炎の雨、迫る粛清【弐】
パチパチと地面に飛び散る火の粉。
其処にある全てのものを飲み込み、轟々と天高く炎を上げる。その熱気は凄まじく手の施しようがない。
近付こうにも、全てが手遅れだった。
ただ、その中で声高らかに笑う芹沢の声が嫌に響き渡る。
「はははっ、燃えろ! 全て燃えてしまえば良い!!」
松明を片手に、その場に佇む姿は酷く目立つ。何をしていたかなんて、火を見るより明らかだ。
「芹沢さん……!!」
慌ただしく駆けてきた沖田が芹沢に声をかけるも、その表情が変わる事はない。芹沢は深く息を吐き出し、沖田を見据える。微かに香る酒の匂いが、芹沢が飲酒していることを物語っていた。
「何だ、沖田。加勢しに来たのか?」
「違います! 何故このような非道な事を……! 大和屋に非があったとしても、これはいくら何でもやり過ぎです!」
尚も火を放とうとする芹沢を沖田は静止するが、それを振り払い、芹沢は手にしていた松明を家屋に放った。
「芹沢さん! いい加減にーー」
「終いだ、沖田。儂は帰る」
「ーーえ、」
壁に落ちた小さな火種は瞬く間に、業火に変わる。それを一瞥し、芹沢は足早に雑踏へ姿を消した。
それを半ば呆然と見送っていた沖田は、後方から駆け付けてきた藤堂と永倉の声に我に返ると、慌てて火消しの輪に加わる事になる。
半鐘の音と騒がしい路上から隠れるようにして、数棟先の屋根上に一琉と東雲の姿があった。
「あれが、壬生浪士組筆頭局長、芹沢鴨か。水戸出身なだけあって、何とまあ過激な事を」
ありゃあ、鎮火は明け方までかかるだろうな、とぼやく一琉を横目に、東雲は火の手が上がる大和屋を見つめ続けていた。
「火消しに手を回さなくて良いのか?」
「あー、根回しは密樹と澄に任せてある。それに、この騒ぎだ。会津公の下にも、知らせは言ってるだろうよ」
京都守護職が動くなら俺は動きません、とばかりに一琉はひらひらと手を上げる。
彼等は今回の件も傍観に徹するらしい。裏からこそこそと観察を続け、必要な時になれば一気に息の根を止めるのだろう。
朝廷の盾であり、矛であるこの一族はそういう遣り方で生きてきた。
下を覗き見れば、役人や火消し達が慌ただしく駆けていくのがよく見える。
だんだら模様の羽織もちらほら視界に入る事から、事態を沈静化するのに手一杯なのだろう。
何せ、仕出かしたのが筆頭局長。そして数十人の隊士達。頭が痛くてたまらない案件だ。先日会った土方の顔が、東雲の脳裏に過る。さて、彼は一体この局面をどう乗り越えるつもりなのだろうか。
「……ま、何方にしろ芹沢の掌の上だろうよ。今日のことも、これからの事も」
そう呟いて、一琉の方へ視線を向ければ人影が一人増えていた。その黒い装束から、忍である事が分かる。
「呼び出しか?」
「いんや、現状報告しろってお叱りの文だわ。せっかく、おひいさんといるんだから大目に見て欲しいっての」
そう言うと一琉は懐に入れていた筆と紙を取り出し、素早く文をしたためていく。書き終わると、傍に控えていた忍へ手渡し早く行け、と手を振り払った。
忍が姿を消すと同時に、東雲は息を吐き出す。
「相変わらず、人使いが荒いね」
「おいおい、じい様よりマシだろ。あの人、無理難題吹っかけて、ボロボロになるまで働かせるんだからな」
「頑丈なのが一族の取り柄だから、仕方ないんじゃないか?」
「それ、アンタが言うなよ。一族の身内の癖に」
東雲の眉間に深い皺が刻まれた。
嫌な訳ではないが、こう口にして指摘されると何とも言えない感情が湧き上がってくる。
血はだいぶ薄まってきてると思うのだが、やはり己の血は特別仕様なのだろう。一族の長命さは、未だに揺るぐ事はない。
「紀寿も長生きしそうだよね」
「おぅ、じい様は生涯現役でいたいらしい。俺も教わる事、まだまだあるからなぁ」
鼻腔を擽る焦げ臭い匂いとは対照的に、東雲と一琉が語る話はとても朗らかだ。
夕焼けのように染まる空を見上げ、東雲はついと目を細めた。
「一琉」
「あん?」
「松平に会えるか」
東雲が言う松平とは、会津松平家を指す。つまり、京都守護職を務めている松平容保の事だ。
思わず会話の流れのまま、是と言いそうになった口を閉じ一琉は首を緩く傾けた。
「何の為に?」
「数日後にお前らが画策しているアレ、手伝ってやろうかと思って」
長州側の情報欲しいだろ?と、意味深な笑みを浮かべる東雲に一琉は、微かに動揺を見せた。だが、それは一瞬の事で直ぐにへらへらとした青年の表情に変わる。
「いいのか? 桂はアンタのお得意様だろ。信用無くすぞ」
「いいんだよ。桂とはそこまで親密じゃない。持ちつ持たれつつの関係でね。先の仕事で不快にさせたんだから、少しは自重したら? っていう気持ちを込めた僕からの贈り物ってことで」
不快にさせた人物が誰か一琉は察し、そりゃ仕方ねえなと頷きを持って応えた。
佐伯は一琉から見ても、手に余る存在だった。一琉でさえ不快に思ったのだから、長い刻を裏で生きてきた東雲にとって奴の価値観は相容れないものだったに違いない。
『得物は単なる武器じゃない。己の魂そのものだよ。汚い仕事だとしても、濁らせては駄目だ。狂ってしまうからね』
かつて、そう言って東雲は一琉に仕事のいろはを教えてくれた師匠でもあった。東雲がそう望み、此方側に来てくれるのならば有り難いとは思う。
「会津公には、俺から伝えておく。好きに動けば良いさ」
「流石。判断が早い」
「俺も使えるものは何でも使う。失敗は許されないからな。……さて、そうと決まれば動くか」
東雲が加わる事でだいぶ長州側の動きが読めるようになる。そう踏んだ一琉は早速、計画の洗い直しをするらしい。
「一琉」
軽く頭を掻いて、屋根上から離れようとする一琉に今一度呼び掛ける。視線だけを向けられ、東雲はゆるりと言葉を紡いだ。
「芹沢を殺るつもりがあるのなら、僕にも声をかけろ。そう伝えといて」
「ははっ、……了解」
言葉の裏に隠された真意を上手く読み取り、一琉は笑みを浮かべると素早くその場から姿を消した。
一人になり、雑踏の音がやけに耳に入ってくる。未だ半鐘は止まず、火の勢いは強いままだ。距離は充分取っているというのに、熱気は此方まで漂ってきていた。
一琉の言うように、これは鎮火まで時間がかかるだろうなとひとりごちて、その場に腰を下ろした。
大和屋が鎮火したのは日付を超えた十三日未明。土蔵七棟を含む全てが燃え尽きたという。




