第1話 魔力ゼロの俺と一本の剣
針は、動かなかった。
携行式の魔紋計。村で一番まっとうで、残酷な機械だ。丸いガラスに俺の顔と空の針が2重に映っている。指先に汗がにじみ、喉が乾いた。けれど、黙って見ているしかない。
「……ゼロ。記録、以上」
判定師の声は乾いていた。乾いた声は、乾いた土に吸われるみたいにすぐ広がる。
「ゼロ、だってさ」「ほら見ろ、光らない」「畑でも耕してろよ」
口元だけが笑う。目は笑っていない。俺は、彼らの笑いの形が嫌いだった。
「笑うなら勝手に笑え。俺は――生き延びる」
言葉は小さかったけれど、自分で聞こえるくらいには硬かった。俺がそれを言い終わると、誰かが舌打ちした。誰かは肩をすくめ、誰かはため息をついて散っていく。
俺は魔紋計のガラスをもう1度のぞき込んだ。針はやっぱり、動かない。空っぽの穴みたいに、そこにあるだけだった。
魔力があるやつは、光る。数字が出る。未来の選択肢が並ぶ。
俺には、ない。
けれど、ないから見える場所だって、きっとある。
◇
昼過ぎの原っぱは、暑い。風はあるけれど、草の匂いを混ぜながら、のろのろ巡っている。
俺は木剣を持って、足の裏に草の感触を確かめる。右、左。半歩、ずらす。
「足、腰、呼吸――3つで1つ。半歩ずらせ」
口の中で繰り返す。これは誰かに教わったんじゃない。見た。田舎の喧嘩、巡回兵の稽古、旅の剣士が気まぐれに振った1太刀。全部を盗み見て、頭の中で組み替えた。
息を吐く。肩の力を、落とす。
木剣が空を切り、樹皮に白い薄線1本、すっと残った。線は細くて、だけどはっきりしていた。白墨をかすめたみたいな、乾いた線。
「……いける」
誰に認められなくても、俺は俺の線を見る。
もう1度。半歩ずらして、振り下ろす。線は2本。2本の隙間に、わずかに、空気が鳴った気がした。
ピン。
そう、針金を弾いたみたいな、小さな音。幻聴かもしれない。でも、俺は耳に仕舞った。俺の辞書の、1ページ目に。
汗が目に入って、視界が滲む。木剣を地面に立てかけ、水袋に口を付ける。
喉を通る冷たさが、急に心細くなる。今日、俺はゼロになった。村の中で、もっとも簡単に諦められるやつになった。
だけど、ゼロは穴だ。穴は、鍵穴にもなる。
「……鍵が、あれば、の話だけどな」
独り言に、自分で笑った。
太陽が傾き始める。影が伸びて、原っぱが金色に染まる時間。俺は木剣を背負って、丘へ向かった。黄昏の風は、昼より少しだけ急ぎ足だ。
◇
黄昏の丘には、1本の痩せた木と、草の波と、沈む太陽がある。
それから、今日はもう1つ。
灰色の外套の男が、俺の足を見ていた。
黙って、ただ、見ている。嫌な視線じゃない。間違い探しみたいな、淡々とした目だ。
「……練習を、見られてました?」
俺が言うと、男はうなずきもしないで、小石を拾った。指先でつまみ上げ、俺の右足の甲に、コツ、と当てる。
「足が死んでる。半歩、ずらせ」
短く、低い声。知らない人の声なのに、聞き慣れたルールみたいにすっと入ってきた。
俺は言われたとおり、半歩ずらした。
男は、俺の腰を横から見て、また小石で、今度は踵をコツ、と叩いた。
「腰も、呼吸も、いっしょ。3つで1つ」
「……はい」
なぜか、反射で返事が出る。
男は俺の顔を見た。近くで見ると、年は読めなかった。若いとも、老けているとも言えない。灰色の外套、灰色の髪、灰色の目。色が抜けているというのではなく、色が混ざりすぎて灰になった、みたいな。
「お前、ゼロか」
「今日、判定出ました。ゼロです」
「ふうん」
それきり、男はまた俺の足元を見た。
会話が切られて、ふっと胸が軽くなる。軽くなった分だけ、少しだけ、言いたいことが漏れた。
「ゼロですけど、だから届く場所が、あると思ってます」
男の眉が、ほんの少しだけ動いた。
それから、ゆっくりと丘の上を指さす。痩せた木の根元に、白い線がうっすらと残っていた。誰かが粉チョークで引いたみたいに細い線。風で消えかけている。
「見るな。感じろ。感じたら、決めろ」
線を見ながら言われる、「見るな」は矛盾している。でも、声に怒りはない。
俺は木剣を抜いた。線のそこだけを、狙う。
呼吸を合わせる。足、腰、呼吸――3つで1つ。半歩、ずらす。
木剣の切っ先で、線の端を、コト、と外した。ほんの気持ちだけ、空気の張りがほどける。
ピン。
今度は、確かに鳴った。喉の奥で鳴ったみたいに、淡い音だ。
男は少しだけ顎を引いた。無言の「まあまあだ」という顔。褒め言葉じゃない。でも、悪くない。
「昔、ゼロで世界を繋ぎ直した奴がいた」
男が言った。風の向きが変わって、灰色の外套の裾が揺れる。
「……繋ぎ直す?」
「線と線の、継ぎ目を。名前は、消されたけど」
「消えるほどの話、ってことですか」
「消さなきゃ困る連中が、いた」
男は空を見上げた。茜色。日と影の境界は、はっきりした線になって、丘を2色に分けている。
俺は、その境界に自分の足を置いた。半歩ずらす。境界線の上に、踵を乗せる。
「……もし、その話が本当なら、俺は嬉しいです」
「なぜ」
「ゼロでも、鍵穴になれる。そういう話だから」
男は、ふっと笑った気がした。目尻が少しだけ、柔らいだ。
