炎の雨、迫る粛清【参】
勝鬨が、あちこちから上がる。
それを聞き流しながら、一人、其処に佇んでいた。足元には先刻まで命を紡いでいた者が伏せ転がっているが、気にする事はない。
戦場ではいつものことだ。乱世なこの時代、彼方此方で戦がある。川に死体が流れる事も少なくないし、物言わぬ屍は今やただの障害物に過ぎなかった。
ピチャリと血溜まりを踏み締めて、その血で着物が汚れたなぁなんて、小言を口にしながら息を吐く。
血も泥水と大して変わらない。
非情だと言われるだろうが、今の主に拾われるまで戦場跡で過ごしていた自分にとってはこれが、日常なのだ。
『何だ、此処にいたのか』
近付いてくる存在に眉を寄せる。ガチャリと重い鎧が音を鳴らし、その存在を知らせるが振り返る事はしない。彼がどんな表情をしているか、なんて見なくても分かるからだ。
『総大将が、こんなとこに居ていいの? 五郎左達には……、言ってきてないよね。そうだよね……』
『フン、よく分かっているではないか』
『……ったく、』
『此度の働きは見事だった。やはり貴様の言うように動けば面白いように、敵は罠に嵌るな。どういう絡繰なのだ、あれは』
『別に。ただ、耳と目が良いから、人の動きがよく分かるだけだよ。それを利用して、作戦立ててるだけで』
淡々とそう告げれば、彼は顎に手を当て何かを決めたように口端を上げる。
『やはり、貴様には軍師も兼ねて貰うか』
『げっ、これ以上働かせる気なの? 勘弁してよー、せめて三日ほど休みくれよぅ!』
『やらん』
ぶーぶー、と文句を口にしていれば、遠方の方から彼を呼ぶ声が聞こえてくる。予想通り何も言わずに来たのだろう。視界に映る家臣らの姿は、何処か疲れ切っていた。
『ほーら、呼ばれてる。早く行きなよ』
『フン、行くなら貴様もだ、ーー。着いてこい』
踵を返し歩き出す彼の姿を暫し見つめた後
、仕方ないとばかりに後を追いかけたーー
懐かしい夢を、見た。
「……何年前の、話だよ……」
目を開くと同時に勢い良く息を吐き出した。
先日の、火の粉の匂いが火筒を連想させたのか。スン、と着物に鼻を近付けて嗅いでみるが火薬の残滓など何処にもない。
戦にどっぷり浸かって育ったものは、簡単にその記憶から離れられない運命なのだろうか。随分経ったとはいえ、異質さは燻り続けているようだ。
天下泰平の世と呼ばれ、あの家康が築いた徳川の治世で生きてきた。そう、ずっと生きてきた。
普通なら老いて朽ちていくだろう身体は、二百年変わらぬまま。特殊な血の所為で簡単に死ぬこともできない。望んでもいない長い刻をただ、流れるままに生きてきた。
楽しかった記憶もあったが、あれはもう遠い昔の話だ。主君も、戦友も、共に築き上げた城さえも、無くなってしまった。
目を閉じれば、未だに思い出せる主の最後の姿ーー
「おひいさ〜ん、起きとる〜?」
カラリ、と襖が開き町人風の装いをした糸目の青年が姿を現した。青年の姿を見て、東雲は此処が何処かを思い出した。
此処は藤森家、次期当主藤森貴久が所有する屋敷。十八日に実行する作戦の為に暫くの間、彼の屋敷に身を寄せていたのだった。
欠伸を一つ、そして軽く背伸びをすると横になっていた布団から起き上がる。
「おはよう、密樹。相変わらず、お前はいつも元気だな」
「そりゃあ、おひいさんに会えたんやから、嬉しいに決まっとる。他の皆に、えっらい自慢出来る役目やで〜!」
糸目の目を更に細めて、にんまりと笑みを浮かべる青年ーー密樹は端から見れば、ただの無邪気な青年に見える。だが、こう見えてあの藤森の精鋭部隊の上位にいる者だ。
侮れば、その身体は直ぐに地に沈む。
「藤森に来る度に、その大歓迎ぶり。何とかならんのかね……」
「そらぁ、無理やろ。おひいさんが藤森に与えた恩恵のデカさ考えたら」
「大した事はしてない筈だけど?」
「何処がや。はあ〜、おひいさんは自分の力の稀有さを、もうちょい自覚した方がええよ」
全く、と息を吐き、密樹は手にしていた膳を畳に置いていく。東雲はそれをぼんやりと眺めながら、着替える為に寝間着として着ていた浴衣を脱ぎ始めた。
「一琉は? もう出たのか?」
「昨夜から参内されとりますわ。御所内の動きは、此方でも逐一追ぅとりますんで。今は暁七ツ(午前四時頃)。そろそろ、配置も終わる頃やと」
「ふぅん、なかなかに素早い。やるねぇ」
作戦実行日である今日。御所内は日付が変わった頃から慌ただしく動いていた。
暁九ツ(午前一時頃)に外構九門を閉鎖し、限られた藩兵の立ち入りだけを認可した。中川宮・近衛忠煕ら公武合体派公卿が参内、それに続いて京都守護職 松平容保と京都所司代 稲葉正邦が参内している。
朝廷内で動かしていた兵力配置を、在京している諸大名が参内する前には完了したいと聞いてはいたが、密樹の話を聞く限り滞りなく進んでいるようである。
今日は御前会議が開かれる。
そこで、長州問題を討議。長州藩を罷免し、追い出すつもりなのだという。
確執は前々からあっただろうが、事の発端は尊攘派公卿らが攘夷を実現すべく孝明天皇の名の下、八月十三日に大和行幸の詔勅を発した事だろう。表向きは攘夷祈願とされているが、その実、倒幕の軍議を行うと噂されていた。
この尊攘派の動きを公武合体派は苦々しく見ており、急進的な攘夷派である孝明天皇にも倒幕の意思は皆無だった。何よりその詔勅は天皇、本来の指示ではない。尊攘派に強引に推し進められたものと言っていい。
そんな過激な尊攘派を何とかしたい公武合体派は薩摩藩と会津藩を中心に、中川宮・近衛忠煕ら公卿の協力の下、尊攘派に対抗する為の行動計画を練ったのである。
で、現在に至る。
藤森は中立の立場から、積極的に協力してはいない。だが、御所内の警備や配置の誘導などはそこらの藩兵より熟知している為、警固の任についてはいる。いるが、ほぼ伝令役で動き回ってばかりいた。
「あと数刻もすれば、奴等も気付くか……」
彼等が異変に気付いた時が、戦いの始まりでもある。
東雲は黒羽色の着物を着ると手早く身支度を整えていく。無造作に置かれた荷物に手を伸ばすと、久方ばかりに表へ出した刀を手に取った。
「お! 珍しい姿やなぁ。おひいさん、戦わはるん?」
「さあね、念の為に持っていくだけだよ」
緩やかに鞘を撫で、東雲はその刀を腰に差した。




