第27話 王都ギルド査定、規格外
蝋の匂いが残る測定室で、細い針は最初から最後まで沈黙していた。
壁時計の振り子が鳴るたび、無言の否定が一つ増える気がする。
計測係の男が札を外し、乾いた声で告げた。
「記録、ゼロ。以上」
札が板に触れて、コトリとふくらはぎに響く小さな音を出した。
俺はうなずき、剣帯に指を引っかけてから言う。
「それでいい。次を」
男の目が一瞬だけ揺れた。驚きか、軽蔑か。判別はいらない。
数字が動かないなら、見せる場所を変えればいい。ただそれだけだ。
扉の向こうで扉金具の蝶番がミシ、とひと鳴りした。
誰かが覗いている。見ない。ここで見るべきは針でも影でもない。
ラウラが帳面を抱えて入ってきた。受付の制服は糸の張りがよく、角がどれもピンと立っている。
「では、審議室へ。特例の申請が通りました」
「早いな」
「前例はあります。稀ですが」
彼女の靴音に合わせて歩く。廊下の石目が真っすぐつながり、俺たちを長机のある部屋へ誘導する。
審議室には既に数名。ギルド長のギルベルト、白衣の医師、そして判定の印を押す査定官。机の端には笛と砂時計。
窓の外、観覧席側の扉がわずかに開いて、また蝶番がミシと鳴った。音だけ。姿は見せない。
「始めるぞ」
ギルベルトが白墨を取り、黒板の上部を空けた。
ラウラが規定集を開く。角が机に触れてピン、と小さな弾け。
「特例1号。魔力計測不能な者に対する物理戦術審査。項目は3つ」
白墨が黒板を走り、条件が並ぶ。
「1、反応試験。2、対人試験。3、問題解決試験」
続けて安全条項が板書される。
「観客距離は最短3歩。致傷行為は禁止。媒体の破損は不問。医師立会い必須。全記録は公開」
ギルベルトが白墨を置いた。こめかみの皺は深いが、声は平板だ。
「規定は盾であり、土俵でもある。盾を踏み台にするかはお前次第だ」
ラウラがこちらを見る。俺は短く、はっきりと宣言した。
「受ける。規定の中で、勝つ」
審査官が目録をめくった。紙が擦れる音が乾燥した空気を裂き、医師が聴診器を指で弾く。
ノアが手を挙げる。背丈のわりに通る声だ。
「救護導線と補給、3つ先の工程まで申請済みです。記録書式も合わせておきました」
「助かる」
ミアは俺の横で、指先を軽く鳴らしていた。リズムがある。3拍で吸って、3拍で吐く、あのテンポ。
彼女は額の前で指を止め、言う。
「線は引ける。負荷が上がったら、私が中止コールを出す。無理はしないで」
「1本でいく。弱点を出せ」
「了解。ピン、ミシ、コトリで合図する」
音の辞書は互いの癖の集合体だ。細く短い語彙は、戦場で長い説明よりよほど役に立つ。
合意の判を押す音がいくつも重なり、審議室は段取りの匂いで満ちていく。
ギルベルトが最後の書類を整え、机の上を手の甲で払った。
「では整地に入る。控えへ」
廊下に出ると、回廊の白線が入口から査定場の中心へ伸びている。
救護の赤い旗、補給箱の印、退避経路。ノアが先にそれらを指差し確認していく。
「救護担当、医師2名。観覧席は北側。記録係は2班構成。補給はこの箱、盾の予備は2枚。搬出路はここ」
「搬出は要らない」
「万一のためだよ」
「分かってる」
俺は剣帯を半歩分ずらして締め直す。腰骨と鞘の角度が、いつもの位置にカチリと収まる。
呼吸を合わせる。3、2、1で腹に落とす。拍はこっちで刻む。
ミアが俺の背に視線を置いたまま、低く囁いた。
「観覧席、右奥。蝶番がずっと微妙に鳴ってる。誰かいる」
「音だけでいい」
影がいるなら、その影に向けて見せてやればいい。
規定内で勝つ。勝ちの形は最初から決まっていない。
決まっていないなら、決めるのはこっちだ。
控えの壁に貼られた見取り図は簡素だ。外周に観覧席、中央は砂地、南に小さな木製の台。
試験の順序、吹き鳴らしの笛、砂時計の上下。
俺は図の隅に指を置き、3つの試験を線でつないだ。
反応。対人。問題解決。
