第17話 庭師のアインおじさん
王都の朝。
わたしは豪華な部屋で目を覚ます。
一緒に寝ている白狼のニーナが「くぅん」と鳴く。
「おはよ、ニーナちゃん」
わたしは上体を起こそうとして、ビクッと体を反応させて驚く。
ニーナはベッドの反対側に飛び降りる勢いで驚いていた。
ベッドの傍に猫獣人メイドのミーニャが、ぬぼーっと立っていたのだった。まん丸な黒い瞳でわたしを見下ろして。
「起きた。おめざのジュース」
「あ、ありがと」
わたしはコップを受け取ってジュースを飲む。
目でミーニャを見つつ。
ミーニャは猫だからか、歩く音がしない。恐ろしく静かだ。
だから傍に立たれると、急に現れたように感じてびっくりする。
ジュースを飲み干したわたしはベッドから降りつつ尋ねる。
「そう言えば、ミーニャ」
「にゃ?」
「ジューシヒカエテンってなに? わたしの名前になったら笑われたんだけど?」
「わからない」
ミーニャは無表情のまま、淡々と答えた。
しかし、わたしは見逃さなかった。
ミーニャの黒くて細い尻尾が、びくっと動くのを。
「どんな意味があるか教えて?」
「グランツ様が教えるはず。私からは何も言えない」
ミーニャは抑揚のない声で、きっぱりと断ってきた。
――グランツに聞くしかないか。
今は忙しいみたいで、なかなか会えないけど。
その後は朝食を食べて部屋を出た。ニーナの背に乗りつつ。
朝から倉庫に行って塩乾パンを出しまくる。
今度は王国全体だからその分、必要とされる量も多かった。
塩乾パンを出す方式も変わった。
今までは空いた木箱がいっぱいになるまで流し込んでいたけれど、今は倉庫の端から端まである長い机の上にざあぁ~っと塩乾パンを出していった。
それを女性たちが、せっせと木箱に詰めていく。
わたしの発案だった。
今までの方式だと、箱の中に隙間ができてしまい、運搬中に破損することが多かったらしい。
そこで女性たちの手を借りて、きっちりと箱に合わせて詰めていき、破損しないようにしたのだった。
しかも配る地域出身の女性たちにしてある。
なぜなら塩乾パンをくすねても咎めない代わりに、配給先の個数は減らすと伝えてあった。
女性たちの親兄弟がひもじい思いをする結果となる。
だから女性たちは悪さをすることなく、必死で作業に没頭していた。
くすねられる個数も劇的に減った。
わたしも安心して作業に没頭できた。
数時間後の午後過ぎ。
「ふうっ」
わたしはお城の庭を長いスカートを揺らして歩いていた。
隣を白狼のモモがのんびりと歩いている。時折、あくびをしながら。
一応、わたしの護衛のはずなんだけど……。
庭園には剪定された緑の灌木が並び、鮮やかな花がちらほら咲いている。
今日の仕事が終わって疲れたわたしは、適当なあずまやを見つけて座る。
すると、どこからともなくメイドのミーニャがやってきて、お茶を入れてくれた。
手からクッキーを出しつつお茶を飲む。
日陰の下、カップ越しに眺める優雅なひととき。
モモちゃんにもピーチパイを一切れ与えるのは忘れない。
――と。
あずまやの傍に人が来た。頭にタオルを巻いた、30代ぐらいの男性。
優しそうなおじさんだった。剪定鋏をチョキチョキと鳴らして灌木を刈っている。
庭師のようだ。
わたしはなんとなく話し相手が欲しくて声をかけた。
お城の庭師なら怪しい人じゃないだろうし。
「こんにちは。精が出ますね」
「おや、こんにちは。見かけない人ですね」
「最近来たんですよ。アリアって言います」
「そうですか、これはご丁寧に。私はアインと言います」
わたしはお茶の入ったカップを掲げて言う。
「アインさん、一緒にお茶でもどうですか?」
「それはありがたい」
アインさんは頭に巻いたタオルをほどくと額の汗をぬぐいつつ、あずまやに入ってきた。
闇のように黒い黒髪。グランツのような輝く赤い瞳に、わたしは驚く。
ミーニャがアインさんの前にお茶の入ったカップを置く。
アインさんは、香りを楽しみつつ一口飲んだ。
「うん、いい淹れ方だ。なかなかやるね、猫さん」
「にゃ」
ミーニャは少し胸を反らして鳴いた。失礼に当たらないのかと少し思う。
わたしはアインさんの開いたお皿に手を伸ばす。
「よろしかったら、お茶うけにどうぞ」
手のひらからフィナンシェとクッキーを出した。
目を丸くするアインさん。
「魔力を使わずに? ……まさか、聖女様ですか?」
「あ、はい。追放されましたが拾われて、先日この国で聖女と認められました」
「それは苦労されたでしょう。正しい地位を得られて、本当に良かったです――あ、おいしい」
アインさんはフィナンシェをかじりつつ、朗らかに笑った。
見ているわたしも、心がほぐれるようだった。
そんなアインさんの瞳を見つつ、気になった点を尋ねる。
「赤い瞳って珍しいですね」
「いや、どうかな? この国ではそこまで珍しくないかもね。なんせ吸血鬼が初代国王だから。その血が広く伝わってるんだよ」
「そうなんですか。すみません、わたしはこの国に来たばかりで、歴史を知ってなくて……」
アインさんは、お茶を飲みつつ頷く。
「でしたら、私の知っている範囲で教えましょうか?」
「助かります」
わたしは頭を下げて教えを請うた。
なぜならわたしはグランツのことも、シュタールヴァルトのことも、他国から見た視点でしか知らなかったから。
シュタールヴァルト国民の目から見れば、また違った解釈があるはずだった。
その後は、アインさんによるシュタールヴァルト王国の建国から現在までの歴史を面白おかしく習った。
話し方が上手くて、お勉強というより楽しい雑学を聞いている気分だった。
そこでふと出た疑問を尋ねてみた。
「アインさん。わたしは領地を持たない貴族になったんですが、名前を言うとみんな笑うんです」
「ほう? なぜでしょう?」
「えーっと確か、アリア・フラン・フォン・ジューシヒカエテンと言うんで――」
「ぶはっ!」
アインさんが飲んでいたお茶を盛大に噴出した。
その後もゴホゴホとむせて咳をする。
「大丈夫ですか?」
わたしが気を使って尋ねると、アインさんは今日一番の笑みで爽やかに言った。
「うーん、大丈夫。でも私にはわからないかなぁ? その名付けたグランツって人に聞けばいいと思うよ?」
「あー、そうですか。わかりました」
絶対おかしな意味があると思った。
――次、グランツにあったら問い詰めてやる!
ただ忙しいのか、王都に来てからなかなか会えないけど。
その日以降も、アインさんの話を聞きたくて庭で出会うとお茶会をした。
わたし的には暇な時間を有意義に過ごしていると思っていた。
――でも、実際はそうじゃなかった、と後でわかった。
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