第43話 学術サロンの罠
石畳の色がゆっくりと夕闇に溶けていくころ、ギルドのテーブルに、ひとつだけ場違いなものが置かれた。
分厚い羊皮紙に、赤い封蝋。貴族の紋章が、やけに冷たく見える。
「……お呼ばれ、だとさ」
封を切って目を通した俺は、ため息をひとつ落としてから、2人に見せた。
王都学術サロンより。
次回定例会にて、無詠唱と術理の品位についての議論を行う。
先日の迷宮対処をうけ、貴殿らの立ち会いと意見を求む――。
「サロン、ねえ。いい身分」
ノアが鼻で笑う。指先はもう、机の上で何かの図を描き始めていた。
「無詠唱と、品位……」
ミアは、封筒を覗き込みながら小首をかしげる。
「レイのこと、ちゃんと話す場をくれる、ってこと?」
「半分は、見世物だろうな」
俺は肩をすくめる。
「上の方の連中にしてみりゃ、ゼロ魔力で魔術を斬ったって話は、面白い噂だ。真偽を確かめたいのもあるだろうし、そこでこっちをこき下ろせれば、なおいい」
そう口にしながらも、完全に悪い話だとも思えなかった。
迷宮の奥で何が起きているかを、本当に止めるつもりなら。
現場だけじゃなく、上の方で動く連中を少しは黙らせておくべきだ。
……それに。
「言葉の戦場も、1回は踏んでおいて損はない」
「お、やる気」
ノアが顔を上げる。
「じゃ、決まり。受けるとして、まずは段取り」
そう言うやいなや、彼女は新しい紙を引き寄せて、さらさらと描き始めた。
「会場、町屋改装って書いてあるわね。入口が表と裏で2。窓は……少なくとも大きいのが1。退路は2つ作る」
「3つ?」
「1つは正面から普通に退場。2つ目は裏手の勝手口。で、3つ目が非常用。事前にピンを打って、迷わずそこに集まれるようにしとく」
ノアは指先で3本の線を引き、それぞれに小さく印を付けた。
「合図は引き2。床を2回引っかく音が聞こえたら、予定の立ち位置から2歩ずれて」
「……またずらすのか」
「ずらしとかないと、罠を仕込まれてたら踏み抜くでしょ。言ったでしょ、レイの仕事は斬ることであって、爆発芸人じゃないって」
全くもってその通りなので、何も言えない。
「ミアは?」
「えっと……」
ミアは目を閉じ、指先で自分の袖を触った。
「光のタグ、いくつか仕込んでいく。会場の中、術式が強いところに触れたら、錨の位置が分かるくらいには見えるはず」
「頼りにしてる」
俺がそう言うと、ミアは少しだけ胸を張った。
「うん。レイが斬ってるもの、ちゃんと見せたいから」
言葉の戦場に行く準備としては、悪くない。
踏むのは床じゃない。
踏み方を間違えたら叩き落とされる、言葉の床だ。
◇
学術サロンの会場は、繁華街から1本入った横道の先にあった。
表向きは、そこらの町屋と変わらない木造2階建て。けれど軒先の行灯だけが、薄い魔力の光を宿している。
「ここで間違いない?」
「招待状の印と合ってる。……ここ」
ノアが、さりげなく入口の脇にしゃがみ込む。
一見、靴の紐を結びなおしているだけに見えたが、短い金属音が石畳の下から返ってきた。
退路標のピンが、1本。
これで、最悪の場合でも戻る線はできた。
「行こっか!」
ミアの声に押されて、俺たちは暖簾をくぐる。
中は、外から想像できるよりずっと広く感じた。
襖の代わりに薄い写像布の仕切りが垂れ、壁には銅板に刻まれた術式図が飾られている。鼻をくすぐる香と、奥の方から流れてくる静かな楽の音。
石と血の匂いしかしない迷宮とは、まるで別世界だ。
「こちらにお名前を」
受付の男が、にこやかにペンを構えた。
「本日は、無詠唱と術理の品位をテーマに、意見交換と実演を予定しております」
その言い方に、わずかな含みが混じっているのは、気のせいじゃないだろう。
俺たちの名前を書き留める視線は丁寧だが、その奥で別の何かを計っている。
見られている。
珍しい見世物を見るときの、あの距離感だ。
「無詠唱って、やっぱり乱暴なんじゃないのか」
「でも、迷宮で助かった人もいるって話だし……」
奥から、そんな囁きが漏れ聞こえてくる。
好きに言え。
椅子に座っているうちは、いくらでも安全だ。
案内された部屋は、長方形の広間だった。
