第24話 黒外套との最終手
最奥の部屋は楕円だった。床は格子石で、壁と天井に薄い縫い目が並ぶ。中央の柱だけが生きていて、そこに3層の気配が絡んでいる。外は偏向、内は束縛、芯は錨。昨日、耳で覚えた順番が自然に舌に乗った。
「3層3章。外殻は偏向、内は縛り、芯は錨。第3章、浅い」
ミアが小さく告げる。指先の薄銀が空中に膜を作り、細い目地を浮かせた。俺は白墨で3点を打つ。支点、合わせ口、逃げ線。粉が落ちる音は小さいが、石が息を吸ったみたいにピンと張った。
「退路標、2重に更新。2歩後ろで点灯。高所、今は閉じ」
ノアがきっちりした声で続ける。右壁沿いのピンが淡く灯り、戻る線が目で追える形になった。
風が1度、途切れた。半拍おいて、もう1度。通過音。黒外套は音で来る。
「面は美しい」
黒の裾が静かに揺れ、男が柱の陰から出た。濡れていない。足元の砂一粒も払うみたいな所作で、床の格子に指の影を落とす。
「縫い目を裂く趣味は、感心しないな」
「面は残す。線だけ開ける。規定の中で、勝つ」
「ならば、こちらの作法で」
男は踵を半寸捻り、ひと息で詠じる。
「1、据え」
床の帯が据え付けられ、足首に薄い重さ。
「2、渡す」
壁の帯が肩の高さで渡され、背中へ圧が乗る。
「3、留める」
天井から口が降りてきて、空気が噛み合う。3拍。完成。
俺は半拍、遅れて息を合わせる。吸って、吐く、吐く。喉奥の張りが収束し、足裏の針が位置を取る。
「1本でいく。ミア、線を出せ」
「第3章だけ浅い。天井梁に錨。下帯の根元、右目地が甘い」
「ノア、退路は2歩後で固定。高所、必要になったら合図する」
「了解」
白墨の3点を打ち直し、俺は鞘口だけで合わせ口をつまむ。刃は出さない。留め具の感触を探り、角度を半寸だけ合わせる。
「3、2――1」
コトリ。
章止めが外れ、上の層の張力が一息ぶんだけ落ちる。ミシ。細いきしみが天井側で割れ、空間帯の口が孤立した。
男の眉間が、わずかに押された。
「……重ね綴じ」
黒外套の指が裾を整え、帯が重なって厚みを増す。床の圧が上がった。踏みつけてくるというより、面で押す。誘爆の匂い。
「内層、触ると反転で強くなる。だめ。第2章で誘爆」
ミアが短く止める。
「面には触らない。章だけ削る」
呼吸を三数え、半歩ずらす。床の帯が渡る瞬間、足裏でピンを先に鳴らして、支点をずらす。壁の合わせ口が見える角度に身体を薄く滑り込ませる。鞘口で縫い目の口へ指を置く。
コトリ。
第2章が剥がれ、壁帯の致動が沈黙した。ミシが消える。連鎖の肩が落ちる。
男は裾をもう1度直し、声が数字に崩れた。
「……2」
視界が一瞬遅れた。ゼロ酔いの影。俺は1拍吸って2拍吐くで戻す。焦りは誤差を広げる。面は壊さない。章だけ剥ぐ。それを守る。
「ノア、高所」
「高所、今だけ。ライン・リフト、上げる」
索が上を軽く引き、視点が半拍ぶん高くなった。天井梁の目地が、薄い白で浮く。そこにゴリ。噛みの低音。
「錨、天井梁。第3章、浅いまま。行ける」
「行く」
白墨を1粒だけ指に付け、鞘口で天井の合わせ口をつまむ。上から下へではなく、斜めに擦って“縫い目だけ”を捻る。角度が合えば、重さは軽い。
「3、2――1」
コトリ。
第1章が剥がれる。張力がほどけ、天井帯が落ちる。床、壁、天井の順で組まれていた3拍は、第3→第2→第1の逆順で崩れた。重さは来ない。音だけが、薄く揺れる。
ミアが鼻梁を押さえ、小さく頷く。
「ミシ、止まった。ゴリ、消えた」
黒外套は1歩、前へ出ようとして、膝の媒体が空振りする。支えが死んだ。彼は立ったまま、呼吸だけを整えた。
「面を壊さず、章を剥ぐ。悪趣味だ」
