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この新婚旅行は、離婚前提。  作者: あだち


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7/7

7 敵が多い

 走る馬車の中で、テレーザは尽きないため息を封じ、エミリオの話について考えた。


 彼が口にした『不穏な動きを見せる都市』は三つ。つまり、三ヶ所行ってこいと言外に言われている。

 相手方に、こちらが怪しんでいることを見抜かないためにも、迅速に動かねばならないとも言われている。つまり、一気に回れと言外に指示されている。


 それぞれ距離は離れているし、内一つは山の上の僻地にあるというのに。


「……」


 口の端が急に重くなった。

 政治の駒として大事に育てられた、箱入りの自覚があるテレーザにだってわかる。


 無茶だ。カルロをお人よしと断じるエミリオだって世間知らずすぎる。地図を見たことがないのだろうか。自分が王族入りした暁には、絶対に子供たちに地理を教え込もう。実地で。テレーザは固く心に誓った。


「とはいえ、列車が通ってるだけマシよね……」


 陸路と言えば馬車しかなかった百年前ならいざ知らず、うまくいけば、現地での活動期間も含めて半月ほどで王都に戻ってこられるだろう。


 うまくいけば。

 旅の途中で、トラブルが、何も起きなければ。


「……一ヶ月は見ておかなきゃダメかしら」


 また漏れそうになるため息を、テレーザは額を押さえてぐっとこらえた。

 トラブルは、確実に起きると思わないといけないだろう。それも現地での調査の進捗というより、身の安全についてのトラブルを。

 サリーニャから王都へ来るのにだって、父と自分の身の安全のために、ロベルト含め多くの護衛を連れてきたのだ。


(その護衛も、お父様がサリーニャに戻るにあたって、若い主力を連れ帰ってしまったわ)


フェルモ(テレーザの弟)がまた寝込んだらしい。一度帰って様子を見てくる。なぁに、すぐ戻るよ。お前は殿下のそばにいなさい』


 そう言って、父は領地からの消印が入った手紙を暖炉にくべて、テレーザを置いて南に旅立ってしまった。生まれつき病弱なフェルモが伏せたというのは完全な嘘ではないだろうが、父の余裕のある態度から、その病状がさほど重くないことは明らかだった。


 きっと父が王都を出た本当の理由は別にある。

 例えば、サリーニャで何かしらのトラブルが起きて、早急に対処する必要が生じただとか。

 トラブルの方向性だって想像に難くない。不正がばれたか賄賂がばれたか、『ほぼ異国』のサリーニャがローベルシアに組み込まれたことをよく思わない勢力による蜂起が起きたか。


 いずれにしても、急ぎの対処が必要で、王子妃の実家にはふさわしくないスキャンダルに違いない。だが父は、冷徹で狡猾で辣腕だ。娘が思いつく程度の事態なら、すべて秘密裏に片づけてしまうだろう。

 であれば、テレーザに詳細を語らずに旅立った理由は、いずれ王子妃になる――予定だった――娘に、墓まで持っていくような秘密を不必要に背負わせる必要はないと判断した、といったところか。

 それは優しさというよりも、効率を重視した結果だろう。


 そして効率重視の父は、今の状況ならテレーザ一人を残しても目的は達成できると踏んだのだ。

 悲しいかな。いかに策士の父と言えども、カミロの思考回路は読み抜けなかったと見える。

 これをテレーザの落ち度と言われたらどうしよう。理不尽すぎる。ここにきて涙まで出てきそうだった。


 そうして、ふと思う。もし父がここにいてくれれば、カミロの翻意そのものを無かったことにできただろうかと。

 父に黙ってエミリオに鞍替えした自分の判断は、依頼を引き受けた判断は、本当に正しかっただろうかと。


 だが、テレーザはすぐに首を振り、思考を切り替えることに努めた。


(……手紙を書かなきゃ。お父様への事情の説明と、最初の訪問地への先触れを)


 こうなった以上は、片づけやすいところから手を付けていくしかないのだから。

 幸か不幸か、訪問先の一つには昔からの伝手があった。そこを最初の任務地にしようと心に決める。

 人目を避ける訪問の理由は、カミロに捨てられた傷心旅行ということにしよう。


 車輪が石畳を穿つ音を聞きながら、テレーザは昔馴染みに不審がられない手紙の文面を考え始めた。

 だが、結びの言葉を考えつくより早く、馬車は止まった。馬のいななきと共に、テレーザは箱の中で思いっきり前につんのめった。


 驚きと同時に、緊張が身を貫く。


「どうしたの!?」


 血相を変えたテレーザは床下に隠した銃を手にして窓を開けた。もちろんロベルトが並走している側の窓を。


「も、申し訳ありませんお嬢様、この浮浪者が、急に飛び出してき、て」


 御者の言葉はゴツ、と重い音を最後に消えた。続いて、どさりと地面に何かが落ちた気配が空気を解して伝わってくる。


 御者台の下に、誰かが倒れている。


 息を呑んだ瞬間、ぶちっと何かが切られる音がして、蹄の音が遠ざかっていった。


 テレーザの顔から血の気が引く。馬が逃げた。――手綱を切られたのだ。


「お嬢様、出てはなりません!」


 老騎士の鋭い声を聞くまでもない。馬車は、物陰から湧いて出てきた薄汚い恰好の男たちに、あっという間に囲まれた。帽子や襟巻きで顔を隠してはいるが、そのがっしりとした体格や、警棒に似た武器を構えて油断なく立つ姿からは、彼らの中身が軍人か傭兵といった明らかに戦闘慣れした玄人であることを示している。

