合う。
そう思うと、さっきまで冷たかった石畳が、妙に歩きやすく感じられた。
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