第30話 問題解決、魔導具の腹を読む
白線で囲まれた審査場は、朝の光を飲み込んで静かだった。砂時計が細い音を立てて落ち、公開記録板には課題名が大書されている。緑布の救護席に医師が座り、距離ロープの外では見物人が息を潜めた。空気は薄い膜のようで、触れば破れそうだ。
俺は白線の外、半歩だけ剣帯をずらして立つ。深く吸って、3拍で吐く。壊さない。致傷させない。規定の中で、確実に止める。剣の柄巻きが手の内に落ち着き、指先から余計な力が消えた。
ラウラが板書の前に立ち、澄んだ声で告げた。
「本日の最終審査。課題は故障個体の停止。破壊は禁止、致傷は厳禁。すべての手順と結果は公開記録されます」
ざわつきが波の縁のように広がり、すぐ引いた。制度という盾が、ここでは剣より重い。
審査官が白線の内側に1歩進む。
「条件は明確だ。対象は3層式の魔導ゴーレム。停止させよ。ただし破壊は1点でも失格だ」
「了解した」
俺は短く返す。壊すより難しいことを、俺は選ぶ。
ミアが近寄り、小声で囁く。
「フォーミュラサイト展開する。視界、開けるよ」
指先から立ち上る光の図面が、ゴーレムの腹部に点線を描いた。金属の鈍い体躯。胸板の下から脚へ、複雑な供給路が走っているのが見える。
「3層式。触媒核は中央、錨は右足元。供給路は2重化、上の段と下の段が噛んでる」
「助かる」
情報は刃を軽くする。俺は視線で点線をなぞり、狙いを絞った。
ノアが退路標の杭を打つ乾いた音がした。
「倒れる想定、右側に2歩。医師導線はここ。観客はロープから出さない」
「在庫表の更新は?」
「3日前倒しで補充済み。工具も予備もある。だから落ち着いて止めて」
段取りが背を支える。俺はうなずいた。
観客の中から声が飛ぶ。
「壊せないなら、どうやって止めるんだ」
ラウラが振り返らずに答えた。
「規定をご確認ください。破壊は盾の外、審査の対象外です」
矢のような視線がいくつも俺に刺さる。良い。見ていろ。
俺は低く息を整え、ミアに問う。
「第3層の接合点はどこだ」
「腹の奥、ここ。綴じ鋲が3本。角度が悪いと上層に響く」
「本文だけ剥ぐ。錨は残す」
ミアが目を丸くして笑った。
「いつも通りだね」
「いつも通りで勝つ」
審査官の合図で砂時計がひっくり返された。細い砂の柱が落ちはじめる。
「開始」
ゴーレムが唸り、胸板の紋様が淡く光る。故障個体とはいえ、膂力は十分だ。俺は白線を踏まないまま、半歩だけ角度を越える。表拍は捨てる。裏で踏む。足裏に白線の冷たさが浮かび、世界が静かに寄ってきた。
「レイ」
ミアの声が背に触れる。
「右足元の錨、絶対に触らないで。第3層を外せば供給路が空回りする」
「了解」
呼吸が3拍で整う。ピン——と空気が張る音がした。俺の中で、時間が見やすい形になっていく。
ゴーレムの腕がわずかに上がった。先に動いたのは向こう。間合いの境界が、こちらに滑ってくる。俺は半歩、さらに半歩。重心が沈む。刃は鞘の中でわずかに鳴り、手の内がそれに応えた。
「待って、そこはだめ」
ミアの手が振られ、光の点線が1呼吸分だけ揺れる。
「その角度は誘爆する。綴じ鋲を半寸ずらして」
「受けた」
狙いを修正する。綴じ目の紙を1枚だけ抜くように、刃先の思考を変える。
観客の息が止まる。ノアの靴が砂を踏む音が遠い。俺は刃を上げない。上げずに、当たる位置まで寄せる。構造線を読む。第3層だけ、本文だけ、剥ぐ。
ゴーレムの拳が落ちる寸前、俺は囁く。
「数える。3、2——1」
半歩。肩甲骨が滑り、肘が脱力する。刃は触れない。触れないまま、綴じ鋲だけに触れる。ミシ、と紙の繊維がほどける感触が手の中に伝わった。
《断章》
カチン、と小さな音が空気を貫き、第3層がページごと抜け落ちた。供給路が1瞬空回りし、光が胸板で迷子になる。ゴーレムの脚から力が抜け、体躯が自重に負けてコトリと座り込んだ。
砂時計の砂はまだ半分も落ちていない。俺は呼吸を戻し、白線から下がった。刃は1度も対象の身を割っていない。触れさせたのは、綴じ鋲だけだ。
審査官が手を上げるより早く、医師が動いた。脈を測る必要もないが、儀式は大事だ。医師は頷き、短く告げる。
「継戦不可。致傷なし」
審査官が続ける。
「反則なし、1本」
