第29話 模擬戦、媒体を落とせ
白墨で引かれた円が足元に横たわっている。薄い砂の上、白い線は檻じゃない。俺が進む角度を決めるためのピンだ。
係員が砂時計を机に置いた。ガラスが木に触れて、軽いコトリ。会場の空気が、そこに固定されたみたいに静まる。
「規定の復唱。観客距離は3歩以上、致傷は禁止、媒体破損は不問」
ノアが淡々と言って、救護の緑布と担架の位置を指さす。
「記録は行為のみ。暴言も減点」
「了解。1本でいく。ミア、弱点を出せ」
相手はギルドの術士。灰色の袖、木の杖。短詠唱で簡易障壁を張ってから、押し切るタイプだ。杖に吊られた銀のタグが、揺れの周期を教えてくれる。
詠唱の第1声が上がる前、ミアの瞳が透明になる。構造視が開く音は聞こえない。ただ彼女の声が、まっすぐ届く。
「合わせ目、左前。錨は右足元。詠唱は3拍子。タ、タ、タア」
「3、2——1」
俺は剣帯を半歩ずらし、腰を折る。歩幅は半寸。伸びの逃げ道を先に置く。
術士が息を吸う。タ。杖先がわずかに跳ね、障壁が皮膚みたいに張り始める。タ。合わせ目が白線に重なりかけた。ここが継ぎ目、ミシの音が潜む場所。
「待って。今の角度は誘爆する」
ミアの声が鋭くなる。
「足、半寸ずれてる。右膝が甘い」
相手が右へ送った足で、合わせ目の位置が半寸流れた。小さなズレだ。けど小さなズレほど、怖い。刃の角度ひとつで、障壁の張力は暴れる。
観客席のどこかで、喉が鳴る。砂時計の砂がさらりと落ちる。
タア——。
詠唱が完成する半拍前。表の拍に穴があく。その空席に、俺は《無幻歩》で降りる。足裏が拍から外れ、影の一歩へ滑り込む。
世界の目地が半目でずれた。ゼロ酔いの吐き気が喉に上がり、俺は一呼吸で押し戻す。
「今、詠唱が遅れた?」
「いや、あれは——」
ざわめきが背中を撫でる。誤読してくれていい。読まれなければ、こちらの勝ち筋は太る。
俺は正面。相手の杖手に逃げ道を与えるよう、柄頭をゆっくり撫で上げた。まずは固定。
次に誘導。撫でる角度で、手首を合わせ目に寄せさせる。人は触れられた方向へ、わずかに流れる。
そして、決着。
支点だけを、コトリ。
ほんの小さな音。けれど世界は音の小ささに弱い。張力は小さな外しに崩れる。杖の重心が座り、掌からすべり落ちた。木片が砂に刺さって、鈍い音をひとつ。
障壁の光が、薄皮のように縮んで消える。
「反則なし、1本」
審判の木槌が鳴る。俺は刃をわずかに下げ、剣帯を元の位置に戻した。
「今、合わせ目を抜いたぞ」
「いや運だろ。詠唱が遅れただけだ」
観客席のコーラスは二極に割れ、混じり合わない。混じらないまま、音だけが天井に溜まっていく。
「終わり。次」
俺が短く言うと、ミアが息を吐いた。
「危なかった。右膝の甘さで、張力が片寄ってた。あの角度で踏み込んだら、誘爆してた」
「だから半拍、裏に降りた。ありがとな」
ノアが板書を読み上げる。
「記録。受験者勝利。致傷なし、媒体破損のみ」
審判が頷き、救護係が担架の布を整える。術士は苦笑して、欠けた杖尻を拾い上げた。
「見事だ。握りが軽かったのは認める。勉強になるよ」
「媒体は貸与品。費用計上は不要」
ノアがいつもの声に戻る。
「在庫、光タグは2。閾値は3だから、戻ったら補充。ピンは5でギリ」
「わかった。今日は使わずに済ませたい」
俺は剣の柄を撫でながら、円の外に1歩出る。白線の手前で止まるのは癖だ。線は踏まない。線は読むものだ。
砂時計の砂が、底で小さな丘を作っている。
俺の耳は、まださっきのコトリを握っていた。支点だけを外す感触。指先が覚えた重さ。
あれは運じゃない。構造だ。縫い目のどこに針を入れるか、その話だ。
「レイ」
ミアが小声で寄ってくる。
「視えてた。合わせ目が、白線と重なった瞬間。怖かったけど綺麗だった」
「綺麗で終わればいい。次でもう1回やれと言われたら、嫌だ」
「それ、かっこつけ方のセンスが古い」
「うるさい」
笑い合って、すぐ真顔に戻る。試験は連続だ。遊んでいる暇はない。
係員が机の上の板を裏返した。太い字で新しい課題が出る前に、扉の蝶番が小さく鳴いた。