中央に小さな演壇。前方に、術具を並べた卓がひとつ。壁際には半円に椅子が並べられ、すでに何人もの学者風の男たちや、書記風の若者たちが腰を下ろしている。
その視線が、一斉にこちらに向いた。
「……結構、いるな」
「そりゃそうよ。新しい玩具には群がるの、人も魔物も一緒」
ノアが小声で返しながら、椅子に座りつつもさりげなく出入口と窓の位置を確認している。
ミアは俺の隣で袖を押さえ、深呼吸をひとつ。
と、その前に。
「本日はご足労いただき、感謝します」
演壇に立った痩せた男が、一礼した。髪には白いものが混じっているが、背筋は真っすぐだ。
「王都学術サロン幹事、セフェル・ロランです。まずは定義から始めましょう」
セフェルは手元の紙を一瞥し、滑らかな声で続ける。
「詠唱とは、術理を言語により確認し、精神をそれに従わせる手順です。粗雑な比喩を許していただけるなら、理性の鎧と言いましょうか」
その言葉に、何人かが笑い声を漏らす。
「では無詠唱とは何か。先に申しておきますが、本日お招きした方々を貶める意図はありません。ただ、一般的には、衝動的な刃と見なされがちです」
視線が、こちらに流れてくる。
理性の鎧の前に、衝動の刃。
最初から、この図式で話を進めるつもりらしい。
「そこで、本日は賛否両派から意見をいただきます。まずは結界工学の学匠、エディオン・グラフト殿」
呼ばれた男が、すっと立ち上がる。
銀縁の眼鏡に、よく研がれた声。いかにもこっち側の人間だ。
「詠唱なき術行使は、再現性に乏しく、術理の共有が困難です」
エディオンは、開口一番そう言った。
「ある危難にたまたま対応できたとしても、それは偶然一致です。検証と追試の手順を経ない主張を、我々は理論とは呼びません」
周囲の学者たちが、うんうん、と首を縦に振る。
「迷宮での一件についても、私は懐疑的です。報告によれば、詠唱手順を踏まずに結界が破れたとのこと。しかし、そこにどのような術理があったのか。説明がなければ、ただの乱暴者と何が違うのですか?」
正面から、そう言われる。
まあ、こう来るとは分かっていた。
俺は立ち上がり、マントの裾を払ってから、口を開いた。
「理屈は嫌いじゃない。けど、合わせ目は現場にしかない」
ざわ、と空気が揺れる。
「俺がやってるのは、壊すことじゃない。外すだけだ」
「外す?」
エディオンが眉をひそめる。
「結界は面です。線など存在しませんよ」
「そう習ってるなら、それでいい」
俺は肩をすくめた。
「ただ、俺には見るものがある。それをどう呼ぶかは、そっちで決めてくれ」
「見るもの、とは?」
「……ミア」
俺は横に立っていた少女に目をやる。
「話すより、見せた方が早い」
「うん!」
ミアは、ぱっと顔を明るくして前に出た。
卓の上に、小さな蜜蝋ランプと、白い布、そして金属の小片をいくつか並べる。
「構造視補助、展開」
袖から取り出した薄い光のタグを、布の上にぺたりと貼る。
タグが、淡く光った。
「ええと、まずこれが、普通のちいさな術式。灯りに、火の魔術をちょっとだけ足してあるだけの、簡単なやつ」
ミアはランプの炎を指さした。
「で、レイが斬ってるのは、ここ」
光が伸びて、布の上に線を描く。
点が二つ、布の右側と左側に浮かび、その間を細い光の線が結んだ。真ん中だけ、色が少しにじんでいる。
「点が錨。線が境界。にじんでるとこが、継ぎ目」
ミアは、それぞれを指でなぞりながら説明する。
「レイは、全部をまとめて壊してるんじゃない。継ぎ目だけを外してるの」
彼女は、にじんだ部分を指先でつまむようにして、そっと上に持ち上げた。
光が、ふわ、と布から離れ、指先に絡みつく。
次の瞬間、蜜蝋ランプの炎が、ふっと小さくなった。
消えたわけじゃない。術式の分だけ、そぎ落とされたのが分かる。
「今ので、境界条件だけ外した。暴発してないし、周りも燃えてないよね?」
ざわめきが広がった。
前列に座っていた若い学徒が、身を乗り出す。
「今の、どうやって……」
「式、展開。糸をほどくように――視える、行ける」
ミアは目を細め、こめかみに手を当てる。
「全部の術に効くとは言わないよ。でも、こういう錨の取り方をしてるやつには、共通点がある」
その言葉に、何人かの目の色が変わるのが見えた。