それぞれの終わりに、わざと小さく丸を付ける。終止ではない印。
次につなげるための継ぎ目だ。そこを引けば、前も後ろも動く。
「レイ」
ノアが少しだけ笑った。張り詰めた糸の端を、指でなでるような笑い方だ。
「公開記録だから、変な編集は入らないはず。ぜんぶ見せられる」
「全部、だな」
「うん。ぜんぶ」
公開は刃だ。鈍い噂は切れず、鋭い動きだけが残る。
ギルドは風評に弱いが、足跡は石に残る。だったら足跡を刻めばいい。
査定場の扉が開き、日光が流れ込む。砂地のきめがきれいに起きている。
観覧席に人影が集まっていく。衛兵、冒険者、書記。
匿名の視線は冷ややかだ。熱はない。だが熱はこっちにある。
ミアが一歩前に出て、砂地の一角を見つめた。
瞳がわずかに収束し、彼女の中の何かが線を引き始める。
俺は肩越しにだけそれを感じ、正面へ戻る。
審査官が笛と砂時計を持って現れた。
白衣の医師が担架の足を確かめ、ギルベルトは観覧席に向かい一礼する。
ラウラは書類を胸に抱えて立つ。角はやはりぴったり揃っている。
「告示する。これより、特例1号にもとづく物理戦術審査を開始する」
審査官の声が砂地に落ちる。観覧席がさざめいた。
いくつかの言葉が混ざって届く。
「噂のゼロだ」「偶然じゃなかったのか」「公開だとよ」
言葉は風だ。俺の足の下で砂は沈まず、硬く締まっている。
ギルベルトがこちらへ視線を寄越し、目だけで問う。準備はどうだ、と。
「問題ない」
ミアが続ける。「線、引けた」
審査官が条件を復唱する。口調は機械的だが、言葉は重い。
「観客距離は最短3歩。致傷禁止。媒体の破損は不問。医師立会い。全記録は公開」
「確認した」
「では、第1試験。反応試験。対象者、前へ」
俺は砂地へ踏み出す。粒の傾きが靴底を通じて伝わる。
剣帯をもう一度だけ半歩分、ずらす。
鞘が腰のくぼみに確実に触れる位置。ここだ。
ミアの声が背に触れた。
「ピン」
短い合図。糸の頭を指でとめる音。
俺は呼吸を整え、視界の縁を静かに落とす。
余計なものを切り落とすのではない。必要なものの輪郭を濃くしていく。
扉の方でまた蝶番が鳴った。ミシ。
影はいる。見る者がいる。なら、見せる。
審査官が砂時計に手をかけ、もう一方の手で笛を持ち上げる。
ギルベルトが観覧席に向かってわずかに顎を引いた。
医師は担架の位置を修正する。ノアが最終の書類をラウラに渡した。
俺は口の中で拍を置く。
「3、2——1」
砂時計がひっくり返され、金色の粒が一斉に落ちはじめる。
笛に空気が吸い込まれ、鋭い音になる寸前の張りが場全体を研ぐ。
観覧席のざわめきがそこで切れる。静寂という薄い膜が、砂地を覆った。
ここから先は、規定の中でやる。
外側に逃げない。線に沿って、線を斬る。
記録は残る。噂ではなく、動きが残る。
俺はつま先に重心を置き、すり足一枚ぶんだけ前へ。
鞘の口が、砂の匂いを小さく吸った。
「結果で黙らせる」
小声で言った言葉は俺だけに届き、胸骨の裏で止まった。
笛の音が来る。その直前で場が暗転したように、視界の縁がさらに静まる。
音が色になる手前。色が形になる直前。
砂は落ちる。笛は鳴る。
反応試験は、これからだ。
いいよ、見ていろ。
規定内で勝つということが、どういう形をしているか。
次の拍で、俺は踏み出す。
♢
回廊へ戻る直前のことを、あとから俺は何度も思い返す。
砂時計が反転する直前、観覧席の影がわずかに揺れた。
蝶番は鳴らなかった。代わりに、布が擦れた。
音の辞書にない新しい音。記録には、きっと残らない微細な気配。
それでも、道筋は変わらない。
反応、対人、問題解決。3つの継ぎ目を順に外し、順に結び直す。
公開記録がそれを証明する。
噂を裁くのは、数字ではない。行為だ。
笛が、空を裂く。
暗転。
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