第2話 ギルドは門前払いから
朝の空気は、まだ冷たい。
ギルドの大扉の前で、俺は1度だけ息を整える。剣帯を、半歩ぶんずらす。癖というより、合図だ。足、腰、呼吸――3つで1つ。
手をかける。木の蝶番が、短くきしんだ。
ミシ。
継ぎの甘さが、音になる。俺はその音を耳の奥にしまい、扉を押し開けた。
◇
中は天井の高いホールだ。朝から人が多い。匂いは、革と鉄と油と、少しだけ酒。掲示板の前に人だかりができて、各国の言葉で書かれた依頼票が風に揺れる。
受付のカウンターは長い。右端は冒険者登録、左端は支払い。その中央で、携行式魔紋計が淡く光っていた。針が動けば、数字が出る。未来が並ぶ。動かなければ――
「次の方」
呼ばれた。俺は歩く。足裏で床の継ぎ目をなぞり、退路と出入口を目で順送りに確認する。
カウンターの向こうで、女が1人、書類の端を正確にそろえていた。髪は栗色、瞳は淡い灰。小さな癖が目に入る。紙の目地を、半寸だけ指先で整える癖。
目が、生きている。
「登録希望?」
「はい。レイ・アークライト、17。武器は剣」
「魔力判定は?」
「……ゼロ、です」
携行式魔紋計に手を置く。ガラスの中で、自分の顔と、空っぽの針が2重に映った。
受付の隣から、あくび混じりの声が落ちる。
「記録、ゼロ。以上」
乾いた声が床に吸われたあと、少し遅れてざわめきが広がる。
「ゼロ?」「へえ」「笑わせる」
口元だけが笑って、目は笑っていない。昨日も見た、いつものやつだ。俺は反論しない。かわりに、出入口、窓、内階段、非常導線――目でなぞって、置き場を頭に地図化する。
「規定では、登録はできません」
受付の声は、教本の1行みたいに平板だった。
でも、次の1拍で、すこしだけ、声に温度が宿る。
「――でも」
俺は顔を上げる。彼女の指先が、書類の目地を揃え、止まる。視線は俺の足首と腰と、呼吸のリズムを見ている。
「あなた、足の縫いが崩れない。目も、周囲を順に見ている。魔力がゼロでも、生き延びる目をしてる」
周囲のざわめきが、別の質の静けさに変わる。
受付の名札には、セシルとあった。彼女は軽く顎を引き、書類束から1枚を抜き出す。
「規定の運用で、臨時査定の特例がある。受けてみる?」
特例。運用。言葉は固いけれど、意味はシンプルだ。
俺はうなずく。
「受けます。規定の中で、勝ちます」
セシルの口元が、かすかに笑う。笑っているのは、目だ。
「よろしい。では――」
彼女が用紙をひらく。印の欄が、2つ並んでいる。ギルド印と、治療所印。二
印で確定、と小さく書いてある。
セシルは万年筆をとり、さらさらと条件を書き足した。
「臨時査定・特例1号。場所は第1試験場。安全配慮が条件。観客距離を確保、致命所は不可。特に媒体(杖)の破壊は不可。いい?」
「了解」
「明日の朝、鐘が1本鳴り終わったら開始。遅刻は不合格」
「間に合います」
短い会話で、手続きは半分終わった。
そのときだ。横から、肩がぶつかった。
「おい、どけよ」
粗暴な声。がっしりした冒険者が、肩で押し通ってきた。肘が紙束をはじき、木の印章が宙に浮く。
印章は、回転しながら落ちていく。重さで押せば、カウンターの角に当たって欠ける。印は欠けたら使えない。次の人の登録が止まる。行列が詰まる。苛立ちが増える。些細な事故が、大きな面倒につながる。
俺は、半歩だけずらした。踵を外に開き、肩の向きを1枚、薄くずらす。
落ちてきた印章の線だけを、指先でピンと止めた。
軽い手応え。空気が薄く鳴る。
冒険者は俺を押しのけたまま、何も気づかずに行ってしまう。印章は無事だ。机の上。セシルの手元。
「ありがとう」
セシルが、短く言った。声は感情を省いたのに、温度はあった。
