第12話 学院生アーレン
昼の風が硬くなる、という感覚がある。ギルドの前庭で学院旗がはためいた瞬間、通りのざわめきが半寸ほど沈んだ。青地に銀の輪、その輪の縁が妙にきっちりと縫われているように見える。王都の手癖だ。
俺は剣帯を半歩ずらす。呼吸をひとつ。視界の目地が揃う。
「学院だぞ」「例のゼロの奴、出てくるか」
「公開でやるのか?」「見ものだな」
合唱みたいに口元だけが動く。言葉より前に空気が決めてくる。
俺は一歩出た。足音は軽く、心は静かだ。
「行く。結果で黙らせる」
扉に手をかけたとき、蝶番が小さく鳴いた。ミシ。金物の軋みではなく、板と板の合わせ目が呼吸したみたいな音。俺は数えたくなる衝動を抑える。
ギルドのホールは明るかった。受付の前に、人の輪。中央に立つ少年が、俺を見るなり手袋を鳴らした。柔らかく、わざとらしくない音。礼儀作法の音がする。
「はじめまして。王都学院、遠征班代表、アーレン・ヴァルト。そちらが、魔力ゼロの……レイかな」
俺は頷く。セシルが横にいて、視線で場の秩序を支えている。彼女の前に申請板。白墨が用意されていた。
アーレンは1歩近づき、笑みを薄くした。嘲りではない。好奇の形だ。
「魔力ゼロ。実験サンプルとしては興味深い。公開の場で、証明してみませんか。才能が正義だという、単純で明快な命題を」
周囲の音が割れた。
「見たい、証明だろ」
「やめとけ、縁起が悪い」
「学院に勝てるわけない」
「けど、ゼロが噂の通りなら」
俺は視線をセシルへ送る。彼女は1歩前へ出て、白墨を取り上げた。板面に、すっと線が走る。余計な飾りはない。たった3行。
「安全のため、臨時規定を引きます。これに同意できるなら、公開模擬の許可を出す」
白墨の先が止まるたび、粉が小さく散った。
1 致傷禁止。媒体破損の扱いは、貸与は不問、私物は事前合意。
2 観客距離は3歩。床に白線を引きます。
3 医師の立会い必須。治療所印は2印。
静けさが戻る。ルールは刀より先に場を整える。
アーレンがちらりと板を見て、すぐ俺に視線を戻した。
「明快だ。受けよう」
「俺もいい。情報が先だ。条文、3つで足りる」
セシルが頷き、査定官が砂時計を置いた。笛が短く鳴る。砂が走る。
3拍。
俺の体はその刻みで自然に整う。胸の奥で、3、2——1、と音の影が揺れる。
アーレンはそのまま受付卓の端に置かれた申請用紙を手に取った。無意識の動きで、右下から角を揃える。王都式の揃え方だ。右下に重心が落ちる。糸の引きは右下へ。
俺はその手を見た。癖は剣より雄弁なことがある。
「どうかしたかな、レイ」
「いや。揃え方が王都だ。目地が右下へ寄る。そういう訓練」
「よく見ている。観察は武器だ。だが、才能には届かない」
その言い草に刺はない。ただ、確信があるだけだ。自分は正しい、と信じている目だ。俺は短く言う。
「結果で黙らせる」
輪から1歩出たノアが、いつの間にか床に白線を引いていた。距離は3歩。わかりやすい。観客が線の外に収まる。ミアはその背に立って、俺の袖口を軽く引いた。囁きが耳に落ちる。
「目地、右下。王都式。手袋、薄手。術式の印を切り替えるタイプ」
「了解。情報は十分」
アーレンは薄いカード状の媒体を取り出して見せた。王都の標準仕様。反射で、縁の合わせがわかる。2箇所の継ぎ。
彼はカードをしまい、代わりに礼を取った。
「約定を交わそう。公開模擬は明朝、第1試験場で。検証の手順は公開。開始合図は笛、砂時計、そして3拍」
セシルが申請板を片手で掲げる。白墨の3行が光を撥ねた。
「条文は固定。これ以上は増やさないし、減らさない。双方の署名を」
俺は名を記す。アーレンも記す。彼の筆圧は軽いが、止めが正確だ。書き出しの癖が好きだ。無駄がない。
観衆がまたざわつく。喜ぶ者、面白がる者、警戒する者。合唱は同じ口でも、歌はそれぞれ。
査定官が砂時計を逆さにした。砂の細い音。俺の呼吸はその落下に合わせて浅くなる。体は勝手に3拍でまとめにかかる。
「ひとつ、確かめる。君は、才能が正義だと言ったな」
「言った。それ以外の正義は、しばしば慰めに流れる」
「なら、俺はこうだ。情報が正義だ。3拍目で、折る」
笑いが小さく走る。挑発だと思う者もいるだろう。だが俺は挑発しない。宣言して、やるだけだ。
アーレンは目を細めた。