 ロベルトが再び叫ぶ。


「鍵を閉めなさい!」


 テレーザが扉の鍵を閉めたのと、ロベルトが向かってきた敵を剣で退けたのは同時だった。間一髪、ロベルトが守る側とは逆側の扉が外から強く引っ張られ、鍵が軋んだ。直後に、ロベルトの剣が攻撃を弾く高い音が連続する。


 灯りの乏しい裏路地で、剣と警棒の影が何度も交わった。蹄が石畳を打つ音に交じって、警棒が地面に叩き落とされる音も繰り返される。時折聞こえる低いうめき声や短い悲鳴が聞こえた。それらがロベルトのものでないことは幸いだった。


 だが、父の残した老騎士がいくら歴戦の戦士でも、この状態は長く持たない。事実、ロベルトのいない側の窓が割られて、見知らぬ腕が中に入り込んできた。

 その手を躊躇なく銃で殴りつけたテレーザは、馬の一際大きないななきと、ドサリと大きな音を聞いた。合間にロベルトの悪態もだ。

 馬が倒れたと、見なくてもわかった。


 もうテレーザに迷う余地はなかった。冷たくなった手で、ロベルトに聞こえるよう扉を強く叩く。馬車を捨てると伝えるためのそれに、短い了解の返事が返される。

 

 テレーザは扉を蹴破った。さらに、敵の一人に向けて引き金を引く。

 弾は当たらなかったが、注意が逸れた隙に、二人は大通りにつながる横道に飛び込んだ。追え、と叫ぶ声が夜闇を震わす。テレーザは自分より足の速いロベルトに背後を守られながら、必死にスカートを抱えて走った。


 途中、後ろで大きな物音がした。誰かが転倒する気配がした。十中八九、倒されたのはロベルトだろう。

 わかっていても、テレーザは立ち止まらなかった。振り返ることすらしなかった。足をくじかないようにすることに全神経を使って、ひたすら地面を蹴った。

 細く暗い道の先に見えていた、人影を目指して。

 誰なのかはわからない。でも街灯が照らす場所にいるなら、影で襲ってきた人間よりはましなはず。道の先に誰かがいるという確信に向かって、テレーザは走った。


 絶望的な数秒間、ほどけた髪の先を敵に掴まれる錯覚に追われながら、テレーザは駆け抜けた。ヒールが脱げるのも構わず、開けた通りに飛び出して、目指した影に掴みかかる。


「助けて……!」


 もつれる足ではもうまともに立っていられなかった。凍えた指を相手の服に食い込ませつつも、膝からは力が抜けていく。

 縋るよりも、しがみつくと言ったほうが正しい形で、テレーザは血を吐くように叫んだ。


「……助けてくださいっ、私の騎士が、殺されてしまう!」


 乱れた呼吸な上に掠れていて、お世辞にも聞き取りやすいとは言えない声。

 しかしテレーザがしがみついた人物はそう思わなかったようだった。バランスを失った身体を太い腕で抱きとめて支え、――そして、即座にそれを放り出し、テレーザがたった今逃げてきた暗い裏通りへ身を投じた。


 特徴的な甘い香りの残滓と共に置き去りにされたテレーザは、冷たい地面にへたり込んだ。

 男が飛び込んだ道は暗く、ほとんど何も見えなかったが、人を殴る音は何度も聞こえていた。

 最初は多くの男たちが暴れていたようだった。だが、テレーザが呼吸を整えるより早く、動く影は数を減らしていった。


 誰か一人が、他の男たちを次々なぎ倒している。


 やがて、大通りから離れていく複数の足音が聞こてきた。

 静まり返った後には、闇の中で立っている人物は一人だけとなっていた。


 いまだに息の荒いテレーザが見つめる先で、『最後の一人』がしゃがみ込み、何かを肩に回すのが見えた。

 倒れていたロベルトの腕だ。


 それを見たテレーザの身体が、ぎくりとこわばる。

 老騎士の影は、足が動いていなかった。自ら動こうとする意思が感じられないのだ。

 テレーザの脳裏に、考えうる限り最悪の予想が、じんわり浮かび上がってくる。


 だが、男が動かない老騎士を担いでゆっくりと大通りに戻ってくると、テレーザの耳は低いうめき声を拾った。不機嫌そうなそれは間違いなく、担がれた老体から発されたものだった。


 安堵の吐息が口から漏れたとき、テレーザは自分が息を止めていたことに気がついた。


「……あ、ありがとう……ございます」


 目の前に戻ってきた男が壁際にロベルトを座らせる。その様子に礼を述べながら、テレーザ自身は立ち上がろうと脚に力を入れた。

 理性が、わずかに呼吸を乱すこと以外にはいつもと何も変わらない男に、これ以上こちらの無様な姿を晒すなと命じてきたからだ。

 灰色の目に、いつにも増して高い位置から見下ろされるのを、良しとするなと。


 けれどこの夜のテレーザは、とことんついていなかった。


「……ディ・フェッロ卿……」


 その名を口にした瞬間、平衡感覚はぐにゃりと歪んだ。

 あれ、と思ったときにはもう、ドレスに包まれた身体は地面にむかっており。


「テレーザ!!」


 石畳に倒れ込んだとき、男――フランツ・ディ・フェッロの大きな声が鼓膜を打った。


 なんて騒がしい男だろう。

 冷たい地面に頬をつけて意識を朦朧とさせているときでも悪態は浮かぶ。そんなテレーザの目の前に、白い貝のカメオが落ちてきた。歌劇場の前で買った、素人細工のカメオが。


(……落としてたんだわ)


 いびつな聖母は、石畳の上でくるくると、踊るように揺れていた。

 くるくると回っては、微笑が灯りを反射する。

 地に伏すこちらを笑うように。


「……く」


 テレーザは、それを掴もうと手を伸ばした。


 意識はそこで途絶えた。


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