ざわめきが戻ってきた。歓声というより、吸い込まれるような沈黙が先で、その後から拍手が追いかけてくる。ラウラが記録板に2重線を引いた。筆圧の重さが場を締める。
そこへ低い声が重なった。ギルベルトだ。
「風は騒ぐ。だが石は覚えている。壊さず止めた手を、記録が証明する」
観客の部がうなずき、別の一部は顔をしかめる。非人道だと言う者もいる。甘いと吐き捨てる者もいる。けれど記録は1枚。2重線の上に、俺の名が残る。
ノアが退路標を回収しながら言う。
「撤収開始。補充は3日前倒しで回す。ラウラ、記録の控えをもう1部」
「了解。公開用の摘要も付けておきます」
ミアがこちらに駆け寄り、目だけで笑う。
「ね、やっぱり本文だけ剥がした。錨は触ってない。綺麗に止まった」
「ミアの点線が良かった」
「もっと褒めていいよ」
「十分だ」
短い会話で、長い準備の全部を確かめ合う。俺たちはいつも、これでいい。
その時、距離ロープの外でひとりが手を上げた。濃紺の外套、使者の印。会釈をひとつして、審査官の許可を得ると白線の手前まで来る。
「王都学院よりの使いです。公開試合の申し入れをお持ちしました」
ざわめきがまたひと波立つ。公開試合。学院の名が付く催しは人が集まり、規定が厚く、記録が長い。つまり、盾が強い。
ラウラが慎重に尋ねる。
「競技規定は事前公開、審判は2者、いえ第三者、破壊禁止は堅持でよろしいですね」
「無論」
使者は巻紙を差し出す。封蝋を割る音が、場に小さく弾けた。
ノアが横から囁く。
「受けるの?」
「受ける」
俺は巻紙を読み、署名欄の位置を確かめる。視線でミアに合図を送ると、彼女はもう光の点線を薄く走らせていた。段取りは先に置くものだ。
「規定の中で、勝つ」
観客が互いを見やった。何人かは興奮し、何人かは冷笑した。どちらでもいい。俺の足は白線の外にあり、剣帯は半歩ずれたままだ。砂時計の砂が最後の1粒になるまで、場はまだ審査場の顔をしている。
ギルベルトが胸の前で腕を組み、低く言った。
「次は広いところだ。風当たりも、追い風も強くなる」
「なら、石で覚えさせればいい」
「強情だな」
「いつも通りだ」
ラウラが記録板の前で筆を止める。
「本件、公開記録は即日掲示。意義申し立ては明日の日没まで受理」
「異議は来る?」
ノアが尋ね、ラウラは肩をすくめた。
「来るでしょうね。でも規定は盾です」
「盾を押す力には、盾で応えるだけだ」
俺が言うと、ミアが指で空をつついた。
「じゃあ私は、次の試合の図面を集めてくる。相手は学院、きっと層の重ね方が綺麗」
「綺麗なら、剥がす手応えも綺麗だ」
俺たちは道具を片づけた。退路標は布に包み、光タグの予備は数を数えて箱に戻す。ノアが在庫表に数字を書き込むたび、仕事の骨が太くなる感じがした。
白線が消えかける頃、審査場の空気は薄い膜のまま、しかし少し暖かくなっていた。俺は柄巻きに親指を当て、最後にもう1度だけ確かめる。壊さず、致傷させず、要だけ外す。俺のやり方は、記録に残り、人に残る。
使者が深く礼をした。
「では、後日詳細を持参します」
「待っている」
俺は頷き、巻紙をラウラに渡す。彼女は丁寧に封筒へ収め、掲示用の控えを別にした。
観客がばらばらに、ロープの外に去っていく。誰かが小さく言った。
「壊さないで止めるなんて、つまらない」
別の誰かが返す。
「だからいい。記録に残るから、何度でも読み返せる」
俺は笑わない。けれど心のどこかが、少しだけ軽くなった。
砂時計が静かに止まり、審査官が閉場を告げる。俺たちは白線に1礼し、背を向けた。次は学院の公開試合。規定は厚く、目は多い。望むところだ。
歩き出した足が自然に半歩ずれ、呼吸が3拍で落ちる。ピン、ミシ、カチン、コトリ。手の内で、見えない音が順に鳴る。俺は振り返らずに言った。
「行こう」
「うん」
ミアが並び、ノアが後ろで足並みを合わせる。ギルベルトとラウラの視線が背に優しい重さで乗った。
規定の中で、勝つ。それは窮屈でも退屈でもない。選んだ道を、選んだやり方で、堂々と抜けていくための型だ。俺はその型を、今日も更新する。
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