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08・魑魅魍魎の街3

 宵闇に沈んだ街を朧に浮かび上がらせるのは、各所に立つ、青白く透き通った六角柱の鉱石。夜にのみ光る特性を持つこのユメクイシは、大きな切片でなければ十分な明るさを得られず、主にこうして僻地の屋外で、街灯代わりに使われている。

 貧しい者達が肩を寄せ合うようにして小さな店を連ねる商い通りで、カーテン越しに窓灯りを漏らす一軒はエンディの店。中ではエンディと訪問者が、吊るされた蓄陽灯の下でテーブルに着き、話していた。

「ほらよ、借用書の原本だ」

 訪問者のダクラは、折り畳まれた書状をテーブル上に投げ置いた。エンディは受け取って広げ、内容を確認する。

「……確かに。あーせいせいした」

 エンディがトア達を助けた際に、ダクラに言った『あの貸し』。それは彼女からダクラへの貸しではなく、ダクラの側から彼女への貸しの事。『あの貸しをなしにできる』とは、彼女がダクラの雇い主にしていた借金の『代替え』による相殺、を意味していた。

「最近、新しい子供が手に入らなくて上の機嫌がすごぶる悪かったんで、俺も助かったぜ」

 エンディはテーブルの脇に視線を落とす。そこには木箱をベッドにして毛布に包まり眠っている、借金の代替え品――庇護者を巧みに退けて入手したティコの姿。ぐずるのを宥めすかしてようやく寝かせたその幼子を見つめ、彼女は悪びれもせずに言う。

「全く都合良く舞い込んでくれたよ、この子。ほんと、天使みたいだねえ」

 服を着た低劣が笑う。

「天使か、そいつはいい。これから行くところが天国じゃなくて地獄って皮肉が何ともな」

 人の歴史や文明は途切れても、『天国』や『地獄』など、呼び表し方は多々あれ『死後の世界』と包括される共通概念は、連綿とあり続ける。人が、生にも死にも密接したものである限り。

 エンディは追っ払うように手をひらひら振る。

「じゃ、天使がお目覚めになる前に早いとこ連れて出ていっとくれ。これでアンタの鬱陶しい取り立てともおさらばだ」

「まあ、付き合いは続けようじゃないか。またこういう機会があったらよろしく頼むぜ」

 話しながら、二人は席を立つ。

「アタシはアンタみたいな『かどわかし』じゃないんだ。借金と一緒に今日の件は綺麗さっぱり忘れて、明日から真っ当に生きてくつもりだよ」

「真っ当ねえ。一度でも地獄の主に供物を捧げたら、そうそう戻れないぜ? 破滅しそうになっても男と酒を絶ち切れないお前は、繰り返し手を染める事になるだろうよ」

 エンディは奥の壁に立て掛けてある木箱の蓋を取りに行く。ダクラの方は店を出て、表に停めてある牽引台車付きのシェムレを起動させた。その台車に木箱を載せて所望する者のところへ運ぶのが、今宵の彼の役目。

「蓋は閉めたか? 閉めたらしっかり紐で縛って、台車に載せるまでは手伝っ――」

 店内に投げていたダクラの声が、途中で切れた。

「――動くな」

 何者かに命じられて口を開けたまま固まった彼は、自分の後頭部に押しつけられたものが銃口と察する。怒りで熱くなった銃の持ち主は、底冷えのする声で罵った。

「天使を地獄送りにしようなんて冗談は、悪趣味過ぎて笑えねえんだよ下衆野郎」

 異変を感じて店を出てきたエンディが、ダクラの背後を取っている人物に目を瞠る。

「トア! アンタ、何で戻って……」

「他人の善意ってもんを信用し切れねえタチでな。ティコを放しやがれ」

 自身に正直な気持ちを問い、エンディに煽られた感情を鎮める事で曇っていた目を晴らした彼は、彼女に悪意が潜んでいる可能性を強く疑った。それでティコの身を案じて戻ってきたトアは、ダクラが店に入るのを目撃して外の物陰に潜み、薄壁越しに、彼等の会話を盗み聞いたのだった。

 トアに思惑を知られてしまったエンディは狼狽し、自分と同じく決して楽には生きていないであろう彼の理解をどうにか得ようとする。

「か、考えてもみなよ、あの子の親は、まさかツヅラヘビに飲まれた娘が生きてるなんて夢にも思わないだろうさ。だからあの子は、この世界じゃもうとっくに死んでるんだよ! 待つ奴も悲しむ奴もない、こんな格好の商品は他にないじゃないか。売ったところで誰も不利益を被らないんだし、別に構わないだろ!」

 下手な弁明に対する応答は、彼女の手前にぶっ放された銃の閃光。

「ひっ!」

 逆撫でされたトアの感情に呼応する高めの威力で地面は爆ぜて溶け、穴が開く。尻餅をついたエンディは完全に腰を抜かし、動けなくなった。

「ティコは生きてる。勝手に死なせて物扱いするな。人の勘定に入らねえのは外道のお前等だろうがよ」

 トアは平静さを欠いていた。目の前の邪に憤り過ぎて、後ろの気配には気づけないくらいに。

 忍び寄った者が、トアの脇に片手を通して背負い鞄ごと抱え込み、捕らえた。不意を突かれたトアは咄嗟に抵抗するも、自分の倍はある太さの腕に易々と固められてしまい、身動きできなくなる。ずれた彼の帽子が、脱げて地にへたれる。

