第21話 封鎖小迷宮へ
封鎖札は石段の前で風に揺れ、白墨の線が少しだけよれていた。目地のずれは、縫い目の甘さだ。俺は剣帯を半歩ずらし、胸の拍を3拍で落とす。吸って、吐く、吐く。蝶番がミシ。半呼吸おいて、もう1度ミシ。2度のきしみが、今日の入口の音になる。
「臨時許可、通りました。規定の再確認を。致傷行為は最小、面の破壊は禁止、2刻以内に帰還」
セシルが封鎖板の端を押さえて言う。紙束の角を半寸揃える仕草はいつも通りだ。ノアがうなずき、砂時計を返す。細い流れが始まった。
「行程は往路40分、中層20分、最奥手前10分、復路30分で計100分。退路標は30歩ごとに設置、回収は復路で」
「了解。生き延びるが先、稼ぐはその次」
「入口結界、2層目だけゆるいよ。外は面、内は糸の束」
ミアが白墨の粉を指先に取って、封鎖札の合わせ目をすっとなぞる。白が点になり、ずれの幅を見せた。俺は封を持ち上げる。ピン。線の張りが、指先に来る。
「封は線一本。面は壊さない」
石段を下り、湿り気のある空気に入る。通路は狭く、壁の模様に逆目が走っていた。灯は低い位置で揺れ、匂いは鉄と苔。足裏に細い砂が転がる。
「床の目地、右寄り。3歩先でミシが来る」
「3、2――今」
半歩ずらして、足の針を少し外へ寄せる。ミシは来ない。代わりに喉奥でピンが細く鳴る。ノアが壁にタグを結ぶ。布の端は半寸も狂わない。
「退路標、ひとつ。次は30歩先。間に白墨で矢印も」
「頼む」
「はい」
ミアが俺の肩越しに、指先で空をなぞる。薄い銀の膜が視界に重なり、床の白紋が線として立ち上がる。目に見えるのは錯覚だが、耳と足がそれを補強する。
「左は湿り、右は乾き。乾きは人の手が風を通した跡。右で」
「右へ」
分岐を切る。息はまだ軽い。ゼロ酔いの遅れはない。俺は柄に親指を置き、角で石の縁をコトと叩いて、自分の拍を確かめる。
細い段差を越えた先、短い横穴が口を開けていた。縁に薄い紙片。学院式の符の切り屑だ。切り口が揃いすぎて、角が立っている。
「機械の手癖だね。ここ、合わせ目が浅い」
「支点だけ、外す」
俺は柄先で紙片の留め目をコトリと撫で、貼り合わせの一点を剥がす。面はそのまま、糸だけがほどける。ノアが在庫タグに小さく印を付けた。
「側枝、危険度低。回収価値なし。退路標、2つめ」
「終わり。次」
通路は緩い右曲がりになり、滴の音が増える。天井から落ちる糸が床で弾けて、薄いピンを残して消える。風はないが、空気がほんの少しだけ上を向いた。先に空洞がある。
「前方、音が鈍い。面の覆いかも。拍は3呼吸周期で揺れてる」
「了解。ここから歩幅を半歩縮める。ミア、導線の告知は短く」
「うん。線、右寄り。継ぎは左」
俺は半歩ずらしを維持したまま、壁の逆目に指を走らせる。ピン。ミシ。音が層で返ってくる。ノアはタグを淡い等間隔で置き、距離を口に出して確認した。
「30歩で設置。次も30。回収は帰路で左側のみ」
「記録、取る」
ミアが小さな板に短い符号で印を書き、すぐ服の内ポケットへ隠す。過負荷のサインは出ていない。目の白がきれいだ。
細い坂を下りきったところで、空気の重さが変わった。前は広がっている。床の張りが緩み、道が沈みやすくなる。面の覆い。沈み床。
「右に細い支えの線。左は薄い膜。ここ、踏み方間違えると沈む」
「素振りで渡る」
踏破の芽は、まだ技と呼べない。ただ足の置き方を変えるだけ。俺は体重の針を半歩右へずらし、母指球で縁を押す。支点だけ外して、別の支えに移る。コト。ミシは遠い。ノアが退路標を2重で置いた。往路と復路で印の高さをわずかに変える。
「迷いを減らすため、高低差で区別。帰りは低い印だけ追えばいい」
「いい判断」
上から滴が落ち、肩を冷やす。息を合わせ直す。吸って、吐く、吐く。3拍のうち、最後の吐くが長いと頭が静かだ。
