第4話 初依頼、薬草と牙
朝のギルドは、紙と革のにおいが強い。
掲示板の端で、地図が継ぎ足されていた。目地がわずかにずれている。誰かが昨夜、追加で貼ったのだろう。
「初依頼は、薬草採取。安全等級は★。帰還優先」
セシルが書類の角をぴたりと揃え、俺の木札に視線を落とす。
俺は剣帯を、半歩ぶんずらした。合図。足、腰、呼吸――3つで1つ。
「必要物資は? 粉チョーク、ロープ、短剣、松明……」
「全部、持ちました」
「よろしい。場所は東の森の浅いところ。癒生草。乾燥重量で1束=乾100グラム、茎20本。10束で基準は0.4G。検収は帰還時。――生き延びるが先。いいわね?」
「了解。規定の中で、勝ちます」
セシルは小さく笑みを落とし、伝票の印欄を指先で示した。2つの丸――ギルド印と治療所印。
俺は頷き、木戸を押した。蝶番が短くきしむ。
ミシ。
◇
東の森は、昨夜の露が残っている。
風は東から西へ。下草の葉先がわずかに押し倒され、斜面は浅く西に落ちていた。
地面の筋。小さな獣の通り道が、細い線になって走っている。
鼻に土の匂い。湿りの層が薄い。今なら足音は殺せる。
「……行く」
声は小さく、短い。
俺は葉を踏まない角度で足を置く。踏むなら葉脈の線に沿って。足、腰、呼吸。半歩。
指先に粉チョークを少し付けて、幹に点を打つ。帰路の目印だ。白い点は、光が弱い朝でも見える。
森の匂いが、1つ変わった。
鉄ではない。脂でもない。湿った獣の匂い。
風の向きがわずかに揺れ、草の縫い目が、ミシ、と鳴る。
「挟むつもりか」
足跡が交差している。回り込み。浅い森でも油断はできない。
俺は段取りを、声にして揃える。
「まず、投石で先頭を引く。次に倒木で列を裂く。最後、斜面で足を殺す。――3、2――1」
◇
1つ目の投石は、鼻先に。
石が低く飛び、空気がピンと鳴る。
先頭の小魔獣が驚いて逸れる。群れの隊列に、ミシと細い割れ目が入った。
「今」
俺は半身で滑り込み、噛みつきの角度をズラす。口の合わせ目を外させ、柄で顎の根をコトと叩く。
非致傷。骨は折らない。頭が跳ね、獣は体勢を崩す。その脇を抜け――
2頭目が倒木に乗りかけて、踏み切り足が空を掴む。
落ち葉の継ぎにわずかな段差。そこで半歩、斜に。
獣の肩が俺の肩を探す前に、俺はもう、肩の線の外にいる。
狙いは噛みつきでも爪でもない。支点だ。
コト。
柄頭が肩の内側を軽く叩く。重心が泳ぎ、倒木が楔になる。
群れの列が、はっきりと裂けた。
「2点目、完了」
息が上がらないうちに斜面へ誘う。
俺はわざと露の多い草むらを踏んで音を作り、そこから1歩で乾いた地面へ。獣は音を追って濡れた方へ――のはずだ。
足裏の摩擦が落ちる瞬間、獣の腰が浮く。
半歩。
肩で体を外しつつ、前脚の合わせにコト。
ミシ。
継ぎがきしみ、体勢が崩れる。転がる音は大きいが、血は出ない。俺は見ない。次の足音だけを聞く。
3つ目の影が躊躇した。列は完全に分断された。
「引く」
声にして自分に命じる。
無理に追わない。ここは採取の依頼だ。戦果ではなく、帰還が目的。
俺は粉チョークで地面に薄く線を引き、危険側へ向く小枝を2本、目印に挿しておく。
帰路のラインが1つ、確定する。
胸の奥でピンと鳴る。線を留める針の音。
◇
斜面を1枚外れた浅い谷に、癒生草の群落があった。
薄い青緑、茎は柔らかいが、水分が多い。根元から折らず、節の上できれいに切る。
俺は茎を20本ずつ束ね、紐でまとめる。湿りを逃がすために、束の間に小枝を1本挟む。
1束。2束。3束。
指が覚えるリズム。
鼻に草の甘い匂い。耳は遠くの足音だけを拾う。
30分ほどで、目標の10束が揃った。乾燥すれば1束100グラム、10束で1000グラム。基準なら0.4Gだ.
