26話 王都へ、ゼロの噂を連れて
# 第26話 王都へ、ゼロの噂を連れて
王都の門は朝の湿りを吸って、石の匂いを濃くしていた。紋章旗が大きくはためくたび、蝶番が小さくミシと鳴る。列の背中は固く、さざめきは同じ言葉を運んでくる。魔法を斬ったゼロ、だってさ。
俺は半歩だけ外にずらして立ち、視線で門の上、衛兵の配置、抜け道、退路の順に撫でる。結果だけ置いていく。口は、それからだ。
前の商隊から香草と油の匂い。焦げた革の匂いがひと筋まじる。荷台が動いた瞬間、体を列の継ぎ目に滑らせた。ミアが指で合図を作る。
30歩で門、10歩で詰所、5歩で死角。
ノアは後ろで口笛みたいな距離を保ち、余計な目を引かない位置を踏んでいる。
若い衛兵が俺を見上げた。胸板に汗が光る。
「……お前、ゼロか?」
「呼び名はどうでもいい。通行の許可を」
腕章を見せると、隣の年配が目だけで頷き、木板にコトリと留めを打つ。刻印の角がピンと立つ。若い衛兵は1拍遅れて道を開いた。
門をくぐる。王都の空気は内側から押してくるみたいに濃い。石畳が深く、屋根が高い。噂は風だ。足跡は石だ。俺は石の上に歩幅を置く。
斜め前を行くノアが掲示板の紙を指でなぞる。
「今日の市は北区。ギルドはこの先を右。寄り道無し」
「了解。香りが強いね」
ミアが鼻をひくつかせる。屋台の湯気が白くほどけ、鐘の余韻を絡め取っていく。
王都ギルドの扉は、金具からもう別格だった。厚い木に重い鉄。押すと、蝶番がまたミシと鳴る。
高天井。梁の影が太い。依頼板の札は層になって揺れ、水晶筒が低く唸っている。文字を飲み下すような音だ。
俺は視界の端で出入口の数を数え、非常導線を1本引く。
カウンターの向こうに女がいた。髪をきちんと束ね、書類の角をピンと揃えている。視線は穏やかだが、折れない線が1本通っていた。
「王都ギルド受付のラウラです。ご用件を」
ノアが半歩前に出て、短くまとめる。
「地方支部のF仮登録から再査定希望。観覧ありでも可。安全規定に従います」
ラウラは規定集をコトリと開き、ページを指で押さえた。
「規定上、再査定は可能です。ただし注目と監視は増えます。安全規定は盾です。守れるなら門は開きます」
「規定の中で勝つ。それが一番静かだ」
俺が言うと、ラウラの目が小さく細くなった。評価でも警戒でもない、確認の光。
奥から重い靴音。空気がわずかに沈む。
扉枠に合う肩幅の男が現れた。
「ギルベルトだ」
名乗りが落ちるだけで、依頼板の札が1枚震えた気がした。
「風評は風だが、足跡は石に残る。見せてもらおう。王都は見たいものをよく見て、見たくないものをよく隠す。石は嘘をつかない」
「なら、石の上で歩くだけだ」
靴底に重さを乗せる。ここでは言葉より踏む音のほうが早く届く。
手続きのあいだ、俺たちは待機回廊に通された。燭台の火が揺れ、廊下の奥でミシ。
扉がひとつ、ゆっくり閉まりかけては止まる。誰かがいる。黒外套の影が柱の影と重なり、すぐ溶けた。
ミアが息を止め、目だけで俺を見る。
「見てる人、多いね」
「見せるものは決めてある」
ノアは鞄から紙束を出し、退路標を数える。いつもの手つき。
俺は右手で柄巻きを探り、左手で空の重さを確かめる。呼吸を3拍。浅く、深く、整える。
ラウラが戻ってくる。足音は軽い。
「上層審議の合間ですが、内々で打診が通りました。明朝、王都版の再査定を行います。観覧席あり。安全規定は強化。記録は公開です」
「問題ない。踏むだけだ」
「試験項目は3つ。詳細は当日の朝に説明します」
紙片がコトリと置かれる。時刻と場所だけが、分かるようで分からないほど簡潔に記されている。俺たちの間で、約束がひとつ、見えない位置に留められた。
外へ出ると昼の色が濃く、通りは湯気と声であふれていた。
宿を取る。石壁は薄いが、鍵の油はよく回っている。店主の目の下には薄い影。手は速い。
「3人、1泊、食事つきで」
「宿が0G5S、食が0G6S。合計で0G11Sだね」
ノアが支払い、ついでに近場の屋台と裏路地の抜けを地図に記す。こういう時のノアは本当に頼りになる。
俺は頷いて荷を下ろした。
湯を借り、汗を落とす。窓からの光が床を四角に切る。
ミアは光タグの接点を点検し、1本ずつ指で弾く。ピン、と澄んだ音が鳴るたび、部屋の空気が少し磨かれていく。
「緊張してる?」
「してないよ。わくわくのほう。王都って、音が細かい。通りの石も、声も、ぜんぶ楽譜みたい」
