第33話 重ね写像《レイヤード・マップ》
拡声の余韻が胸の骨をコトリと叩いた。
観客席から、押し寄せては引く3拍のざわめき。
審判が掲げた手がゆっくり下がり、会場の空気がわずかに薄くなる。
「公開試合、学院規定に基づき開始する。致傷は禁止。観客保護は最優先。開戦合図は3拍後」
読み上げる声は固いのに、どこか滑らかだった。ここでの勝敗は、技と同じくらい政治だ。俺は深く息を吸い、吐く。足裏で板の継ぎ目を探った。
「レイ、退路標は打った。救護の導線も確保。無茶は計画の外だよ」
横でノアが、許可証の写しを卓にコトリと置く。封紐の結び目はきっちり、いつも通りだ。
俺は頷き、剣帯を指で軽く正した。
「ミア」
「聞こえてる。式は準備済み。錨は君の右足元。合わせ目は1歩前。中央は、踏まないで」
ミアの声が、すこしだけ早い。緊張の裏返しだ。
審判の合図が入る。3、2——。
白い手袋が、パチンと鳴った。アーレン・ヴァルトが片手を軽く持ち上げる。
「重ねる。多層写像、起動」
床の木目が、もう一枚薄く重なった。白墨のリングが2本に見える。柱の影も2重線。世界が半歩ずれた。
俺は踏み出す直前で、足を止める。
「どうした剣士。迷ったか」
アーレンの声は、礼法の教本みたいに整っている。
俺は目を細め、ずれた白線と本物の白線を並べる。視界は正しい顔をして嘘をつく。足裏だけが真実だ。
1歩。
右足が半歩すべり、背中に冷汗が走った。
観客席から、すぐに声が飛ぶ。
「いま当たったぞ!」
「いや、掠っただけだ!」
風圧が肩口を撫でた。当てなくても、負け未満の印象は刻める。これがアーレンの戦い方だ。触れさせない。触れさせずに、削る。
「式、展開。正解の線、出す」
ミアが短く告げると、薄い光の糸が床に走った。
俺の右足元に小さな錨。そこから、前へまっすぐ細線。
視界の2重線を、細線が切り裂く。
「ありがたい」
「気をつけて。第2層は視差撹乱、第3層は……たぶん、投影が甘い。頭痛に来る」
ミアの息がわずかに荒れる。清涼剤を噛む乾いた音が通信に混じった。すぐに落ち着く声に戻る。
俺は細線の外を歩く。中央は踏まない。ここまで、俺の場所は端だと決めている。
アーレンが口元をわずかに緩めた。
「線を引くか。悪くない。だが、その線も私の層に重なる」
彼が袖を払うと、細線の先が2手に割れて見えた。分かれ道に錯覚の標識。
視界が誘う。足が、行きたがる。
俺は踵を落として、床の鳴りを聞いた。コト、コト、ミシ。
ミシ。
そこだけ音が細い。
俺は瞬きもせず、視界の端で3つ、印を拾う。
白線の継ぎ目が、針で刺したみたいに白く尖っている。
アーレンの補助具の角が、層の端でわずかに光をはねる。
拡声の残響が返る壁の角だけ、音の返りが早い。
綴じ鋲は3点。
第3層だけ、薄い。
「ノア」
「聞いてる。観客の導線は維持。切り口は限定して」
「人は壊さない。構造だけ、ほどく」
俺は口にして、自分で納得した。勝ち方は、最初に決める。
アーレンがほんの少し眉を動かす。
「豪語するな。魔力のない君に、層は切れない」
「魔法は斬らない。結び目を、戻すだけだ」
俺は剣を半身に構え、細線の手前で止まる。
視界の2重線が、波のように寄せては返す。
観客席がまた騒がしくなる。
「器物破壊で勝つ気か!」
「人は壊さないって言ってるだろ!」
ざわめきの中で、審判の手だけが静かに動く。境界の結界が薄く光る。
俺は吸って、吐く。呼吸を三拍でそろえる。
細線は、3点へ収束していた。
「ミア」
「錨は固定。合わせ目、もう1歩前。……そこで止めて。次は誘爆する」
「止める」
俺は一歩だけ滑らす。半歩。もう半歩。
床の目地に踵が触れた瞬間、視界のずれが強くなる。
アーレンの手袋が微かに動いた。彼も気づいている。第3層が甘いことを。
「そこだ。逃げれば?」
「逃げない。逃がさない」
剣先で空気を撫でる。振らない。振れば、嘘の線に触れる。
刃は、結び目の向きを読むための触角だ。
俺は刃の重みだけを感じ、角度をほんの少し寝かせる。
ミシ。
視界の薄皮が鳴いた。