「……帰る」
もう少し採れる。けれど、欲張りは線を歪ませる。
俺は白墨で木の根に小さな点を打ち、来た道を戻り始めた。
◇
帰路の小径で、ふと、違和感に足が止まる。
陽の当たり方がおかしいわけじゃない。風も匂いも、さっきと同じ。
ただ――道の真ん中に、乾いた白い輪があった。
「……なんだ」
輪は薄い。粉チョークで描いたような、でも俺の白墨よりも均一で、消えにくそうな質。
落ちているようで、落ちていない。地面の上に、輪だけが乗っている。
風が通っても、輪は揺れない。
俺は近づかない。柄で、輪のつなぎ目をそっと撫でて、音を聞く。
ピン。
ミシ。
どちらでもない、細い、乾いた音。
輪の外側と内側で、地面の目地の響きが、ほんのわずかに違った。
「……音が違う」
学院式の罠。そう断言はしない。けれど、術式の継ぎの気配がある。
輪を跨がず、迂回する。木の根を踏んで高さを作り、ロープで幹を回し、体重を移して、輪の外に足を置く。
何も起きない。
だが、輪は背中に刺さるように、意識に残る。
「戻ったら、伝えておくか」
セシルの顔が浮かぶ。規定の中で、報告を通す。
俺は迂回路の端にも白墨で印を付けた。誰かがここを通るなら、輪の外へ誘導されるように。
◇
門の手前で、保護の鐘が鳴った。昼下がり。
ギルドの受付に10束の束を置くと、乾いた葉の匂いがふわりと広がる。
「等級は……見たままA。束の組み方がきれい。10束=0.4G。端数はS/Cで支払います」
セシルは紙の目地を揃え、二印の欄にペンを置く。
俺は輪のことを話した。位置、見た目、風で揺れないこと、音の違い。無闇に触れなかったこと。
セシルは最後まで口を挟まずに聞き、短く言う。
「報告、感謝。罠の可能性が高いわ。巡回に回す。あなたは、正解。規定の中で外した」
「迂回路にも印を付けました。木の根に白を2つ」
「確認する。――いい目ね」
彼女は書類の角をぴたりと揃え、ギルド印を押す。赤い丸が1つ。
治療所印は、朝の確認の分で既に押されている。2つの丸が並び、支払いが確定した。
硬貨袋が机に置かれる。小さな重み。
生活の音だ。
俺は袋を受け取り、木札を首から戻した。
「他に伝えることは?」
「もう1つだけ。森の浅い斜面、倒木が1本。楔になる位置。あそこは、列を裂ける」
「現場のメモに書いておく。次の人が助かる」
セシルは、それからほんの少しだけ目を細めた。
「――目が生きてる」
短い言葉。俺は黙って頷いた。
◇
夕方、ギルドを出る。
扉の蝶番が、ミシ。半呼吸のあと、もう1度、ミシ。
門は、2度きしむ。
誰かの視線が、今日も背中を撫でた気がした。
けれど、怯えはない。怖いのは、構造が読めないことだけだ。
俺は足を半歩ずらし、石畳の目地をまたぐ。
白い輪が、頭の片隅に残っている。
乾いた音の違い。風が当たらないはずの輪が、風の中で輪のまま、立っていたこと。
あれは罠か、標か。誰が置いた。何のために。
次に通るときには、触れずにほどいてみせる。
規定の中で。選ぶのは、刃じゃない。選択だ。
荷車の軋み。夕餉の匂い。人々の声が柔らかく混ざる。
俺は硬貨袋の重さを確かめ、胸の内で、針をひとつ弾いた。
――ピン。
薄い輪は、まだ、頭の片隅で鳴り続けていた。
お金の計算・支払い方法(ミニ解説)
通貨の単位
1G=100S=10,000C
端数は S/C まできっちり支払い可(四捨五入なし)。
検収の基本(薬草の例)
1束=乾燥100g=茎20本
買取の基準単価:癒生草 1束 = 0.04G
品質係数:A=1.00/B=0.90/C=0.70
→ 実支払 = 0.04G × 束数 × 品質係数
「S/C」は Silver/Copper の略です。
ゴールド(G)の端数を、下位通貨の S と C で精算するという意味で使っています。
通貨換算:1G = 100S = 10,000C(つまり 1S = 100C)
表記の読み方:
0.392G = 39S 2C
1.07G = 1G 7S(= 1G 700C)
0.005G = 50C
用途:支払い金額を小数点のままにせず、S/C単位まできっちり渡す(四捨五入なし)。
要するに、「S/C」はシルバーやカッパーで端数まで払う




