第14話 思い付きと白狼ダイエット
うららかな日差しが降る午後。
今日もわたしは倉庫で塩乾パンを出していた。
大量に出して木箱を満たすと、兵士や従者が蓋をして運んでいく。
配る地域が増えたので出す量も多くなったが、どれだけ出してもわたしの身体は疲れなかった。
「ふうっ」
予定された塩乾パンを出し終えて、わたしは額の汗をぬぐいながら一息つく。
体は疲れなくても、心はやっぱり疲れる。
わたしは手のひらからはちみつクッキーを出してかじる。優しい甘さが舌や体に心地よい。
倉庫の高い天井を見上げながら思う。
いずれはこの三階建ての高い天井を持つ倉庫を、塩乾パンでいっぱいにしなくてはいけない。
わたしが去った後も配給できるようにするため。
ただ結構大変だなあと思わざるを得ない。
わたしは倉庫の隅へ行くと、丸くなっていた白狼のイチローに抱き着く。
もふもふの感触が心地よい。
「はぁ~癒される~」
「ぼふっ」
イチローが嬉しそうに変な声で鳴いた。
白毛に埋もれつつ、わたしは考える。
ふと、お菓子の縮小ができたのなら、拡大したお菓子も出せるんじゃないだろうか、と気になった。
どれぐらいの大きさが出せるのか。
わたしはイチローから離れて倉庫の開いた場所へ行くと、とても大きな塩乾パンを想像しつつ右手をかざした。
「えいっ!」
わたしの気合の入った声と共に、巨大な塩乾パンが出現した。
縦は2メートル、幅は1メートル、厚みは数十センチはある塩乾パン。
ちょっとした壁だった。
塩乾パンはぐらりと揺れて、小柄なわたしへと倒れ掛かって来る。
「わ、うわっ、やばっ!」
両手を伸ばして塩乾パンを抑えたけれど、分厚い塩乾パンの重みはけた違い。
ぐぐぐっと、わたしを潰すかのように倒れてくる。
「わぉん!」「くぉん!」「がうっ!」
白狼たちが、わたしを助けようと飛び上がった。
しかしドテッと転んだ。
次々に転ぶ白狼たち。
――やっぱり太りすぎてるんじゃ?
私は必死で巨大な塩乾パンを抑えつつ、そんなことを考えた。
――と。
颯爽とした銀色が倉庫へ飛び込んできた。
「大丈夫ですか、アリア様!」
グランツだった。
彼はわたしを抱えると、塩乾パンの下から助け出した。
どぉんっと重い音を立てて巨大な塩乾パンは地面に倒れた。
グランツの腕に抱かれつつ、わたしは彼を見上げる。
「あ、ありがとう。グランツ」
「言ったでしょう? 私はアリア様を絶対に守ると」
「う、うん」
優しい言葉と、頼りになる笑顔。
わたしは細くもたくましい彼の腕の中で鼓動を高鳴らせた。
グランツが巨大塩乾パンを見下ろしながら言う。
「しかし……こんなこともできるのですね、アリア様は」
「うん。前に小さいのが出せたから、大きなお菓子も出せるかと思って……死にそうになったけど」
私の言葉に、グランツが目を細めて笑う。
「ふふっ、さすがアリア様です」
「笑わないでよっ」
わたしはグランツを見上げた。
なぜだかおかしさが込み上げてきて、グランツと目を合わせながら笑いあった。
心から笑ったのはいつぶりだろう? 彼が声を出して笑うところも初めて見たかもしれない。
彼の腕に抱かれながら、お互いこらえきれずに笑い続けた。
――と。
「くぅん……」
白狼たちの悲しげな声が聞こえた。
目を向けると、白狼たちは伏せをして悲しげな顔でわたしを見ていた。
咄嗟に助けられなかったことを悲しんでいるらしい。
わたしは白狼たちを見て言った。
「助けようとしてくれてありがと――でも、太ってない?」
がーん、とショックを受ける白狼たち。
実際、すらりと長い手足はもふもふの毛に埋もれて、全体的に丸くなっている気がした。
グランツが思慮深げな視線で白狼を見る。
「確かに……食べ過ぎなのかもしれません」
「やっぱり?」
「野生の狼は、毎日食事にありつけるとは限りません。時には三日や一週間も食べられないはず。だから食べられるときに食い溜めをする習性があるのだと思われます」
「それで毎日安定して食べられるのに、毎回限界まで食べてしまうのね」
ふと、小さな白狼に目が留まった。みんなのお母さん、マミーだ。
マミーだけは、細い肢体を維持していた。
