第3話 落ちこぼれの査定試験
朝の鐘が1本、澄んだ音を残して消えた。
第1試験場。土の広場の中央に、白墨で描かれた円。掲示板には太い字で「観客距離 3歩」「医師立会い」。セシルの字だ。角が揃っていて、無駄がない。
俺は剣帯を、半歩ぶんずらす。合図。足、腰、呼吸――3つで1つ。
紙の端に並ぶ2つの赤い丸、ギルド印と治療所印が、朝日に薄く光った。昨日の二印。
隅に立つ主任査定官は、無表情で巻物を開く。短く刈った髪、硬い靴音。
「臨時査定、特例1号。記録は私が行う。致傷行為は禁止。貸与媒体の破損は不問。観客は白線外。質問は?」
俺は首を横に振る。
セシルが観客側のロープを確認し、医師が頷いた。準備は整っている。手順が噛み合えば、怖くない。
俺は軽く息を吐き、円に入った。
「始める。――行く。結果で黙らせる」
◇
試技1。反応。
円の外、木製の台に据えられた装置が、カチ、カチ、と拍を刻む。先端の筒から、魔導弾の訓練球が射出される。訓練と言っても当たれば痛い。
発射のリズムは一定だ。タ、タ、――タア。3拍目で安定線が立ち、弾道が固定される。固定された線に、普通は盾を合わせるか、避ける。
俺は、そこにいない。
半歩、ずらす。
タ、タ――の間。3拍目に満ちる前の空白。
膝から力を抜き、足を薄く滑らせ、腰で体の向きを1枚ずらす。呼吸は3つで1つ。
弾が空気を押し分ける前に、俺は空白を通過した。
観客の何人かが、あれ、と声を漏らした。
「いま……詠唱が遅れた?」
「いや、あれ、ズラされたんじゃ……」
装置が2発目、3発目を撃つ。俺は同じように、完成拍の外側を掠めて抜ける。
空気が軽く鳴った。ピン。俺の中で鳴る、合図の音。
「反応、合格。反則なし」
査定官の声は淡々としていた。感情は加点にならない。行為のみを記録する人間の声。
セシルと目が合う。彼女は小さく頷き、口の形だけで言った。
「3拍目、外した」
うん、と俺も口だけで返す。体の芯に、微かなめまいが走った。地面の目地が1瞬だけずれて見える。
深呼吸で整える。ゼロ酔い。まだ、軽い。
◇
試技2。対人。
相手は学院風の初級術士。若い。真面目そうな顔。支給の杖を握り、足を揃えて立つ。教本通りの構えだ。
安全規定に従い、俺は刃を抜かない。包みのままの剣を背に、素手と柄で戦うことになっている。
「合図と同時に、術式を1つ。受験者は阻止を試みよ。致傷不可。媒体破壊は不問」
査定官の手が落ちる。
初級術士の口が開く。短詠のリズム。タ、タ――タア。
手首の杖先に光が集まり、線が立ち始める。立つ――その前。俺は、半歩。
歩幅を半寸だけ詰め、腰で軌道を折り、杖と手の要に柄頭をコトと当てる。
すべては1息。反動は弱い。だが要は外れた。杖は手の内からふわりと浮き、落ちる。
術士の指は無事。声は途切れ、集まりかけた光は霧みたいに散った。
静寂。
落ちた杖が土をはね、遅れて乾いた音を足した。
「反則なし。1本」
査定官の筆がさらりと動く。
観客席の空気が割れた。どよめきと、笑いと、感嘆と、舌打ちが1度に鳴る。
「杖だけ落とした……?」「なんだ今の、柄で」「ゼロのくせに」「いや、今の拍、見たか」
```
俺は相手に軽く頭を下げ、杖を拾って差し出す。術士は混乱しながらも受け取った。
```
セシルの口元がわずかに緩む。目は笑っている。俺は胸の内で短く応じる。ピン。
◇
試技3。木製ゴーレム。
円の外から運ばれてきたそれは、人の背丈ほどの木偶だった。関節のはぎ目が露出し、術式フレームの刻みが薄く光っている。要するに、媒体と給部を通じて立っている。
審判が白墨で注意線を太くなぞる。セシルは観客をさらに後ろに下げる。医師は距離を確かめ、頷く。
「準備、よし。――開始」
木偶の胸部で、術式のリズムが生まれる。タ、タ――タア。
安定線が立つ前に、俺は読む。
足裏で土を撫で、体を薄く、薄く。半歩。
でも焦らない。3、2――1。
数えることで、怖さは薄くなる。昨日から体に刻んでいた数えだ。
「3……2――」
木偶の肩の蝶番が、微かに震えた。
――1。
俺は懐へ滑り込み、柄頭で肩の内側、支点を叩く。コト。
蝶番のはぎ目が、ミシと鳴った。
