壬生浪士組という存在【弐】
「はぁぁぁぁぁぁ、やっと帰れる……」
「あははっ、お疲れ様! 大変だったねぇ」
「元凶の、お前に言われたくない。失せろ」
「酷いっ!」
よよよ、と、わざとらしく泣き崩れる伊助を横目に、東雲は前川邸の門扉を潜ると息を吐いた。
あの二人に捕まった後、市中での調書を始め、身辺や住居、身につけた剣術や護身術にまで、根掘り葉掘り聞かれる事となった。やましい事は何もないし、一族の事や仕事の事も、どうせ調べた所で分かる筈もない。だから、素直に応じていたのだが。
沖田が、あの腹黒がいて、簡単に終わる筈がなかったのだ。
質問に質問で返し、相手を逆撫でする。その刺々しいものは途中から東雲への尋問ではなく、土方への嫌がらせに変わっていた。
当然の如く土方は激昂し、広間は修羅場へと姿を変える。半刻(一時間)続いたそれは、局長が姿を見せるまで続いた。
事態を理解した近藤は東雲を一旦帰し後日、再び尋問と実力を図る稽古を行う事を示した。東雲は一刻も早くその場を去りたかった為、それを了承してしまう。
「あー、くそっ! 大体、何で手合わせする羽目になってんの? 身元は判明。疑惑は晴れたも同然だよな?」
「んー、浪士組は常に隊士募集してるからねぇ。貧乏だけど」
「何、後援者になれって? 生憎、僕はじじいの面倒だけで一杯一杯だよ」
「確かに、先輩ん家は金あるけどもー。多分、副長達が狙ってるのはこっちじゃないかなあ」
東雲を追い掛けてきた伊助は、そう言って剣を振るう仕草を見せる。それが何を意味するのか、わからない程東雲は馬鹿ではない。
「諦めの悪い連中だね。もう、僕は誰かの下につく事はしない」
「うへぇ、相変わらず頑固だよね。先輩は」
「こればっかりは譲れない。ある意味、自分への戒めだから」
東雲は自嘲的な笑みを浮かべ、歩調を早めた。
「あー。だから、芹沢センセに誘われても断ったんだ?」
「まあね。楽しそうだとは思ったけど、お前を置いたから。芹沢は伊助、お前に任せようと思ったんだよ。血は薄いとはいえ、一族の者ならアレを上手く扱える。だろ?」
東雲と伊助が血を継いだその一族は、少しばかり特徴がある。常人と違う刻を生きる事、治癒力が非常に高い事、そして、その血を介して人を生き永らえさせる事が出来る事。
芹沢鴨の身体は病ーー梅毒に蝕まれている。だが、それを感じさせない状態を保っていられるのは、他でもない伊助の介入があったからだ。
やんわりと指摘された伊助は目を瞬かせながらも、その表情は嬉々としていた。
「さっすがぁ、先輩。でも、まだ知らない振りを続けててね。色々やることがあるって、芹沢センセ言ってるからさ」
「また、何かやらかすつもりか……」
「えっ、先輩、知ってる感じ?」
「これでも、長い付き合いだからな。やろうとしてる事は分かる」
東雲は、先刻聞かされた芹沢の言葉を思い出しながら、芹沢派の悪評を広めるつもりなんだろうと察する。これ以上広めれば、逃げ道すら失うというのに。
恐らく、次起こすのがとどめだ。
周囲に広がる田園風景を横目に、のんびり歩いていた東雲は、その足をピタリと止めた。
「先輩?」
「見送りは、ここまででいい。伊助はもう帰りな」
「ええ? どうし、」
伊助は言いかけて、前方から此方に歩いてきている人影に気付き目を瞬かせた。
「あっれ、楠くんじゃん。花街帰り?」
「違いますよ。単なるお使いです。井上さんから、買い出しを頼まれまして」
ほら、と楠と呼ばれた少年が片手を上げると籠に入った野菜や魚の干物達が姿を見せる。常に財政難の浪士組にとっては、なかなかのご馳走の食材だ。
「うっわ、久々に良い夕餉が食えそうだね。あれ、でも、今日の当番誰だったっけ?」
「えーっと、確か、豪快な原田さんと、味音痴の斎藤さんですね」
「……マジで?」
「マジです」
一瞬の沈黙の後、伊助は踵を返し脱兎の如く前川邸の門扉へ駆けていく。
楠の話を聞く限り、その二人に調理させれば悲惨な夕飯が待ち受けている事は、想像に型くない。
伊助の働きで、どうにかなれば良いのだが。
ポツンと取り残された東雲は、間に合えば良いなぁ、と呑気な事を考えながら隣に立つ楠をちらりと見た。
「いつから此処に?」
「先日の隊士募集の折に。先生からも、早く行けと言われてましたから」
「ふうん? ま、元気そうで良かったよ」
「俺も、東雲さんにまた会えて嬉しいです」
食材の入った籠を持ち直し、楠はそう言って微笑んだ。彼の名は楠小十郎。会話の流れから察しているだろうが、東雲とは知己である。
お互い京に来てから、何度か顔を合わせたり、文を交わしてはいたが、楠が浪士組に入っていた事は東雲からしたら寝耳に水だった。
「奴からは何にも聞いてなかったんだけど、多いの?」
「さあ? 各々が自由に行動しているので。あ、良かったら、東雲さんも夕飯食べて行かれます? 意外にも美味しいんですよ、浪士組の飯」
「嫌だよ。漸く、沖田の包囲網から逃げ出したのに」
心底げんなりとした東雲の表情に、楠は笑い声を上げながらその目を驚きに染める。
「えっ、もう沖田さんに目を付けられたんですか。流石ですね」
「嬉しかねえんだよ」
「でも、東雲さんの実力なら仕方ないですよ。当然だと思います」
伊助と同じような反応を見せる楠に、東雲は思わず半目になる。評価されるのは嬉しいが、目立つのは余り好まない。
事が片付き次第、暫く引きこもるか、と東雲は決意した。
「そうだ。食べて行かれないなら、これ受け取っでください。東雲さんからしたら、たぶん物足りないでしょうけど」
楠が取り出したのは布に包まれた物。手渡され、結び目を解いてみれば中には出来立ての饅頭が数個入っていた。
「……どうしたの、饅頭」
「買い物帰りに小腹空いちゃって買ったんです。食べ切れないので、貰ってください」
「んー、まあ、良いけどさあ」
東雲は素直に楠から饅頭を布ごと受け取ると、軽く手を振った。
「ほら、そろそろ行ったら? 食材が此処にあったら、夕飯仕上がんないでしょ」
「あ。確かに、そうですね。じゃあ、俺はこれで。東雲さん、また!」
爽やかな笑みを浮かべ、楠は小走りで駆けて行った。それを辿るように前川邸のある方へ目を向けてみれば、何やらガヤガヤと騒がしい。伊助が果たして、無事務めを果たせたかどうか。
楠が到着する頃には明らかになるだろう。
くるりと踵を返し、東雲は壬生から離れ市中の方へと歩いて行く。
ある程度、距離を歩いた所で先刻、楠から渡された饅頭が入った布へと手を突っ込んだ。
かさり、と手に触れる紙質。取り出してみれば、それは仕事の依頼書だった。
「……相変わらず、用意周到だよ。優秀な部下を持ってるね、桂は」
文を一通り読み終えると、東雲はそれを饅頭と共に口に入り込む。そして、そのままゴクリと飲み込んだ。
そう、楠はただの優男な浪人ではない。あの桂小五郎を師に持つ、浪士組へ放たれた長州からの間者の一人だった。