周囲の空気が少し変わる。笑いの角が、引っ込む。
「今の、意図的?」
「当たり前です。ぶつかられたときに崩さない縫い目は、練習してます」
「なるほど」
セシルは印章を押しながら、視線を窓の外へ送った。ほんの一瞬、何かを追うように。
風の通り道が、ひときわ強く、ホールを横切った。通過音。黒外套の裾みたいな、影。
気のせい、ではない。俺は胸の奥がわずかに冷えるのを感じた。
「では、続き。臨時査定の説明は、こちらで」
セシルがカウンターの端を指す。カーテンの向こうは、狭い事務室だった。棚に整然とファイルが並び、壁際の黒板に注意事項が白墨で書かれている。
セシルは黒板の隅を軽く叩き、白墨を手に取った。
「念のため、追記。観客距離は2歩。刃の向きは必ず試験官の指示に従うこと。破損が出た場合は即時中断。わかりやすく、太字で」
キュッ、キュッ。
白い線が重なり、太くなる。俺は頷いた。
「規定、好きなんですか」
「好きというより、守ると強い。規定の中で勝てる人は、現場でも死なない。死なせないための規定だから」
「俺も、死にません」
「死なないで。死なない人に、印を押したい」
彼女は万年筆をくるりと回し、書類の1つにギルド印を押した。赤い丸が、白い紙に2つ並んだうちの片方を埋める。
もう片方は、治療所。試験前に医師の確認を受ける必要があるらしい。
二印。2つの丸。2つの目地。
頭の中で、音が1つ、鳴る。ピン。
線を押さえる音。紙と紙の、世界と世界の、合わせ目を止める音。
「それと」
セシルが身を乗り出した。声を落として、俺だけに聞こえる音量で。
「あなた、ゼロなのに、目が泳がない。目が生きてる。その目は、もう少し言葉で支えてあげて」
「言葉で?」
「規定の中で勝つ。さっき言ったでしょ。それ、いい。あなたの足運びに、言葉を合わせる。言葉で、目地を揃えるの」
言葉で目地を揃える。変な比喩だ。だが、妙に腑に落ちた。俺はうなずく。
「……やります。規定の中で、勝ちます」
「よろしい」
セシルは満足げに笑みを引き、ペン先で集合時間に○を付けた。
その輪は、ほどけない結び目に見えた。
「質問は?」
「1つ。媒体破壊が不可なのは、杖を折れば魔法使いを無力化できるから、ですか」
「そう。けれど、ギルドの保険が適用できなくなる。観客に飛散して2次被害も出る。規定の中で勝つなら、折らずに止めるほうが、ずっと強い」
折らずに止める。
俺の中で、昨日の灰衣の男の声が蘇る。選ぶのは刃じゃない。選択だ。
選択の重さ。選択の足運び。
「……わかりました」
「それと、明日の試験官は主任査定官。記録主義の人。『行為のみを記録する』って言うタイプ。感情は加点も減点もしない」
「なら、やりやすい」
「うん。あなたに向いてる」
事務室の時計が、短く鳴った。半刻。
セシルは書類を閉じ、クリップで留める。その動作も、目地を揃えていた。隙間が出ない角度で、ぴたり、と。
俺は包み――《Nullblade》を包んだ布――を肩で整え、立ち上がる。
「じゃあ、今日はこれで」
「待って。最後に、注意をもう1つ」
セシルは窓の外を1瞥した。ほんの、半拍。
「――ギルドの出入りは、見られてる。門は2度きしむから」
鳥肌が立つ。彼女の言い方は淡々としていたが、指先だけが、目地をそろえるみたいにわずかに震えた。
俺はうなずく。言葉を短くする。
「気をつけます」
「うん。生き延びて。明日、また」
◇
ホールに戻ると、混雑は少し落ち着いていた。先ほどの粗暴な冒険者は、どこかへ行ったらしい。
受付の脇を通ると、モブたちの視線が刺さる。刺さるが、致命ではない。昨日より浅い。