「ほお、オーカイスたあ、ガキのくせに上等な銃を持ってやがる。何処で盗んだ?」

 もう片方の太腕を伸ばし、トアを捕らえた大男はオーカイスが握られたトアの手首を掴んだ。その尋常でない握力に屈して彼の指は敢えなく開き、手の物を落とす。

 銃の脅威より解放されたダクラが振り向き、口角を吊り上げる。

「絶好のタイミングだぜ、カッド……そのまま抑えてろよ!」

 言うや否や、握り締めた拳をトアの腹にめり込ませる。恨みの一撃が胃の腑を圧し縮めて震わせ、トアはえずいて足の力をなくした。緩められたカッドの腕から抜け落ち、両膝をついてうずくまる。

「昼間のお返しだ」

 俯いたトアは痛みと嘔気を堪えながら、目だけ動かして横に落ちているオーカイスの位置を把捉した。拾って反撃せんとすかさず手を伸ばす。だが、すんでのところで薙ぐように頭を蹴られ、何も掴めず地に転がり伏した。

「――っと、悪いな。利子をつけ忘れてたぜ」

 ダクラは靴の先を払い、悠々と足を下ろす。

「面白そうなのと遊んでるな。何だこいつは?」

 偶然居合わせて加勢したカッドに、ダクラはオーカイスを拾い上げつつ適当を吹く。

「へへ、こういう『高級品』を何度もわざわざ無償提供しに来てくれる、最高の卸し屋だよ」

 波打つ眩暈に襲われ、トアは朦朧としていた。平衡感覚が乱れた状態で尚も起き上がろうとする彼の前に屈み、ダクラはその前髪を掴んで手荒く上向かせた。

「……あん時、お前『家の娘』に何て言ってくれたっけ? ヤニ臭い、世にも醜い肉塊? はは、随分よく知ってるじゃないか。まるで過去に、同じ人種を見てきたような口振りだったなあ? そういう事なら、お前にも紹介してやるよ。お友達としてでなく、働き口としてな……。経験者大歓迎だ」

 間近の薄ら笑いに、トアは腹を殴られた以上の吐き気を催した。転落すれば『二度目』はとても這い上がれそうにない崖の縁。追い詰められ、最低最悪の展開と認識したのを最後に思考停止しかけた彼の頭を、矢庭に、奇妙な声が打った。

 ――トア……トア、俺の声が聞こえるか?

 ネコマタの声だった。何処から聞こえてくるのかは分からず、耳を介さないで脳が直に受信している感覚。

 ――よし、意識を失ってはいないな。今助ける。

「……バ、カ、くるな」

 絞り出されるトアの声は聞こえないのか、はたまた聞き流しているのか、ネコマタは一方的に言葉を送信し続ける。

 ――ティコ、ティコ起きろ! トアが迎えに来たぞ!

 音量の上げられた呼び掛けは店の中で眠っていたティコに届き、目を覚まさせた。彼女はまだ蓋をされていなかった箱からもそりと身を起こし、寝ぼけ眼をこする。

「……んん、タマちゃん……? トア?」

「一体何だあ? この声は」

 ネコマタの声は、ダクラ達にも聞こえていた。座り込んでいるエンディも含め、きょろきょろと辺りを見回して声の出どころを探す。

 ――上から行く。俺が場を引っ掻き回している隙に、トアはティコを連れて逃げろ!

「……上?」

 カッドが素直に上を向いた時には、威嚇の形相をした白い毛玉がもう眼前に迫っていた。

「うわっ!」

 軒の上から飛び掛かって顔面に張りついたネコマタに、カッドは慌てふためいた。すぐさま両手で捕まえたが、ネコマタは引き剥がされる前に宣言通りと言うべきか、実際に『引っ掻き回して』カッドを負傷させた。たまらず放り出されると、宙で体制を整えて軽やかに地へ降り立つ。

「ってえ、め、目がっ……!」

 カッドは瞬く間に傷まみれとなった顔面を押さえて膝をつく。彼が無力化されたと判断するや、トアはネコマタに気を取られて隙を見せているダクラに鋭利な視線を向けた。間髪容れず跳ね上がり、渾身の力を込めてダクラの鼻下に掌底をぶち込む。

 もろに食らったダクラは声にならない声を上げて仰け反り、倒れ込んで激痛のあまりのたうち回る。彼が落としたオーカイスを拾って取り戻したトアは、店の中へ向けて叫ぶ。

「ティコ! こっちへ来い!」

「トアっ!」

 ティコはトアが戻ってきた事に喜んで木箱を飛び出し、一目散に駆け寄って彼に縋りつく。

 一刻も早くこの街を離れたいトアは起動されているシェムレに目をつけ、オーカイスを用いて不要な台車の牽引ワイヤーを切断した。そのシェムレを指して、トアはティコに教える。

「今からこれに乗る。乗ってる間、俺にしっかり掴まって絶対に離すな。いいな?」

「うん!」

 言われなくても離さないといった力強い返事をし、ティコはシェムレに乗り込んだトアに倣って彼の後ろに立ち乗った。オーカイスを収めたトアは、下ろした背負い鞄を底板に置いて足の間に挟み、固定する。

 急ぐ最中、まだ治まり切らない眩暈にふらついたトアを、ネコマタが気遣う。

「大丈夫か?」

「……ああ」

 トアは足元に来たネコマタを摘み上げ、肩に乗せた。

「運転の仕方は知っているのか?」

「まあな、行くぞ!」

 ティコが自分の腰に両手を回して掴まったのを確認し、トアはハンドル下部のパネルに指を滑らせる。辿った光の筋が点滅して黄色い文字が表示されると、シェムレは地面に反発して浮き上がり、蹴り出される勢いで発進した。

 

 街に渦巻く闇から、荒野に横たわる闇へ。光明など地上の何処にも期待していなかったのに、今は首元と腰元に纏わりつく温もり達にそれを見出していると、彼は認めざるを得なかった。

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