「楽しみだ。明日、証明しよう」
そこで話は終わってよかった。だが扉の向こうを黒外套が横切った。音が通る。ミシ。
半呼吸置いて、もう1度ミシ。門は2度きしむ。
監視はいる。評議会の手だ。彼らは結論を先に欲しがる。俺は、段取りを先に置く。
「セシル、試験場の準備は任せる。医師は誰だ」
「治療所のハレ先生。印は二印もらってある。明朝は日の高さで9、遅れないで」
「了解。媒体の貸与は?」
「ギルドの貸与品を2組用意。君は使わないだろうけど、形式上。王都側は私物と申告済み、破損は自己責任」
手続きは、美しい。目地が揃っていく音がする。俺はそれを好む。音が安定を連れてくるからだ。
人の輪がほどける。口元の合唱は道へ散り、噂は風に乗る。
アーレンは帰る前に、もう1度だけ近づいた。
「レイ。ひとつ忠告を。明日、私が使う媒体は、構文切り替えが早い。3拍を待たないかもしれない」
「なら、俺は半拍でずらす」
「半拍、ね。器用なことだ」
皮肉めいて聞こえるが、彼の目はむしろ愉しんでいる。彼は戦いを嫌っていない。検証が好きなのだ。
俺は肩をすくめる。
「技能は道具だ。道具は、正しく使う」
ミアが小さく笑った。緊張の端がほどける音。
ノアが背後で笛を磨いている。角度と唇の当たりを調整して、同じ音量、同じ高さを出すために。彼はそういう人間だ。俺は助かっている。
セシルが最後に、板へ小さく追記した。
開始合図は、笛1砂時計→3拍。
その矢印が効く。読むだけでわかるUI。これで明日の空気も揃う。
「では、解散。作業に戻っていいわ」
群衆が動く。扉へ向かう足が重なり合い、蝶番が鳴る。ミシ。ミシ。
俺は指先で机の角をなぞった。木口のささくれがない。ノアの手入れだ。
アーレンたち学院組は、揃った歩幅で引いていった。右下に重いリズム。王都の歩き方は、目地と歩幅が一致する。揃える教育を受けている。
ミアが小声で言う。
「やっぱり、右下の癖が強い。媒体も、右下に継ぎが寄ってた。合わせ目、2箇所」
「見えた。明日はそこを待つ。3拍目じゃなく、2拍目の裏」
「半拍ズラし、だね。うん、できる」
俺はうなずく。情報は揃った。明日までにやることはシンプルだ。
呼吸の稽古。3拍の内側に半拍を置く。
セシルが白墨を片づけながら、ちらと俺を見た。
「怖くないのね」
「規定がある。情報がある。怖がる理由は、ない」
「じゃあ、私の役目はひとつだけ。皆が無事に帰ってくること。条文を守らせる」
「頼んだ」
セシルは短く笑った。白墨の粉が指先から落ちる。粉は線になって床へ。ノアがすぐ掃く。見事な一連の動き。目地がまたひとつ、揃う。
日が傾く。ホールの影が長く伸びた。俺は窓に寄り、通りの旗を見た。学院旗はまだ張っている。あれは見せ札だ。宣言だ。
俺は心の中で数えた。3、2——1。
扉が遠くで鳴った。ミシ。半呼吸おいて、もう一度ミシ。
門は2度きしむ。二度目の音は、合図だ。
宿へ戻る道すがら、ノアが笛を胸ポケットにしまいながら言う。
「レイ、明日の開始、俺が笛を吹く。合図は正確に渡す。3拍の幅、少し広めに取っておく」
「ありがとう。広いほど、俺は遊べる」
「遊ぶなよ。安全第一。セシルに怒られる」
「怒られてもいい。生きて帰れば」
ミアが前を歩きながら手を振った。
「帰ったら、少しだけ休んで。頭、使いすぎると熱がこもる」
「わかった。3拍だけ寝る」
「3拍は短すぎ」
笑いがひとつ。音で空気が軽くなる。
宿の戸口で、また蝶番が鳴った。ミシ。木の香りがする。俺は数えるのをやめて、靴を脱いだ。
夜は短い。だが短いほど、密度を増せる。
俺は寝台の端に腰を下ろし、視線で空間の目地を辿る。右下へ寄る癖。明日、彼はそこで呼吸を重くする。待つ。
呼吸を整える。3、2——1。
まぶたが落ちる直前、泉の底で見た古い継ぎ板の文様が脳裏をかすめた。世界の大きな式の端材。あれも右下に重かった。
右下に集まるものは、きっと、誰かがそこへ寄せた。
なら、切る場所はわかっている。
翌朝の光がまだ遠い。けれど、拍はもう始まっている。砂は落ち続け、笛は乾いている。
俺は目を閉じる。半拍の隙間に身を置く。
情報が正義だ。3拍目で、折る。
結果で黙らせる。
それだけだ。
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