確か毎回の食事でも、パイを二枚しか食べていなかった。
――小さいから小食なのかなと思っていたけれど。
「マミーは太ってないのね」
「くぉん」
マミーは胸を反らして高く鳴いた。
わたしは深くうなずく。
「ということは、他のみんなの食事も減らしたほうがよさそうね」
「わんっ」
マミーは当然とばかりに吠えて答えた。しかし、他の白狼たちは絶望した表情でわたしを見た。
「じゃあ、朝晩四枚ずつがいいかな?」
マミーに尋ねると首を振った。ますますショックを受ける白狼たち。
「じゃあ、三枚?」
まだマミーは首を振る。
「じゃあ二枚」
マミーが頷く。白狼たちは白目をむいてひっくり返っていた。
――可哀想だけど、しかたない。
「ちゃんと運動もするなら、おやつはあげるから」
「「「くわぉん!」」」
白狼たちは、救われたかのように笑顔で鳴いた。
マミーだけが、やれやれと言った感じで頭を振っていた。
それからというもの。
白狼たちはダイエットに励んだ。
朝はマミーに連れられて、砦の外周を走る。
さらにオス狼は騎士団の駐屯地へ行って練習に参加。
メス狼はゆっくりとした動きで伸びをしたり捻ったりの体操をする。体幹を鍛えているようだった。
マミーだけはいつも通り平然としていた。時々、倉庫や砦の屋根に登って丸くなっていた。
実は猫かな? と思ったのは内緒だった。
◇ ◇ ◇
深夜の領都。
砦にある豪華な調度品の多い執務室にグランツとヴィーがいた。
執務机にはヴィーが座って仕事をしていた。書類を覗き込んで唸っている。
傍にはグランツが机に手をついて立ちつつ、ヴィーの持つ書類を覗き込んでいた。
「食糧配給は順調なようですね」
「アリアさんのおかげさ。膨大な塩乾パンがあるから、領内すべてに配れる。しかも、たったの一週間で三ヵ月分の食料が備蓄できたよ」
グランツは祈るように手を合わせて感嘆の声を出す。
「さすがはアリア様です。私だけでなく我が国にも救いの手を差し伸べてくださるとは」
「しかも美人さんだしね?」
グランツがヴィーを冷たい視線で睨む。
「見た目の美醜にこだわるなんてヴィーも愚かですね。例えアリア様の見た目がオークだったとしても、私は心からお慕い申し上げますよ?」
「グランツの心酔ぶりにはかなわないね」
ヴィーは肩をすくめて苦笑した。
グランツは胸を張って応える。
「当たり前です。アリア様には私の剣と命を捧げると誓ったのですから」
「そこまでしてたんだ――そう言えば、ここ領都でSランクモンスターが目撃されたよ」
「なんですって!? 非常事態ではないですか! アリア様にもしものことがあったらと思うと、気が気でなりません!」
「うん、王都にも知らせて助力を請おうかと思ったんだけど……」
「……気になる言い方ですね。いったいどんな魔物だったんでしょう?」
「ソニックバードだよ、グランツ。碧空鳥とも呼ばれる、あの鳥さ」
淡々と言ったヴィーの言葉に、グランツは絶句する。
「なっ!? 一瞬で音速を超え、進路上の障害物をすべて衝撃波で破壊する、災害級の魔物! ――王国騎士団をもってしても倒せるかどうか……」
「でも倒さないことにしたよ」
「なぜです?」
グランツは厳しい目をしてヴィーを問い質した。
しかしヴィーは可愛い笑みで見返した。
「今のところ被害はないし、普通の小鳥のように振る舞ってるし。それにアリアさんの出すお菓子のおこぼれを突いてるだけだなんだ」
その言葉にグランツは細い顎に手を当てて考え込む。
「そう言えばアリア様が白狼たちに餌をやるとき、一瞬だけ青い鳥を見かけた気がしました」
「うん、僕も一回だけこの目で見たよ」
「――ということは、さすがアリア様。伝説のソニックバードすら餌付けしているなんて心底感服いたします」
グランツは胸に手を当てて、蕩けるような笑みを浮かべた。
ヴィーは悲しみを帯びた苦笑を浮かべながら俯く。緑の髪がサラッと垂れて、苦笑する目元を隠す。
そして、ぼそっと呟いた。
「君をそこまで夢中にさせるなんてね。ちょっと嫉妬しちゃうよ」
「ん? 何か言いましたか、ヴィー?」
「なんでもないさ」
その後、二人はまた何気ない調子で執務に戻ったのだった。