それから、外套の中から、細長い包みを取り出す。灰色の布で、丁寧に巻かれている。
胸が、勝手に高鳴った。
「選ぶのは刃じゃない。選択だ」
男が包みを俺に渡した。手のひらに、ずしりと重みが乗る。
包みの布越しに、形がわかる。剣だ。けれど、そこにあるのに、影が薄い。光を飲む、というより、光の当たり方がずれているような。
俺はそっと、包みを開いた。
そこにあったのは、虚ろな剣だった。
黒いわけじゃない。透明でもない。輪郭だけがはっきりして、中身が空洞みたいに軽く見える。だけど、持つ手首に、世界の重さがのしかかってくる。
「っ……重い。世界が、軋む」
膝が、わずかに揺れた。支え直す。呼吸が乱れる。3つで1つを、思い出す。足、腰、呼吸。半歩。
3呼吸で、握り直す。
男は、じっと見ていた。何も助けないし、何も責めない視線だった。
「名前は?」
「お前が、決めろ」
「……だったら、仮で。虚ろ剣――《Nullblade》」
口にした瞬間、掌に冷たいものが走った。剣が、わずかに鳴る。鳴ったのか、俺の脈が鳴ったのか。
ピン。
男は、やはり何も言わない。けれど、その沈黙は、肯定に近い。
「使い方は、教えてくれるんですか」
「いいや。お前が決める。選択だ」
「選ぶのは刃じゃなく、選択」
繰り返すと、言葉は少しだけ温度を持った。
俺は剣を持ち上げて、包布に戻した。布越しに伝わる輪郭は、やっぱり薄い。なのに、腕は軽く震えている。
これが、穴に差し込む鍵かもしれない。
鍵であり、楔であり、継ぎを留めるピンであり。そんな予感がした。
「お前の足運びは、悪くない」
男は言った。褒め言葉だ。今度は、間違いなく。
「ただ、死ぬな」
「はい」
「また会う。死んでなきゃ、な」
あまりにも自然に言われて、俺は笑った。
死なない。生き延びる。結果で、黙らせる。
それが、今日の朝、魔紋計の針が動かなかったときから変わらない、俺の目標だ。
「……あの。昔話の、続き。聞きたいです」
「続きは、お前が歩けば、勝手についてくる」
男は踵を返した。灰色の外套が、夕闇に溶けるように遠ざかる。
俺は包みを抱えなおし、痩せた木の前にしゃがみ込む。粉チョークの線は、もう半分以上消えている。俺は指でなぞって、残りを覚えた。
線は、ただの線じゃない。物と物の間を定義する、見えない境目。
剣は、その境目に触れる。
それが、今の俺にわかる、ただ1つのことだ。
◇
夜が、丘の上まで追いついてきた。
星の出るタイミングは、いつも曖昧だ。暗い布に、1つ、2つ、と針穴が開いていく。
俺は包みの上から剣を握った。右手に、薄手の手袋を嵌め直す。ぴたり、と掌に馴染む。
3つで1つ。半歩ずらす。
頭の中で、リズムが鳴る。3、2――1。声には、まだ出さない。今は、体だけに刻む。
風が、丘を横切った。草の縫い目が、ミシ、と一瞬だけきしむ音。
俺は振り返る。誰もいない。
空気の縫い目は、何事もなかったみたいに閉じていく。
「気のせい、か」
立ち上がり、村の方角を見る。ここからだと、見張り台の灯りが小さく見える。門がある場所だ。
門は、村の喉だ。夜になると、2重の門が降りる。
俺は包みを肩に掛け、丘を降り始めた。足元の石がころりと転がり、闇に紛れる。
今夜から、俺はゼロのまま、剣を持つ。
この村の誰に笑われても、もう、どうでもいい。
「……鍵穴を、回すだけだ」
言葉にすると、気持ちが少しだけ落ち着いた。
黄昏の残り香が、背中にまとわりつく。空は、深い紺色になっていく。
草の縫い目が、また、ミシ、と鳴った。今度は確かに、どこか、遠くで。
村の門が、きしむ音がした。
1度目は、明らかに閂が降りる音。昼から夜へ、決まり通りに変わる音。
そして――
もう1度、門は、きしんだ。
俺は立ち止まる。風が止む。耳だけが、夜をすくおうと尖る。
草の波は沈黙し、月の光が薄く丘を洗う。
誰かが、見ている。
胸の中で、何かがピン、と鳴った。
包みの中の剣が、わずかに冷たくなる。俺の手の汗が引いていく。
半歩、ずらす。
視界の端、夜の縫い目が、ほんの一瞬だけ、ほどけたように見えた。
「――来るなら、来い」
声は小さく、短い。夜は、答えない。
俺は息を整え、門の方へ歩き出した。
生き延びる。結果で、黙らせる。
ゼロは穴だ。穴は、鍵穴にもなる。
なら、回すだけだ。俺が選ぶ。刃じゃなく、選択を。
月は高く、門は2度きしみ、風は、背を押した。
次の1歩で、何かが変わる。そんな確信だけが、やけに鮮やかだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるのっ……!」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークすると更新通知が受け取れるようになります!
ブクマ、評価は作者の励みになります!
何卒よろしくお願いいたします。
精霊契約でパーティー追放されたけど、今さら戻ってこいとか言われても遅い!
https://ncode.syosetu.com/n6190lh/
こちらも絶賛連載中ですのでもしよろしければよろしくお願いします。




