第12話 辺境伯領での暮らしぶり
三日後。
うららかな朝日が大きな窓から斜めに差し込む。
わたしは天蓋付きのベッドで目を覚ます。
木の生える中庭に面した広くて上品な部屋にわたしはいた。
ふと横を見るともふもふの毛だまりがある。じーっと静かに見ている大きな目とわたしの目が合った。
メス狼のアフルだ。寝ている間も見守っていてくれたらしい。
わたしは白い毛を撫でつつ挨拶する。
「おはよう、アフルちゃん」
「くぉん」
アフルは可愛く鳴いて起き上がった。わたしも上体を起こす。寝間着がふわりと揺れる。
するとドアがノックされたあと、若いメイドさんが入ってきた。手にはトレイを持ち、コップと深いお皿が載っている。
「おはようございます、アリア様」
「おはよう」
「こちら、おめざでございます。今日はアフルジュースです」
メイドさんがベッドの傍まで来て、わたしにコップを渡す。
続いて、床の上に布を敷いてその上に深い皿を置く。
「くぉん」
アフルが嬉しそうにふさふさの尻尾を揺らしてベッドを降りると、お皿に近寄って飲み始めた。目を細めながら、長い舌を浸して口へと運ぶ。
さすがアフル好きなだけある。
わたしもコップに口を付けてアフルジュースを刻々と飲んだ。目の覚める漆器利した酸味と、爽やかな甘さがのどを抜けていく。
最初はベッドの中で飲み物を飲むなんて行儀が悪いと驚いたけど、上流の家庭では普通らしい。
確かに、飲み物を飲んでいくに従って眠気も一緒に消えていく。
上流階級だけが知る合理的な習慣なのかもしれない。
というか寝室の警備をすると朝おめざが飲めると知った最初は、イチローやサンダースもやる気だったが、メス狼たちにボコボコにされた。
結果、私の部屋の警備はメス狼たちだけで順番になっている。
ともあれ、今は貴族の令嬢のように扱われている。
村で生まれて教会で育ったわたしとしては、気後れするぐらいの豪華な暮らしだった。
わたしは飲み終えたコップをベッドサイドのテーブルに置き、ベッドから出る。
「ではこちらに着替えましょう」
「はい」
メイドさんに手伝われて寝間着を脱いで、服を着る。
黒いスカートと白いブラウス。朝食の後は作業するので動きやすい服装をお願いしていた。
ただしブラウスの襟や袖にはフリルが付いていて、貴族の令嬢が着るような上品さがある。
さらに白色の短いマントを羽織った。聖女の証。マントには森林を背景に剣とハンマーが交差した紋章――シュタールヴァルトの国章が入っていた。
着替えている間にアフルがジュースを飲み終えた。
わたしのそばに寄ると伏せをする。
アフルの背に乗りながらメイドさんにお礼を言う。
「ありがとう――アフルちゃんもね。じゃあ、いくよ」
「いえいえ、私にお礼など。仕事ですので」「くぉん」
アフルもわたしをのせるのを仕事だといいらしい。
メイドさんがわたしに言う。
「本日の朝食は執務室で一緒に取るようにとヴィー様からの要望がございます。伝えたいことがあるそうです」
「わかったわ。ありがと」
メイドさんがドアを開けると、アフルが出る。
天井の高い廊下をアフルに乗って進んでいく。
アフルは砦内を我が物顔で歩いていく。
この三日間で、狼たちは砦の中を歩き回ってすでに把握していた。
砦の人々も最初は驚いていたけれど、今は普通に接していた。慣れたらしい。
わたしは白い毛に埋もれながら、安心して運ばれていく。
人とすれ違う時は挨拶をかわしつつ。
ただ掴まっているアフルの体がポヨポヨしているのが気にかかった。
――太ってきた?
とは、レディーに尋ねるのは失礼なので黙っておいた。
そして二階の廊下の奥、兵士が警備している扉まで来た。
部屋に入る。広くて豪華な調度が置いてある。ただし壁や天井は武骨な石組みだった。
執務机にはヴィーが、ソファーにはグランツが座って書類を見ていたが、わたしが入って来るなり立ちあがった。
「おはよう、グランツ。ヴィーさん」
「おはよう、アリアさん」
ヴィーは気軽に片手を上げて挨拶した。爽やかな笑顔だけど、目の下にクマができている。
グランツはわざわざ私の傍に来ると片膝をついて挨拶した。
「おはようございます、アリア様。今日も一段と美しくあられますね」
「あ、ありがと」
にこやかな笑みを浮かべて美形に傅かれると、少し照れて目を逸らすしかなかった。
ただグランツの赤い目の下にもクマができていた。銀髪も心なしかくすんでいる。
「二人とも、寝てないの?」
「ちょっと大変だったからね」
ヴィーは苦笑して頭を掻いた。
二人は領都に到着した日からずっと、塩乾パンの配布先や配布方法について協議、立案していた。
ちょうど王子に会うために、領都の偉い人や領内の町村の偉い人たちが集まっていたから迅速に進められたというのもある。
グランツが言うには、わたしの塩乾パンは特級の軍事物資となるから、今までより厳しい体制を取らなくてはいけないんだそう。
グランツは悲しげな顔をして私の右手を取った。
「申し訳ございません、アリア様。他の仕事に時間を取られて、まだご両親の捜索や連絡は手つかずでございます」
「ああ、うん。仕方ないよ。両親のことは後回しで良いから。まずはシュタールヴァルトがよくなってもらわないとね」
「ああ、自身の事より人々のことを優先する、アリア様。まことの聖女様です」
グランツがわたしの手の甲にキスをする。全身が火照りそう。
恥ずかしさで慌てて手を引き離しつつ言う。
「おおげさよ――それより朝食食べましょ!」
執務室には場違いな四人掛けのテーブルが置かれていて、その上には朝食が用意されていた。
わたしが席に着くと隣にグランツ、正面にヴィーが座った。
野菜のサラダとスープがある。
黄色いスープは濃厚でドロッとしていた。ポタージュスープと言うらしい。
サラダも新鮮で、ドレッシングも爽やかな酸味があっておいしい。
だけど――あれ? サラダとスープだけ? 朝から大きな肉は食べないだろうけど、パンはないの?