さっきまで「乱暴者」の顔で見ていた連中の中に、純粋な興味の光が混じり始める。
その中のひとり、胸に王城文庫の紋章を付けた若い文官が、静かに何かを書き留めていた。
「記録します。要点は3つにまとめておきます」
小さくつぶやいた彼の横顔は、偏見というより、実務の匂いがした。
悪くない。
だが、全員が納得したわけじゃない。
「観測者の錯覚、という可能性は?」
エディオンが、すかさず声を上げる。
「光の線が見えるのは、あなた方だけだ。偶然、同じ位置に何度か手を伸ばしただけかもしれない」
「錯覚なら、同じ場所は2度ほどけない」
俺は短く返す。
「布を替えても、術具を替えても、同じ位置で外れる。そこまで重なったら、俺はもう、偶然とは呼ばない」
「では、広域術にも同じことが言えますか?」
今度は、別の老学者が口を挟んだ。
「都市防衛級の結界などは、何重にも重ねられている。そこに継ぎ目など――」
「全部に効くとは、言ってない」
ミアが遮る。
「ただ、錨っていう物理で触れる場所は、どんなでっかい術でもどっかにはある。そこに届くかどうか、届いたとして、どこまで外すかは……」
「俺たちの仕事だ」
俺は言葉を継いだ。
「全部を無かったことにするんじゃない。避難路をひとつこじ開けるって話なら、現場でやれることはある」
「ほらね」
横から、ノアの声が入る。
「私が退路を分ける。市民を先に引く。レイとミアは危険域だけ短時間で剥がす。それだけの話。暴力じゃなくて、制御と避難の技術よ」
セフェルが、腕を組んで沈黙した。
その表情には、完全な納得とまではいかないまでも、単なる見世物で済ませられない重さが浮かび始めている。
……そこで、だ。
「理論は興味深い」
セフェルはゆっくりと口を開いた。
「しかし、口だけでなく、安全な範囲での実演があればなお結構です。観衆の皆さまにも、より具体的な理解が得られるでしょう」
来たな、という感覚が、背骨を伝って降りてくる。
エディオンが、用意していた紙を取り出した。
「危険物の持ち込みは、本来なら禁止のはずですがね。ここにあるのは、あくまで簡易装飾と写像布のみ。会場の安全を損なわない範囲で――」
その言葉と同時に、彼の視線が一瞬、天井をかすめた。
俺も見上げる。
梁から吊られた薄い布飾り。その裏側に、ごく薄い魔力の膜が張り付いているのが、足裏の感覚で分かった。
張りすぎている。
ちょっとした衝撃で、落ちる。
その瞬間、暴れた無詠唱使いが会場を危険に晒した、という絵が完成する。
……そういう筋書きか。
「レイ」
足元で、小さな金属音がした。
ノアのブーツから、ピンが石床に転がる。
カチリ、と2度。
引き2。
「右2」
彼女が、誰にも聞こえないくらいの声で囁いた。
予定されていた立ち位置から、右に2歩。
そこで、俺は止まる。
「では、その位置で。結界に相当する部分を、破壊せずに外せるかどうか」
エディオンが口の端だけで笑った。
ミアが、袖の中で光のタグを1枚つまむ。
「錨、探すね」
彼女の瞳が、淡く輝いた。
「……うん。天井の飾り、布の裏側に、小さいのが2つ。右側の錨だけ、ここに繋がってる」
ミアは、自分の足元にぺたりとタグを貼る。
そこから伸びた光が、俺の視界の端で線を描き、天井へと伸びていく。
俺はその線を、足裏でなぞる。
張り詰めた糸の、合わせ目。
「じゃあ、やるぞ」
鞘に収めたままの剣に、手を添える。
抜かない。
刃はいらない。
「3、2……今」
呼吸と同時に、1歩踏み込んだ。
剣の柄頭を、空中の何もない場所にそっと押し当てる。
見えない合わせ目に、指先で触れるみたいに。
ほんのわずか、ひねる。
キン、と小さな音がした気がした。
次の瞬間。
天井の装飾の裏に張り付いていた薄い写像布だけが、霧のように溶けて消えた。
飾りそのものは、びくともしない。
会場中から、一斉に息を呑む音が上がった。
「……今のは?」
「仕込まれてた写像布だけ、継ぎ目を外した」
俺は柄から手を離す。
「落ちてこなかったってことは、そういう仕掛けだったってことだろ」
エディオンの顔から、さすがに余裕が消えていた。
セフェルは、しばし言葉を失ったのち、絞り出すように言う。
