第31話 学院公開試合の招待状
朝の湯気と、赤い封蝋の色が似合わない。
王都ギルドの玄関先、受け取り台に置かれた封筒を、俺は指の腹で撫でた。封蝋の割れ目は細い継ぎ目になっていて、そこだけが冷たい。群衆の視線は相変わらずだ。ゼロ魔力の噂は、温かいスープより口当たりがいいらしい。
「読むぞ」
俺が言うと、隣のノアが軽く頷き、ミアは肩をすくめた。封紐を引くと、コトリと小さな音がして、紙片が机の上に落ちる。
「学院からの、公開試合への公式招待状。期日は近い。観客の前で、だね」
「公開演武じゃなくて、公開試合か」
「うん。言葉が違えば、刃も違う」
ノアが文面を走査する指の先で、句点ごと意味を折り畳んでいく。条件が列挙されていた。致傷行為の厳禁。過剰な破壊の禁止。観客保護の結界を守ること。曖昧なのは、術式枠に対する扱いだった。
「構築物、媒体、補助具への干渉は……記載なし」
「穴だな」
俺は封蝋の継ぎ目をもう一度なぞった。
壊すのは人ではなく、魔法の骨組み。その線は、まだ文になっていない。
「交渉に移ろう。言葉の方を先に整える」
ノアの提案に、俺は頷いた。
◇
ギルド応接室には、薄い紙と薄い笑顔が似合う。学院側の書記は、整えられすぎた髪型で、文書の束を前に置いた。
「安全条項の確認からさせてください。致傷行為は厳禁、公開の場ですので」
「了解。だが、こちらの戦術は観客の安全を最優先にする。そのための追記が必要だ」
ノアがひと呼吸で畳みかける。
「媒体、すなわち杖、触媒、詠唱補助具、および術式枠へ限定した干渉は、試合の勝敗判定に含む。人的損耗はゼロであるべきだ。これを条文に」
「器物破壊を勝ち筋に、ということですか」
「観客がいる。象徴としての破壊なら、誰も血を流さない」
書記は迷い、羽根ペンの先で欄外を叩いた。ピン、と乾いた合図が机に跳ねる。
やがて小さく頷き、追記の文言を記す。字体はきれいで、感情は薄い。
「写しを。費用は」
「写し代は0G10S」
ノアが財布から銀を出す。経理のノアはこういう時、手首が速い。
「では、規定はこれで」
書記が去る。蝶番がミシと鳴る。扉の向こうに視線の気配だけが残った。
俺は立ち上がる。
「廊下を見てくる」
◇
誰もいない通路には、置き忘れの符札が1枚。切り口は恐ろしいほど直線で、刃の目が出ていない。学院式の手癖だ。
拾い上げる前に、扉がまたミシと鳴った。確認、だけの音。俺は札を戻す。
「見ていたな」
「見せたんだよ。条文も、穴も」
戻るとノアが肩を回して言う。ミアは窓から差す光を指先で掬っていた。
「じゃ、合わせ目の稽古ね」
「裏庭でやる」
◇
裏庭は石畳がまだ冷たい。標的は木の棒に布を巻いた簡易の杖。ミアが間合いに入って、短くコールする。
「式、展開。糸をほどくように。錨は右足元、距離1.5」
俺は呼吸を3つに割った。
1拍で踏む。2拍目で無心。3拍目の手前、その継ぎ目を斬る。
「3、2——1」
空気の手触りが変わる。見えない刃で、杖の芯だけを断った。木の皮は残り、布も裂けない。芯が折れると、道具の自尊心だけが小さく泣いた。コトリ。
ミアが目を瞬く。
「視えた。いける。……うっ」
ゼロの渦に近づくと、ミアは時々、酔う。今日は1拍ぶんだけ、世界が揺れたようだ。俺は手で合図する。
「無理はしない。順番は守る」
「順番、逆ゥ、ってノアが言うやつね」
「言いそうだろ」
ノアはもう次の段取りを紙に描いている。机代わりの木箱に会場図の写しを置き、光タグの位置、退路、補助具の数、足りない油。全部、現実だ。
