壬生浪士組という存在【伍】
藤堂と沖田の口喧しい攻防は、実に四半刻(三十分)程、繰り広げられた。
その間、東雲は淡々と荷造りを進めながら炊き上がっていた米を大きく丸く握り、軽食を作っていく。今日は出掛ける予定だった為、きちんとした朝飯は用意する事ができない。唯一、炊いていた多めの御飯がある。前に漬けていた漬物と合わせれば、充分な朝飯になるだろう。
口論を止めても、沖田は簡単に帰りはしないと、東雲は読んでいた。
迎えに来たのも理由の一つだろうが、東雲の家を探りに来た可能性もある。
人の良さそうな好青年。飄々としているようで、実は狡猾さを持つ食えない人物だろうと、東雲の勘がそう告げていた。
藤吉は島原からまだ帰って来る気配がないし、此処は何かと理由ありな来客が、隠れて訪れる場所でもある。長居されては困るので、さっさと食べてお帰り願いたい。
全ての工程を終えても尚、繰り広げられていた口論を見て、東雲は否応なく物理的に二人の動きを止める事となったのだった。
土間から座敷に上がり、正座をした藤堂と沖田の二人は、東雲が用意した軽食を勢い良く食べていく。
どれだけ腹が減っていたかが、よく分かる。暫くは咀嚼音だけが周囲に響いていたが腹の虫が多少収まったのか、茶を飲み干し漸く藤堂は息を吐いた。
「……うううぅ、塩加減美味ぁ……あっ、喧しくした上に朝飯まで頂いちゃって、ほんとごめん!! あとで、ちゃんと金子渡すから!」
パチン、と両手を合わせ頭を下げる藤堂に東雲は軽く手を振る。
「気にすんな。ついでだ、ついで。腹空かせて走り回ってたんだし、少しは休めば良いよ。この後直ぐに壬生に戻るんだろ」
「そうですよ、平助。気にせず食べれば良いんです。あ、おかわり頂けます?」
「「お前はちったぁ、反省しろ!!」」
二人掛かりで声を上げれば、沖田は不貞腐れたように頬を膨らませる。だが、手だけは、次の握り飯を確保しようと動いている。藤堂は沖田から奪われまいと、自分の分の握り飯を掴み、くるりと沖田に背を向けた。
それを横目に、東雲も湯呑みを手にし茶を啜る。
「で? 一体、沖田何をして副長殿を怒らせたんだ?」
「んあ? ああ、質の悪い悪戯。土方さん、今日来客あるし、黒谷にも行かなきゃならないのにさあ、墨で顔中に落書きされてたんだよ。直ぐ落ちるとはいえ、アレはないよね……」
何処か遠い目をする藤堂に、えげつない文字を書いてたんだなと東雲は察した。
「そりゃ雷落ちるわ。それで、この逃走劇か。しっかし、よく、沖田がウチにいると分かったな?」
「ああ、沖田くんさ、ずーっと君と戦う事を楽しみにしてたから。たぶん、今迄の経験から、早朝でも突撃してるんじゃないかと思って来てみたら案の定で、もう呆れを通り越して笑うしかなかったよ」
「そうだな。僕も戸を開けたら恐怖しかなかった」
昔馴染みの藤堂が言うのだから、沖田のこの行動は今に始まった事ではないのだろう。思い立ったが吉日とばかりに、静止も聞かず動き回るのは幹部の一人として、どうなのか。
そんな感情の混ざった藤堂と東雲の視線に気付いたのか、握り飯の大半を平らげた沖田は口を開いた。
「し、仕方ないじゃないですか! 屯所内の空気が、最近何かこう、どんよりし過ぎてて居た堪れなかったんですよ! 平助だって分かってるでしょう、今の異様な雰囲気」
「うん、気持ちはわかるけど。分かるけどさあ、東雲さんに愚痴る話でもないよね。迷惑かけるなよ」
「何故です? 東雲さんは何れ仲間になる人なので。問題ないですよ!」
「またその話? 言っておくけど、僕は了承してないからね」
「えぇぇ、何でですか!!」
「あー、もう! 止めろって!!」
拒否の言葉を東雲が口にすれば、沖田は文句有り有りとばかりに声を上げる。それを藤堂が横から仲裁しようとすれば、沖田の不満は藤堂へと向けられた。
それを聞き流しながら、東雲は茶を含みながら思考の波に身を落とす。
先刻、藤堂が溢した黒谷という地名。黒谷と言えば京都守護職が本陣を置く、金戒光明寺がある。土方が向かう、となれば呼び出したのは十中八九、会津だろう。
近々、政も動き出すという事だろうか。
ぱちりと目を開ければ、喧しい口論が再び始まろうとしている。東雲は息を吐いて、その重い腰を上げた。
◆◆◆
野暮ったい風体の、その男は一人、市中を歩いていた。
その足取りは凄く軽やかで、機嫌が良い事が伺える。暫く歩くと、雑踏から外れ裏路地へと入り込んでいく。
とある軒下まで来るとピタリとその足を止めた。
「一琉様!」
名を呼ばれ視線を上げれば、屋根から一人の少年が下りてくる。少年は男の、一琉に付く小姓の一人だ。滞在していた場所から移動した旨を連絡し、此処で落ち合う事にしていた。
「今日は、暫く東雲様の所にいるのではなかったのですか」
「そのつもりだったんだが、壬生狼が来たからな。逃げてきた」
壬生狼という名に表情を強張らせた小姓に、大丈夫だと言わんばかりに軽く手を振る。
「ああ、安心しろ。捕縛されそうになったとかじゃねえよ。単に会っただけだ。向こうは疑ってはいたようだがな」
一琉は沖田と邂逅した事を不都合だとは思っていない。むしろ好機だと思っていた。京都守護職が庇護下に置き、あの芹沢が気に掛ける存在。どんな者達なのかと思えば、なかなかに面白い。
東雲も気にしているのであれば、まだ潰すのは止めておこうか。
「澄」
「はい」
「悪いが、黒谷まで行ってくれるか。三条に動きがある事を伝えてやれ」
一琉の言葉に、澄と呼ばれた少年は目を見開いた。てっきり主は今回も傍観に徹すると思っていたからである。
「……宜しいのですか。我等は中立の筈。桂様からのし、」
「澄」
名を強く呼ばれ、澄はそれ以上の意見を口にするのを止めた。一琉がそう決めたのなら、それに従うのみ。是と示すように頭を下げた澄を一瞥し、一琉は懐に入れていた文を取り出す。
「それも序に渡しといてくれ。壬生狼の土方も呼ばれてるようだから、鉢合わせしないよう気をつけろよ」
文を受け取り、澄は瞬時に姿を消した。澄の気配が完全に遠退いた事を確認すると、一琉は再び足を動かし路地裏から人混みの中へと戻っていく。
「さあて、どう動くかねえ」
ジャリ、と砂利を踏み締める音が妙に響いた。