ミシ。
半拍遅れて、もう1度ミシ。
黒い外套の裾が視界の端を横切り、観客席の奥へ消える。顔は見えない。だが、継ぎ目の音だけが残った。
「ノア。黒外套、運営か?」
「名簿にはない。出入り記録にマークしておく」
審査官が木箱を運び、鍵を外した。蓋が開くと、冷たい光がふわりと上がる。
箱の中には、3層式の魔導ゴーレム核が座っていた。外層は回転する術式盤。中層に安定化の錨。最奥に脈打つ光の珠。
ミアが1歩、俺の後ろに寄る。視界の色がまた薄くなる。
「最終課題」
審査官の声が、板に書かれる前に先に届く。
「魔導具を——壊さず、止めろ」
観客がざわつき、すぐ静まる。誰もが息を呑み、砂時計の砂の音だけが残る。
ノアが手帳をめくる。
「規定に追加。外装の傷は不問、核への損傷は失格。外部からの干渉具は貸与なし。場内使用は光タグのみ」
「光タグ2。ピンは5。足りる?」
「足りる。けど、本命は使わないはずだろ」
「もちろん」
俺は箱の縁に指を添え、目地を探す。外層の盤に刻まれた線は、飾りじゃない。読みやすいように、わざと露出してある。
盤の回転は一定ではない。3段階で速度が変わり、合わせ目が交互に浮く。ミシの合唱。
錨は中層の3点。そこから最奥の珠へ、細い系が走っている。引けば千切れるが、押しても潰れる。
壊したら負け。壊さずに、止める。
「なあレイ、顔が怖い」
ミアが冗談めかして笑う。
「怖いのはいつもだ」
「うん、いつもだ」
彼女の声は震えていない。俺も震えない。震えが必要なら、後でやる。
審査官が砂時計をひっくり返す。コトリ。
砂が流れ始めたところで、ノアが小声で耳打ちした。
「黒外套、まだいる。扉の影。視線だけ投げて、動かない」
「放っとけ。今は箱だ」
俺は息を3拍で整える。タ、タ、タア。
外層の盤がひとつ回り切る。合わせ目が左前に寄る。さっきと同じだ。世界は繰り返す。なら繰り返しに、別の針を入れればいい。
「読む。章だけ外す」
俺は刀身を抜かない。柄だけを軽く持ち、盤の縁を一撫で。回転の癖が指に移る。
外層が次の小節を迎える半拍前、俺は《無幻歩》の気配だけを作り、足の裏で影の拍を踏む。移動はしない。ただ世界に、裏拍の穴があることだけ知らせる。
盤が体勢を崩す。崩れたのは、ほんの半寸。けれど半寸は十分だ。
「ミア」
「行ける。外、内、内。順を守れば安全」
俺は柄頭で、支点だけを——
コトリ。
盤がわずかに座り、中層の錨の1本が、力の通り道を失う。最奥の珠が微かに明滅を遅らせる。
止まってはいない。けれど、止まるための場所が生まれた。そこにもう1本、針を入れる。
脳が少しだけ揺れて、ゼロ酔いの気配がくすぐる。一呼吸で戻す。
「レイ」
ノアの声が遠くなる。観客の音は消えている。
俺はもう一度、柄で縁を撫でる。誘導。錨が自分で寄ってくる。
そして、3つ目。
コトリ。
箱の中の光が、ふっと薄くなる。
まだ、止まってはいない。けれど、止め方はわかった。章だけ外して、物語を動かなくする。
砂時計の砂は、まだ残っている。審査官の目は、まだ瞬きを我慢している。
そこで、扉がミシと鳴った。
黒外套の裾が再び揺れ、今度は1歩だけ前へ出る。観客の息が揺れるのが、背中でわかる。
誰だ。何を見たい。俺が何を外すのかを、確かめに来たのか。
「続きは本試で出す」
審査官が静かに言った。
「ここで止め切るかは問わない。方法の提示があれば可。だが——」
「壊さず、止めろ。だな」
俺は箱から指を離し、剣帯を握った。
「次でやる。結果で黙らせる。規定内でな」
ミアがうなずく。ノアが手帳を閉じる。
砂時計の最後の砂が落ちる直前、会場の空気がもう一度固まった。
俺は黒外套の気配を横目に、箱を見据える。縫い目は見えた。目地は半目だ。章は外れる。
暗転の合図みたいに、最後の砂がコトリと座った。
俺は息を吐く。
「読む。章だけ外す」
次の拍で、物語は止まる。止めてみせる。壊さずに。
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