俺はそこでやめる。いまは切らない。位置だけ、つかむ。
「第3層だけ、抜く。断章でいく」
「断章?」
「ページを抜くみたいに。3章だけ、削る」
観客席が再びざわつく。意味がわかった者と、わからない者の波が混ざる。
ノアが短く咳払いをして、救護の係員に指でサインを送る。退路は開けてある。
アーレンが笑った。音のない笑みだ。
「では証明しよう。才能こそが正義だと」
「結果で黙らせる。1本でいく」
「1本で?」
「3点、1本」
彼は白手袋を打ち鳴らす。パチン。空気が弾む。
床が、壁が、柱が、3層で震えた。
視界は濁らない。むしろ澄む。嘘が鮮明になっていく。
右肩をかすめる風。
アーレンは触れさせない。その距離で削る。
わかっている。だから踏まない。中央は、踏まない。
「ミア、線を少しだけ、右に」
「修正。……レイ、頭痛は?」
「平気だ。君のほうは」
「清涼剤でゼロ酔いは抑えた。続行できる」
「助かる」
俺は細線の上を歩く。細い橋の上。片足ずつ、置くたびに世界が少しだけ静まる。
視界の端で、観客が息を呑むのがわかる。
剣先を下げ、鋲のうち2つを視線でなぞる。
白線の継ぎ。
補助具の角。
壁の返り。
3つは離れている。だが、視線をつなげば三角形になる。そこに、第3層の綴じが見える。
「ノア、もしもの救護、準備」
「もう動いてる。君は、君の速度で」
「俺は遅れない」
アーレンが近づく。距離を詰めるようでいて、実際には変わらない。層が間にある。
剣の間合いを、彼は巧妙にずらす。
でも、俺の剣は人に向けない。層に向ける。
「諦めろ、ゼロ。そこは届かない」
「届くよ。結び目は、いつも近い」
俺は刃をさらに寝かせ、呼吸を合わせる。3拍。
剣を振らない戦いは、観客には地味に見える。だが、地味でいい。派手さは要らない。切るのは、人じゃない。
ミアが囁く。
「綴じ鋲、見えてるんだね」
「見えてる。聞こえてる」
「なら、やれる」
俺はうなずく。
杖も詠唱もいらない。俺が使うのは半歩と角度、そして決めた順番だけ。
「審判、確認。構造のみ、切除する」
俺が声を上げると、審判は短く頷いた。観客保護の結界が、ひときわ強く光る。
アーレンが一瞬だけ目を細める。
「潔癖か、見栄か」
「段取りだ」
言い切る。
剣先が、最初の鋲に触れる。
ミシ、と鳴る。視界の薄皮が歪み、2重線の片方が息を止めた。
「ひとつ」
息を捨て、次の角へ移る。
アーレンが前に出る。踏み込みの起点だけが重い。層を押してくる。
俺はかわさない。正面から受けず、半歩だけ外す。細線を踏み外さない。
刃が2つ目の鋲に触れる。
コトリ。
音が落ちた。視界の厚みがまた、わずかに薄くなる。
「ふたつ」
観客席のざわめきが、逆に静けさを生む。
アーレンの額に汗が浮かぶ。彼が汗を見せるのは珍しい。層の維持に負荷がかかっている。
「まだ1つ、残っている」
「知ってる。いちばん遠い」
いちばん遠い3つ目の鋲は、壁の角だ。拡声の残響が返る地点。
そこへ届く道は、細くて、狭い。
俺は体を少し捻り、視界のずれを自分の中に取り込む。嘘の線を、手の内に迎える。
近くで、ノアが小さく舌打ちしたのが聞こえた。
無理もない。ここは落ちやすい。やり直しは利かない。
「レイ、中央は踏むなって言ったよね」
「踏んでない。踏まずに届かせる」
アーレンが来る。
白手袋の先がわずかに震える。
俺は剣を下げ、刃の腹で空気を押す。振らない。押すだけ。角度だけ。
「結果で黙らせる」
自分に向けて言う。
足裏が、3拍を刻む。
ミアの導線が、最後の鋲へ細くつながった。
「ミア、カウント」
「了解。……3」
俺は最後の一歩を、ためる。
世界が、いやに静かだ。観客席の誰かが喉を鳴らす音まで聞こえる。
「2」
刃が、結び目の角度に沿って落ちる。
アーレンの視線がこちらに刺さる。
白い指先が動く。
視界が波打ち、砂が落ちる音だけが残った。
——1。
その手前で、俺は止めた。
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