沈み床を抜けると、音の反響がさらに鈍った。先は地底湖だろう。手前の棚で風が戻ってこない。片側だけ温度が低い。枠だけ残して供給が死んだ面の気配がする。
「ここから先、面が2重に重なってる。表の薄い皮と、その下の本体」
「2重結界、奥にある」
ミアの声は落ち着いているが、わずかに息が早い。俺は剣帯を半歩ずらし直し、地を一度蹴って足裏の感覚を確かめる。ピン。細い線。扉でも門でもない、縁の内側に合わせ口があるはずだ。
「位置だけ取る。今日は突破しない」
「了解。2刻の半分を過ぎた」
ノアが砂時計を見て言う。俺は頷き、棚の縁に屈む。柄で縁を軽く撫で、音を拾う。外のミシ。内のミシ。拍が半分だけずれていた。ズレは抜け道の形だ。
「支点、ここ。合わせ口、そこ。錨は……まだ見えない。触らない」
「メモ完了。帰路にタグを1つ追加して、回収動線を右壁沿いに固定する」
「戻る」
判断は早く、短く。引き際の1歩が遅れると、全体が台無しになる。面は壊さないほうが、次に通れる。俺たちの道具は刃だが、やりたいのは仕分けだ。
立ち上がって振り向いた瞬間、遠くで小さな音がした。水が鈴をくぐるような2重の鳴り。そのすぐ後で、奥のほうの蝶番がミシ。半拍おいて、もう1度ミシ。通過音。黒外套の匂いに似ているが、姿はない。
「追わない。情報が先」
「同意。帰る線は明るい」
ノアがタグの光量を少し上げ、退路標の列が白い糸のように続いた。ミアは短く頷いて、視線を足元へ落とす。過負荷の影が来る前に離れる。これも規定のうちだ。
帰りの沈み床は、来たときよりやさしい。支えの線が身体に残っているからだ。半歩ずらしは歩法というより、思考のリズムに近い。ピンが先、ミシが後。コトは合図。ノアは等間隔でタグを回収し、拾った順に並べ直していく。
「在庫ログ更新。白墨、残り半分。油、2本。応急、未使用。退路標、未回収2」
「戻ってすぐ補充。3日前倒しで積む」
「了解」
入口の封鎖板が見えた。外の風がわずかに暖かく、埃の匂いが混じる。俺は最後のタグを外してノアに渡し、封の合わせ目をもう1度なぞった。白墨の点は、朝よりもはっきりしている。
「記録出す。最奥手前に2重の面、合わせ目のズレ半拍。錨は未確認」
「報告書は私からギルドへ。明朝、特例の継続を取る」
セシルが封鎖板の陰から現れ、紙束の角をまた半寸揃えた。胸の奥の拍が少し軽くなる。俺は剣帯を外し、肩を回す。
「どうだった」
「面は残ってる。継ぎだけ裂ける。位置は取れた。明日、地底湖で連携の型を固める」
「王都の招待は?」
「後。噂は糸だ。焦って引けばもつれる。線を増やしてから結ぶ」
「いい顔」
セシルの声は短く、やわらかい。俺は返事の代わりに顎を引き、封鎖板を静かに閉める。蝶番がミシ。半呼吸おいて、ミシ。2度のきしみは、今日の出口の音になった。
◇
夕暮れの路地は、朝よりも静かだった。風は弱く、看板は鳴らない。宿へ向かう途中、ノアが在庫表を取り出し、歩きながら数字を書き足す。
「収支の見込み、仮で5.6。装備補充、松明6本、退路標30本、油2、応急2、ハーブ1。明日の搬入、夜明け前」
「了解」
ミアは自分のこめかみを押さえ、すぐに手を離した。疲れはあるが、声は明るい。
「2重の合わせ目、今度は開くよ。面は残して、合わせ目だけ」
「そうだな。壊すのは簡単だ。残して通るほうが、難しくて、気持ちがいい」
俺が言うと、ノアが笑って首を振った。
「はいはい。気持ちのいい難しいやつ、明日に回しましょう。今は食べる。寝る。生き延びるが先」
「任せる」
宿の灯が見えた。扉の前で一度だけ風が起き、遠くのどこかでミシ。半拍おいて、ミシ。2度のきしみが、明日の呼吸を作る。俺は剣帯を半歩ずらして持ち直し、短く言った。
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