俺は、応えない。反撃しない。
扉へ向かう途中、掲示板の端で、紙束が盛大に落ちる音がした。若い職員が慌てて拾おうとして、さらにひっくり返す。
足が、自然に動いた。半歩、ずらす。
紙は1枚も散らばらない。俺が、隙間に指を差し入れて線を止めたから。
若い職員が礼を言う。俺は軽く手を上げ、歩く。
小さな所作を積んでいく。今は、そういう時期だ。
扉の前で、俺はもう1度だけ息を整えた。剣帯を、半歩ぶんずらす。
押し開く。蝶番が、きしむ。
ミシ。
外の光が差し込み、ホールの床の目地を真っ直ぐに照らした。俺はその線を跨ぎ、外へ出る。
風が、頬を撫でた。
その半呼吸あと、背後で、もう1度。
ミシ。
俺は振り返らない。振り返らないけれど、耳は、扉の向こう側の空気のほどけ方だけを聞き取る。通過音。影。
門は、2度きしむ。
1度目は、俺が出た音。2度目は、誰かが、見ている音。
肩の包みが、わずかに冷えた。
歩き出す。足、腰、呼吸――3つで1つ。
通りの石畳に、朝の露が光っている。市場へ向かう荷車。犬の吠え声。井戸端の笑い声。全部を聞きながら、俺は道を選ぶ。人通りの少ない裏路地。回り道でも、尾を外すにはこっちがいい。
曲がり角で、わざと足音を1度だけ強く鳴らし、次の角では音を消す。
影が追いつく前に、影の継ぎ目をずらす。
ピン。心の中で、音を1つ鳴らした。
◇
昼前、治療所は空いていた。白衣の医師は無言で聴診器を当て、脈を取り、簡単な質問をし、最後にひと言だけ言った。
「無茶はするな」
「しません。規定の中で、勝ちます」
医師は眉をわずかに上げ、印章を押す。赤い丸が、書類のもう1つの欄を埋めた。
二印が並ぶ。2つの丸は、合わせ目がぴたりと合って、継ぎ目に隙がない。
紙は薄いのに、重さが出る。
俺はそれを胸に入れた。
◇
夕方、ギルドの裏手にある小さな広場で、俺は軽く体を動かした。
足、腰、呼吸。半歩。
木の棒を相手に、杖を折らずに止める練習。刃の向きは空へ。力は目地に沿って逃がす。
棒が折れかける瞬間、手首をわずかに返して、衝撃を逃がす。
ピン。
音はもう、幻聴じゃない。俺の合図だ。線を押さえる、針の音。
汗が顎から落ちるころ、日が傾いた。俺は包みを持ち直し、広場を後にする。
明日の朝、鐘が1本鳴る。第1試験場。主任査定官。行為のみを記録。
わかりやすい。ありがたい。
◇
夕刻の通りは、人間の声よりも荷車の軋みが目立つ。
俺は道の端を歩く。足音を薄く、呼吸を静かに。
風向きが変わった。背中で、空気の縫い目が、ミシ、と鳴る。
振り返らない。けれど、夜明けの丘と同じ、あの気配だ。
「――来るなら、来い」
声は小さく、短い。通りの雑音に溶けたはずなのに、自分の耳にははっきり届いた。
角を1つ、過ぎる。わざと足音を鳴らして、次の角で消す。尾が迷うように。
影は、つかず離れず。
俺は歩きながら、指先で書類の端をなぞった。二印。2度のきしみ。
明日の朝、継ぎ目で会おう。
俺は、ゼロのまま、選ぶ。刃じゃなく、選択を。
生き延びる。規定の中で、勝つ。結果で、黙らせる。
そして、門は、きっとまた、2度きしむ。
その音に、俺はもう、怯えない。むしろ――次の1手の合図として、待っている。
最後までお読みいただきありがとうございます。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるのっ……!」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークすると更新通知が受け取れるようになります!
ブクマ、評価は作者の励みになります!
何卒よろしくお願いいたします。