メイドさんが持ってくるのかと思って周囲を見渡す。
すると、グランツが丸いお皿を持って、飼い犬が餌を欲しがるような視線でわたしを見てきた。耳と尻尾の幻影が見える。
「アリア様、すみません。ミートパイを一切れ頂けたら、今日一日頑張れます」
「ああ、そういうことね。――はい」
わたしは手のひらから八分の一にカットされたミートパイを一切れ出した。ヴィーの前にあるお皿にも出す。
グランツは優雅に湯気の立つミートパイを一口食べて破顔する。
「ああ、おいしい……アリア様の慈愛が心にしみわたるようです」
グランツは目の端に涙を浮かべている。
おおげさな、とは思うけれど、でも村の味を喜んでくれるのは素直に嬉しい。
ヴィーも一口食べて紫の目を見開く。
「これがグランツの言ってたアリアさんのパイかぁ。うん、濃厚な味、初めて食べるね」
「ヴィーさんのお口に合ったらいいですけど」
「とてもおいしいよ」
ヴィーも白い歯をキラリと光らせて笑った。笑顔が眩しい。
――と。
二人の体が微かに光った。
「え?」「む?」
光が消えると、二人の目の下にできていたクマが完全に消えていた。
わたしは驚きとともに、気が付いた考えを口にする。
「あっ、寝不足で体力落ちてた分を回復したっぽい?」
「なんと!」
「つまり状態異常まで回復する……? もう回復薬じゃなくて万能回復薬の効果ではないですかっ」
二人がパイとわたしを見て目を見張る。
深刻な顔をする二人を見て、わたしは、たはは、と苦笑気味に笑うしかない。
「いや~、女神さまからもらったスキルって、やっぱりすごいんですね~」
「すごいなんてもんじゃないよ、アリアさん」
「さすがアリア様です。国どころか世界をお救いになる力です」
感銘した声を上げる二人。
他愛ない話をしながら朝食は続いた。
そして食事も半場になったころ、ヴィーとグランツが視線を交わして頷き合った。
なんだろう? と思っていると、ヴィーが一個の塩乾パンを差し出してきた。
わたしの前に置かれた塩乾パンは、表面に黒い模様が描かれていた。
剣とハンマーが交差した国の紋章を焼き印にして押してある。
わたしは塩乾パンを見つつ、首を傾げる。
「塩乾パンですか?」
「アリアさん、これと同じような焼き印を、最初から塩乾パンに付けておくことはできますか?」
「え、どうだろ。やってみる」
模様をじっと見ながら、右手に集中して力を籠める。
頭の中で焼き印付き塩乾パンをイメージする。
ぽこっと手のひらの上に焼き印付き塩乾パンが出た。
「あ、できた」
ほっと息を吐くグランツとヴィー。
お互い助かったとでも言うように微笑む。
「よかった」
「これで出荷の工程を一つか二つ、飛ばせますね」
「どういうこと?」
ヴィーが微笑みながら塩乾パンを手に取る。
「いえ、まずは領都に配り、次に近隣の村に配ったのですが、配る過程で少しずつ、くすねる人が出てきてるようでしてね」
「えっ、それは問題じゃない?」
「予定した個数が配達先へ届かない上、これほどの価値がある食べ物を転売されては問題も発生するかと」
「回復の効果があると言って、普通の塩乾パンを混ぜて高く売ったり?」
「そうです。今はまだ問題にはなっておりませんが今から対策を取っておかないと、のちのち問題になるかと思われます」
「それで王家の焼き印を付けるのね。でも削ったりされたら?」
「王家の紋章を削るなど、不敬の極み。普通は死罪になりますよ」
それならくすねる人も減るだろうと思った。
安心かな。
グランツが赤い目を光らせながら怖い笑みを浮かべる。
「でもこれで目処が立ちました。アリア様が心配するようなことは何もありません。今後もアリア様を脅かす者が出たら、即刻、処しますのでご安心ください」
「処すって……でも、ありがと――じゃあ、他のパイやお菓子も食べましょ!」
わたしは空いたお皿に野菜卵パイやアフルパイを出しつつ言った。
グランツはわたしのためなら本当にやりかねないので、こわ恐ろしい。
現実を直視しないよう話題を変えるに限る。
その後は三人で楽しくおしゃべりしながら食後のお茶を飲んだ。クッキーやフィナンシェを食べながら。
優雅な朝食が終わるまでの間、アフルは部屋の隅で伏せをした体勢で大人しく待っていた。お腹がすいたのか悲しげな眼をしつつ。
ちょっと申し訳ないと思った。
ブクマありがとうございます。ついに二桁。嬉しいですヽ(・∀・)ノ