「刃じゃない。選択だ。折るのは簡単。だが、止めるのは選ぶことだ」
「……証明、しましょうか」
男の指が柱の端末へ伸びた。環の刻印がわずかに灯り、反転の縫合が始まる。切った縫い目を縫い戻しに来る逆位相の手口。面を重ね、口を閉じる。
俺は刃を抜かないまま、踏み替えた。
「無刀域、短時間」
鞘をわずかに持ち上げ、現実の優先を押す。強くない。押しすぎない。重ねるだけ。縫い戻しの針に、糸が通らない程度でいい。編み針の先が空を突く。反転の抜き差しが遅れる。
男の指が空を掻き、縫合の拍がずれる。
「ノア、救出具を」
「了解。ライン・リフトで小窓に投下。水、治療布」
側壁の格子の陰、人影が2つ。学生だ。拘束具は面で覆ってある。章は剥いだ。面は残してあるから、縁から手が入る。ノアが布を通し、口元へ水を添える。
「大丈夫。すぐ出す。動かないで」
ミアの声は低い。薄銀の幕で目地を示し、拘束の隙を広げる。面には触れない。縫い代だけをゆるめる。俺は柱の端末から手を離し、男へ半歩近づいた。
「終わり。次」
「まだだ」
男の裾が揺れ、床の帯が1度だけ戻りかける。だが、支点がない。章止めが外れた帯は、寄るだけ寄って、面を撫でる。留める力が立たない。
「3拍目で止まる、はずだった」
「止まらない。拍を外した。章を外した。面は残した」
黒外套は静かに息を吐き、裾を整えた。指先が微かに震えたのを、俺は見逃さない。
「……報告する。王都へ」
皮肉も挑発もない。事実だけを言って、彼は視線を外に向けた。環の刻印がもう一度だけ弱く灯り、数列が残る。03-1-3 / 02-2-2 / 01-1-1。読むだけの記号。だが、数字は王都を動かす。
「ノア、離脱準備。在庫、確認」
「白墨、残り3分の1。応急、未使用。退路標、2重のまま点灯。回収は帰路で」
「学生、立てる」
ミアが肩を支え、足元を見ないように誘導する。呼吸はまだ浅いが、目は生きている。
「ありがとう。助かった」
「礼は外で」
俺は柱の縁に最後の3点を打つ。支点、合わせ口、逃げ線。今は開けない。ここを開けば、きれいに通れる。けれど、見られている。観測式の灯りが、壁の陰で一瞬だけ瞬いた。
「見てる。2」
ミアの声と同時に、上の通路から微かな音。ミシ。半呼吸おいて、ミシ。2度のきしみ。通過音はまだ残る。
「退路へ。右壁沿い。高所は切る」
「了解」
ノアが先に立ち、2歩後ろのピンを順に落としていく。光は背中を押す。俺は最後尾で、学生の足を見ながら歩く。半歩ずらしで段差を消し、ピンを先に鳴らしてミシを呼ばないように。コトリは合図。ミアは左肩の後ろで、薄銀を弱めたり強めたりしながら道を支える。
出口が見えるところで、振り返る。黒外套は動かない。面を守ったまま、その上に佇んでいる。面職人の矜持。その視線が、環の数字へ一瞬だけ落ちた。
「結果で黙らせる」
俺は低く言い、封鎖板を押し上げた。地上の空気は乾いている。匂いは固いパンと、安いスープ。ノアが砂時計を伏せ、在庫表を閉じる。ミアは冷湿布を外し、角砂糖をひとつ口に入れた学生へ水を渡す。
「今夜は休む。明日、報告と査定。それから道具の補充」
「了解。退路標、新色を半分混ぜる」
「数が、残る」
ミアがぽつりとこぼす。壁の陰で瞬いた数列は、耳には鳴らない。けれど、確かに重い。王都向けの報告にふさわしい、無機質な言葉の重みだ。
「王都がどう言おうが、やることは同じだ。面は残す。継ぎだけ裂く。章だけ、剥ぐ」
剣帯を半歩ずらし直す。指で机の角を軽く叩く。3、2――1。身体が整う。糸が、ほどけてまた結ばれる。
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