「誰が、こんな……」
「レイ」
すぐ横で、ミアが袖を握りしめた。
「いまの1歩、踏まなかったの、よかった」
「ああ」
もし予定通りの位置に立っていたら、合わせ目ごと全部を踏み抜いていたかもしれない。
その瞬間、罠を作った側の思惑通り、「無詠唱の暴発」が演出されていただろう。
踏み抜くか、踏まないか。
今日は、踏まない方を選んだ。
その後の質疑応答は、さっきまでよりずっと落ち着いたものになった。
線は本当に実在するのか。錯覚じゃないのか。実務として、どこまで使えるのか。
同じような質問がいくつも飛んでくる。
「錯覚なら、条件を変えたら外れない。外れるなら、そこには何かがある」
俺は、同じことを何度でも短く答えた。
ミアは「全部には効かない」「錨の取り方次第」と、できるだけ正直に線引きをする。
ノアは、「避難路の開通に限って使う」「時間と人員の制約が大きい」と、現実的な運用の枠を示した。
言葉の戦場は、思ったよりも泥くさい。
それでも。
最初に投げつけられた「乱暴者」というラベルは、少なくとも、全部は残らなかったはずだ。
◇
会がひとまずお開きになり、人々が席を立ち始めたころ。
「失礼」
静かな声が、背後からかかった。
振り向くと、さっきメモを取っていた文官が立っていた。年は俺たちとさほど変わらない。
胸元には、王城文庫の紋章。
「王城文庫係の、ヴィオ・エスペンと申します」
彼は胸に手を当て、小さく会釈した。
「記録は取らせていただきました。要点は3つに整理して、上げておきます」
「わざわざ、どうも」
「いえ。実務として、使えるかもしれませんから」
ヴィオは、ほんのわずか口元を緩めた。
「もし、正式な議論の席が必要になったら。通します」
そう言って、彼は小さな短冊を1枚、俺に手渡した。
王城の紋と、簡単な印だけが刻まれた、何の変哲もない木札。
けれど、それはこの街で、閉じているはずの扉をノックするための札だ。
「……借りるかもしれない」
「そのときは、遠慮なく」
ヴィオはそれだけ告げると、群衆の中に紛れていった。
その背を、黒い外套が1つ、じっと見送っている。
袖口に、小さな印。
黒外套の男は、視線だけで誰かと合図を交わすと、音もなく部屋を出て行った。
ミシ、と床が鳴る。
見られている。
サロンの中にも、外にも。
「さ、撤収撤収。話は歩きながら」
ノアが、わざとらしく明るい声を出した。
俺たちは席を立ち、学術サロンをあとにする。
外の空気は、さっきより冷たくなっていた。
「レイ、頭、痛くない?」
「大丈夫だ。お前こそ」
「……ちょっとだけ。解析濃度、上げすぎた」
ミアはこめかみに手を当てて笑った。
「でも、ちゃんと伝わったなら、よかった」
「全部じゃなくても、届くところには届いたさ」
少なくとも、あの文官には。
問題は――届いてほしくない連中にも、届いたことだ。
ギルドに戻る前に、ノアが言い出した。
「ちょっと寄り道」
街路の角にある掲示板。
そこには、いつも通り依頼書だの迷子の張り紙だのが、ごちゃごちゃと貼られている。
その中に、新しい紙片が1枚。
蝋がまだ、柔らかそうに光っている。
「……なあ、ノア」
「読まなくても分かるでしょ」
彼女は、その紙の端を指でつついた。
王都評議会通知。
件名、下水迷宮事案に関する査問。
日付は、明後日。
紙の端が、冷たい風にあおられて、ぴん、と鳴った。
「思ったより、早いな」
「向こうだって、暇じゃないってことでしょ」
ノアが肩をすくめる。
「ま、こっちも準備する時間はある。今日のが、その前哨戦ってこと」
「レイ」
ミアが俺の袖をぎゅっとつかんだ。
「行くの、怖い?」
「怖くなきゃ嘘だな」
正直に答える。
「けど、見られているって分かってるなら、整えて臨むだけだ」
言葉の戦場は、もう始まっている。
なら、次は――あっちの本丸だ。
俺は掲示板の紙から目を離し、息をひとつ吐いた。
そして、明後日の自分に向けて、足裏をもう一度、確かめる。
踏み抜くか、踏まないか。
選ぶのは、いつだって、俺たちだ。
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