「光タグは残り8。補充は明日。油は0.5瓶。許可証の写しはここ」
「ありがたい。細い道も、紙にすれば太くなる」
俺は折れた芯を足で押し、繊維の向きと音を覚える。これで充分、勝ち筋は見えた。
あとは、世間がどう騒ぐかだ。
◇
夕刻、学院前の広場はざわついていた。掲示板に規定が貼られ、さっき追記した文言が、もう印刷されている。
「器物破壊で勝つ気かよ」
「いや、安全のためだろ。観客の前だぞ」
「そもそもゼロ魔力って反則じゃ」
「規定内なら、正しいさ」
声は2つに割れて、同じ強さでぶつかる。ノアは掲示板の前で時計を見るみたいに短く満足げだった。
「炎上は風になる。風は看板を読ませる」
「読んで、納得して、見に来るわけだ」
「うん。君の一撃を見るために」
ミアが小さく笑う。俺は掲示板に近づいて、条文の紙の端をなでた。インクの匂いはまだ新しい。
視線を感じる。振り向くと、人の壁が割れて、手袋の音が響いた。
パチン。
「アーレン」
舞台の階段に片足を掛けた青年が、俺たちにまっすぐ顔を向ける。学院の優等生。定規で測ったような姿勢。その目は、誰の評価も拒まず、誰の限界も信じない。
「証明します。才能こそが正義だと」
広場の音が一瞬だけ止まった。目立つ宣言は、よく目立つ場所で言うと決めているらしい。
俺は鼻で笑って、踊り場に上がる。舞台板の合わせ目をつま先で踏む。板は3枚の継ぎで組まれ、中央に薄い隙間がある。そこに音がいる。
「なら、斬ればいいだけだろ」
アーレンが眉をわずかに上げる。
「あなたの、ゼロの刃で」
「そうだ。文と線、両方切る」
彼はその言葉の形を確認するみたいに、少しだけ頷いた。
遠巻きの学生たちが、また囁き合う。ピン、とどこかで看板の釘が鳴った。
「規定は読んだね」
「もちろん。器物破壊で、勝てるものなら」
アーレンは手袋を引き締めてから、踵を返した。階段を降りる足音が、広場の石に同じ間隔で落ちる。乱れがない。
俺は舞台板の隙間に視線を落とし、そこに息を置く。合わせ目はいつでも、世界の入口だ。
◇
夜、ギルドの机に会場図を広げた。ノアが光タグを1枚ずつ置いていく。ミアが退路のロープを指で辿る。
「受諾の文面、書くよ。短くていい」
「ああ。短い方が刃になる」
ペン先が紙の上を滑る。
規定内で勝利する。以上。
それだけ書くと、余白が広く見えた。余白は風通しで、風通しは視界になる。
ノアが封紐を結び直し、結び目を親指で押さえる。
「よし。出す」
「会場の下見は明朝ね」
「板の合わせ目は3本、中央の釘は1本浮いていた。あの音は覚えておけ」
「了解。錨は右足元。距離は2.0」
俺は頷いて、窓の外に目をやる。夜の王都には、張り直された糸がたくさんある。その1本1本に、人と策と、悪意と希望が結び付いている。
俺の刃はそれを切る。結び直すために。
「レイ」
ミアが顔だけこちらに向ける。
俺は言葉を少しだけ吟味して、短く返した。
「1本でいく。終わり。次だ」
ノアが笑った。机の上の光タグが、呼吸するように瞬く。
明日の公開試合は、世間が見守る。視線は重い。けれど重みがあるものほど、継ぎ目ははっきり見える。
封蝋の割れ目を思い出しながら、俺はペンを置いた。
ピン。コトリ。ミシ。
音は揃った。あとは、切るだけだ。
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