「なら、外れない拍を探せ。拍の外に降りるのは俺の役目だ」
「かっこつけてる」
「事実だ」
軽口の熱が引くと、静けさが戻る。
俺は砥石の面を確かめ、刃を当てた。金属の息が低く長く伸びる。はやる気持ちはない。明朝、規定内で勝つ。だから今は、要る分だけ整える。
夕食は屋台。串肉は香辛料が強く、表面が少し焦げている。
ミアが1口で目を丸くした。
「辛い。でも癖になる」
「水を先に飲め。辛さは遅れてくる」
「お兄さん、通だね」
焼き台の向こうで親父が笑う。皺が深い。
「明日の見物かい?」
「仕事だ」
ノアが答える。
「観客が多い時間だけ教えて」
「午の刻が山だな。王都は新しいものが好きでね。魔法を斬るって話は、甘い匂いがする」
油が弾け、パチパチという音が近くの水面に輪を作る。
帰り道、角で吟遊詩人が歌っていた。ゼロ、という語がさざなみのように混じる。
俺の話じゃない別の誰かの武勇譚に、似た形の穴が空いている。
立ち止まらない。拍だけ数える。
人が集まる輪の切れ目、最短の抜け。王都は穴も飾る。飾り方で、本物と偽物はすぐに分かれる。
宿へ戻ると、店主が爪先立ちで近づいた。
「今夜は騒がしくなるかもしれない。もし何かあっても、扉は内側からしっかり閉まる。鍵は古いけど癖はない」
「ありがとう」
ノアが礼を言う。
「朝の湯は?」
「日の出の少しあとなら温いのが出る」
「助かる」
店主は去り際にふと振り返る。
「噂は風だよ。石は……残る。あんたたちが石に何を刻むのか、ちょっと楽しみだ」
俺は軽く会釈し、扉を閉めた。ミシ。板の継ぎ目が返事をする。
部屋に戻り、明日の自分に渡す言葉を短く磨く。
長い言葉は足を絡める。要るのは拍と角度と間合い。
無幻歩は拍の外に降りる1歩。
逆落は要の留め糸をはじく一指。
線断は見えない弦をひと弾き。
ミアがうとうとし、タグの光が弱くなる。
「寝ていいぞ」
「うん……レイ、明日、かっこつけてもいい?」
「少しだけな」
「少しだけって、どのくらい?」
「一歩分」
ミアは笑って毛布に潜る。
ノアは最後の点検を終え、紐を結ぶ手を止めずに言った。
「観覧席、要人の列がひとつ。目立つ動きは避けたほうがいい」
「もともと避ける。見せたいものだけを見せる」
「了解」
窓の外で旗が揺れる。旗が鳴るたび、遠くの門が小さく応える。王都は音で繋がっている。だから俺は音で読み、音で歩く。
ピン、ミシ、コトリ。線、継ぎ、留め外し。全部、手の中にある言葉だ。
刃は喋らない。喋るのは、踏む音と、置く音と、留める音。
目を閉じ、音の地図を頭に引き直す。
眠りに落ちる前、短い夢を見る。
濡れた石畳に足跡がひとつずつ消え、別の場所に乾いた足跡が現れる。誰かがそれを見て、顔を上げる。風が吹く。旗が鳴る。ミシ。
目が覚める。夜はまだ深いが、心は軽い。歩幅はもう決まっている。
窓を閉めようとした時、外でミシ。
誰かの足が板の継ぎ目を踏んだ音。続けてもう1度、ミシ。わざとらしいほど静かに。
「さっきの廊下の音と、似てる」
「同じだろう。扉の癖は人間より正直だ」
「どうする?」
「何もしない。見せたい明日がある」
締め切った窓に、通りの灯がひとつ、ふたつ映り込む。
灯が多いぶん、影も増える。影が増えるほど、俺の居場所ははっきりする。間合いは闇のほうが測りやすい。
卓にノアが明朝の段取りを並べた。起床、集合、会場までの最短と替え道、観覧席の位置、万一の退路。文字は少なく、記号が多い。
全員で1度だけ、声に出さず確認する。
「わかった?」
「わかった」
「わかった」
3つの声が重なる気配。卓上の紙がコトリと鳴る。
夜気が冷えた。布を巻き直し、指の皮の硬さを確かめる。
刃は眠らせ、心は起こしておく。
思い出すのは、昼のラウラの目。規定の番人の目だ。厳しいが、門を閉ざすためではない。守るための盾。
その盾の内側で勝てば、誰も文句は言えない。
そういう勝ちが、いちばん静かで強い。
遠くでまた、ミシ。
明朝、王都版の試験項目が告げられる。
反応、模擬、問題解決。
何が来ても同じだ。
見たいものだけを見せ、見せたくないものは置いていく。
風評は風のままに、足跡だけを石に残す。
鐘の初音が薄く響いた。拍は整った。
あとは歩幅を合わせ、踏むだけだ。
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