木偶の腕が落ち、体が傾ぐ。術式の光が揺れ、給部の線が一瞬だけ空を切る。その隙に踏み込み、もう1度。
コト。
今度は股関節の楔が外れ、重心が崩れる。木偶は前へよろめき、胸部で光が1つ消えた。
「停止。反則なし」
筆が紙の上を走る音がはっきり聞こえた。
俺は1歩下がり、呼吸を整える。ゼロ酔いが喉の奥を撫でたが、すぐ遠のいた。
観客のどよめきは、今度は少し違う質になっている。
「媒体がなきゃ……」「ただの木偶だって?」「いや、拍を読んだ……」
俺は肩の包みを確かめる。包みの中の剣――名を与えた《Nullblade》は、静かだ。刃に頼っていない。選んだのは、選択だ。
「以上、試技終了。判定に入る」
査定官は巻物を閉じ、俺の正面に立つ。目はやはり、揺れない。
「受験者レイ・アークライト。行為のみを記録した結果――仮登録、F。認定する」
木札が差し出された。手触りの素朴な札だ。角は丸く、刻印は深い。
俺は受け取り、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「規定説明は受付で。安全規定は遵守。破った場合は剥奪だ」
淡々とした言葉が続き、終わる。
セシルが近づいてきた。書類束の角はぴたりと揃っている。
「おめでとう、レイ。――目が生きてる。明日以降の依頼は、まずはこれ」
差し出された紙は簡単な護衛と荷運び。危険度は低い。俺はうなずき、視線だけで問う。
「今の、どう見えました?」
「反応は、3拍目の立ち上がりの半歩前。対人は《逆落》で杖だけを外した。木偶は支点を2度。全部、規定の中。――強い」
言い切る声が、妙に心強い。
俺は木札を握り直し、胸の内で反芻する。規定の中で、勝つ。選ぶのは刃ではなく、選択。
勝因は、拍と構造。魔力じゃない。
それでも、胸の奥に残る薄い刺がある。
視線。試技の最中、背中を撫でた気配。音にならない、通過音。
◇
手続きが終わり、俺は試験場を出る。
白墨の円から1歩外へ。看板の蝶番が、風で軽く鳴った。
ミシ。
半呼吸のあと、もう1度。
ミシ。
門は2度きしむ。昨日と同じ、いや、昨日より近い。
振り返らない。振り返らないが、耳は門の向こうの空気のほどけ方だけを拾う。
セシルが横に並んだ。声を低くする。
「見られてる。気を付けて。――でも、怯える必要はない」
「怯えてません。外すだけです」
「うん。規定の中で、外して」
彼女はそれだけ言ってカウンターへ戻っていった。
俺は木札を胸にしまい、深く息を吐く。
3、2――1。
足、腰、呼吸。半歩。
石畳に出る。朝より人が増えて、喧噪が濃い。荷車の軋み、売り声、犬の吠え。音の面に、別の音がまぎれる。針を少しはじいたような、小さなピン。
影は、ついてくるのか。
それとも、ただ見ているだけか。
◇
治療所の前で、医師が手を振った。
「脈は?」
「問題ありません」
「無茶はするな」
「規定の中で、勝ちます」
医師は頷き、扉を閉めた。
俺は路地を選び、裏手へ回る。目立たない道。昨日、尾を外したのと同じ手順。
角で足音を1度強く鳴らし、次の角で消す。影の継ぎ目をずらす。
ピン。胸の内で音が鳴る。
包みの中の剣が、わずかに冷える。世界の圧。
でも、今日は、勝った。仮登録だろうと、ゼロだろうと、関係ない。紙の二印は、ただの印じゃない。継ぎを留めるピンだ。
線を押さえれば、継ぎ目は耐える。次に、結べる。
◇
夕刻、第1試験場はもう空だ。白墨の円は半分ほど消え、看板は紐でくくられている。
俺はそこで1度だけ、足を止めた。
朝の俺と、今の俺。違うのは、木札1枚と、3拍の自信。
門の方角から、風が吹く。
看板が、ミシ。
半呼吸のあと、もう1度、ミシ。
俺は微笑む。
来るなら、来い。
拍は外せる。構造は視える。――だが、視線は外れない。だから、忘れない。
ゼロは穴だ。穴は鍵穴にもなる。
鍵は、もう、手の中にある。
俺は踵を返し、歩き出した。
明日は初依頼。規定の中で、勝つ。結果で、黙らせる。
背中で、門が小さく鳴り、風が、前へ押した。
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