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影法師  作者: 桜柚
第一章
2/15

紅の暗殺者








――文久三年(1863年)





京の町を駆ける、一つの人影があった。



漆黒に染まった夜、灯りを避け足早に帰路を急ぐ。但しその影は道ではなく、民家や武家屋敷の屋根を伝い移動していた。


足音を立てる事なく疾風のように走り続けていると、とある商家の屋根で足を止める。道に人の気配が何もない事を確認すると、瓦を動かしスルリと中へ滑り込んだ。


入り込んだ屋根裏から更に移動し、奥座敷の真上を目指す。


目的地に到着すると、屋根裏の板を外し座敷の様子を窺ってみる。灯りがある事を確認すると、そのまま座敷へと降り立った。


「ただいまー」


「遅い!」


ダンッと畳を荒々しく叩き、眉間に皺を寄せる老爺の姿が其処にはあった。


不機嫌そうに自分を見据える老爺に、座敷に立った青年は首を傾げた。


「……何が? 今日は遅くなるって言ってたよな?」


「そうではない! 東雲(しののめ)お主、儂の酒を一体、何処に隠したんじゃ!!」


東雲と呼ばれた青年は、ああそうか、と納得がいった顔をする。


確かに酒は隠した。隠したというか、持ち去ったという方が正しいだろう。今日はどうしても外す事が出来ない仕事だけに、土産を渡す必要があったのだ。


「御免。それ、今日の仕事に使っちゃったわ」


「なぬぅぅぅぅ!? あれを、最高級の酒と知っての所業かっ!!」


「仕方ないだろ。相手を油断させなきゃならなかったんだから」


悪怯れる事なく、しれっと言ってのける東雲に老爺はわなわなと拳を震わせる。


只の安酒ならまだしも、年末に飲もうと隠し込んでいた純米酒を奪われるとは。


何度声を上げても、不満は収まらない。恐らく、一口も飲んでいなかった所為もあるだろう。


そんな老爺を一瞥し、東雲は首に巻いていた布を解いていく。


「そんなに不満なら、桂の旦那に頼めよ。報酬代わりにくれるかも」


――桂。その名に老爺は動きを止め、不快そうに眉を下げた。


「……ああ、そうか。今宵の仕事は奴からだったのぅ」


「そう、命に従わない、面倒ばかりする奴を消してほしい――ってね」


東雲の首から落ちた、布にはおびただしい血が付着していた。


老爺の視線が険しくなったのに気付き、東雲は小さく手を振る。


「あ、僕のじゃないよ。ちょっと派手に壊してきたから、汚れちゃったんだよな」


東雲の身に纏う黒装束のあちこちに見える染み。それも恐らく返り血の一部。自身の懐から綺麗な手拭いを取り出すと、老爺はそれを東雲に投げ渡した。


「またえぐい遣り口か。相変わらず容赦ないのぅ」


「仕方ないよ。あれの価値観には、僕も苛立ったから。ああ、思い出しただけでも腹が立つ……!!」


老爺から受け取った手拭いで強く握り締め、東雲は不愉快そうに顔を歪めた。


老爺は、感情を露にする東雲が珍しいとばかりに目を瞬かせる。


深く追及すると、愚痴にまで発展しそうなのでそれ以上は聞かない事にした。


「まあ、何はともあれご苦労だった。湯浴みして休むといい。夜が明けたら、奴のとこに向かうからの」


「げっ、本気で酒集りに行くの?」


「勿論じゃ。儂を誰だと思うておる」


ニヤリと不敵な笑みを浮かべる老爺に、東雲は敢えて何も答えない。


クルリと向きを変え、着替えを取りに行こうと反対側の座敷へと向かった。


バタバタと足音が去っていくのを見届け、老爺は畳へ腰掛ける。そして、懐から先日届いた密書をゆっくりと取り出した。


「……佐伯又三郎、か。何を為出したかは知らんが、あれに殺されるとは運が悪いの」


密書を握り潰すと、そのまま火に焼べる。それが灰になっていく様を見て、老爺は口端を緩やかに上げた。




















東雲は着替えを手にし、湯殿に来ていた。


仕事着である黒装束を脱ぎ捨て、頭上に付けていた面も剥ぎ取る。露になる身体と異質な髪色。


肩に掛かる長い髪をひと摘みして、髪を切ろうかと思案するが、老爺の泣き叫ぶ姿が脳裏に過る。


バッサリ切れば身体も軽くなり、今よりも格段に動きやすくなるだろう。だが、老爺は東雲が髪を切る事を酷く嫌がっていた。


「あーあー、髪は女の命って、誰が決めたんだろうなあ……」


一息吐いて、胸元に巻いていたサラシを解いていく。そこには女性特有の膨らみがあった。


――そう、東雲は歴とした女性である。

だというのに、中性的な顔立ちや普段から男装している事により、大半の知り合いからは男だと思われていた。


東雲が女だと知るのは、指で数える程しかいない。東雲の出自と、種族が関係している所為なのだが。


漆黒の瞳に関わらず、髪は血のように赤い。


湯を浴びれば、その髪色の存在感は更に増す。これは消そうとしても、消せない罪の色のようだと東雲は小さく自嘲を浮かべた。


「……あー、寒っ。早く入って寝ようっと」


そうひとりごちて、床に置いてある桶に手を伸ばす。風で冷えていた身体に、湯はよく染みていった。









「何、この有様」


東雲が湯殿から出て座敷に戻ってくると、老爺は酒に浸っていた。どうやら、家に残っていた安酒を全て開けてしまったらしい。


酔っ払い、畳に突っ伏している老爺の背中を足先で突く。


「おーい、藤吉(とうきち)。生きてるー?」


「ふっ、ははぁぁ。これぞ、儂の真骨頂じゃあぁぁ……」


「駄目だ、こりゃ」


名を呼んでも反応しない。老爺――藤吉は、既に夢の中へと引き摺り込まれているようだ。現に頬をつねろうが、腹部を蹴ろうが痛がる素振りも見せない。


酒に呑まれてしまっているのは、明らかだった。


酒豪でもない癖に、やたらと酒を飲みたがるのは藤吉の悪い癖と言っていい。


ガシガシと頭を掻いて、東雲は藤吉を放置する事に決めた。介抱したところで、昔話や愚痴を延々と聞かされるだけだ。


「――様ぁ……。この儂も参りますぞぅぅぅ……」


「あーあー、どんな夢見てるんだか」


何もせず素通りしようとした東雲は、藤吉の寝言を聞き止め思わず口元を緩めた。


一息吐き、押し入れから布団を引き摺り出すと藤吉へ乱暴に被せる。そのまま寝るより、幾分かはマシだろう。


「ふわぁふ。眠い……」


東雲は欠伸を吐いて、自室へと引き上げていった。





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