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03・天地の楔

 荒涼とした砂上に、足跡が絡み合って続く。それはついたそばから崩れ始めて埋もれ、やがて消える。その軌跡を辿れる者もなくなるが、しかし彼等がそこを歩んだ事実は消えず、宇宙の何処かに存在し続ける。

 

 

 出会った峡谷より幾日もかけて移動し、訪れたラートリフ砂漠。その縁からでも望めた幻の遺跡――天地の楔を目標に、彼等は今、見渡す限りの砂の上に居る。

 ただ『真っ直ぐ』に向かったのでは辿り着けないと、トアはネコマタに聞かされていた。

「そこに遺跡が見えてんのに、違う方にぐねぐね曲がらされるわ、ちょくちょく引き返されるわ……ほんとにお前の指示通りに歩いていて、着けるのか?」

 無意味な足踏みをさせられているとしか思えず、自分達よりもずっと遅くに出て今日を旅し始めた太陽にもうすぐ頭上を追い越されそうなトアは、心理的にも疲弊していた。肌の露出を避けるためにずっと着込んだままのローブの袖は、拭われた顔の汗を塩に変えていく。

 方角そのものが自在に入れ替わるみたく磁石の向きがころころ変わったり、前を歩いていた者が忽然と消えて遥か後方に現れたりして、天地の楔には一向に近づけない――。この砂漠で起こるそんな奇妙な現象について、フードの中のネコマタは再度トアに解説した。

「無数にある『時空洞じくうろ』を、一つ一つ避けて進むしかないのでな。大丈夫だ、離着陸場の中心へは着実に近づいている」

 知らない内に、時空間に開いたうろ――時空洞という見えない入口を潜り、進路とは逆方向にある出口へ戻されてしまうせいで、ネコマタのようにその口を探知できない者は決して遺跡に到達できない――など、トアには理解し難い話だったが、噂の現象との辻褄は合う。もしも一人であったなら、変わり映えしない景色の中、自分の位置が遺跡から一定の距離で転々とさせられ続けている事に気づかず歩き続けてしまうのだろうと、トアは想像する。

「ったく、素直に真っ直ぐ行く奴ほど辿り着けねえ遺跡なんて、ひん曲がった俺に最高に向いてやがるぜ……」

 上がる息に自嘲を交えながら、彼はネコマタの誘導を守り通した。

 やっと時空洞が散在する地帯を抜けて踏めた遺跡の影が、彼等の、目標までの最後の道となる。真昼でも太陽の僅かな傾きによって遺跡が落とす影は長大で、天に食い込むと言われるそれの高さを、トアは帽子を脱いで仰ぎ、誰よりも近い位置で言葉なく実感した。

「よし、ここから先は何にも阻まれず直進できる。あと少しだぞ、トア」

 日陰となるや否や、ネコマタがトアのフードを飛び出して下に降り、駆け出す。

「はあ、ここまで運ばせといて、いい気なもんだ」

 愚痴をこぼし、トアは後に続く。

 到達した巨大な円錐――天地の楔の下で、彼はその壁面に触れた。骨材として砂漠の砂が使われているのは分かるが、これほど大規模でありながら継ぎ目が一切見当たらず、どんな技術で建造されたかは不明。

「で、中にはどうやって入るんだ。入り口は何処にある?」

「ない」

 きっぱりと言ったネコマタに、目を剥くトア。

「は?」

「これは星の船の到着時に上部から開き、離着陸に必要な設備を地表に展開する格納施設なのだ。ゆえに時が来なければ開かず、入り口も存在しない」

 トアは、どっと押し寄せた疲労と失望で崩れ落ちた。

「それじゃ意味ねえじゃねえかよ……何のために苦労してここまで来たんだか……」

 まだ誰にも荒らされていない遺跡で遺物というお宝が入手できる事を期待していた彼の嘆きに、ネコマタは軽口で返す。

「俺が封じられていたカプセルを開けたトアなら、もしかしたら開けられるかも知れんな」

「……開けたというか、あれは叩いたら開いただけだ」

「状況から、その外部刺激が開いた要因としか考えられない。機械文明の黎明期発祥とされる伝説に『叩いたら直った』という信じ難いものがあるのだが、まさか現実に、機械が破壊的行為によって修復されるとは。サザに帰ったら報告しようと思っている」

 自分の身を丸ごと預けた機械が重大な不具合に見舞われ、命運を左右された割には呑気なネコマタに、トアは疑問を投げ掛ける。

「大体お前、誰にも見つけられずにあのまま埋もれちまったら、どうするつもりだったんだ」

 するとネコマタは、少し考えるふうに間を置き、答えた。

「……そうした事故の可能性は、低くない確率として予測していたし、俺は、地球で埋もれたままになっていても構わなかった」

 その告白は、日頃何かにつけて人をサザに連れ帰りたがるネコマタの熱心な言動とは、およそかけ離れたものに思われた。

「何で」

「俺に興味を持ったか?」

 自然と食いついた自分に、トアは気づく。

「べっ……別に。どうでもいい」

 そっぽを向いて鞄を全て下ろし、どかりと座り込んで遺跡の壁にもたれる。そんな彼の心情はまだ知るところでなく、ネコマタは変わらず自分の都合通りに動く。

「ともあれ、今回はこの施設が機能しているかどうかを見にきたのだ。俺には外から確認できるので何も問題ない。トアはそこで休んで、待っていてくれ」

 壁伝いに歩いていくネコマタを、トアはぼんやりと見送る。

「……騙す事を知らない奴に騙されちまうのは、どうしようもねえな……」

 相手の悪意からしか本質を見抜けなくなっている彼にとっては、厄介極まりなかった。

 影に浸る身体が、太陽と砂と荷物に削られた体力の回復を求める。必要な時にすぐ眠りつける特技を発揮し、夢の蜃気楼を追い始めた矢先、トアの尻に振動らしきものが伝わった。彼は飛び起き、砂地に手を置く。

「何だ……?」

 振動の源はトアの直下を過ぎ、地中を移動していた。一旦遺跡から遠ざかり、地表の砂を盛り上がらせるほど浮上して旋回し、戻ってくる。

「……おい」

『それ』が猛進する先には、遺跡と向き合っていて背後の異変に気づいていないネコマタの姿。

 不可侵領域の静寂を突き破り、砂が噴き上がった。遺跡の主とも呼べる、白銀の鱗を持つ巨大な蛇は、無防備な獲物に襲い掛かる。

 ネコマタが振り返ると、背後の景色は既に赤いひだが連なる口に飲まれていた。

 まさに食らいつかんとした時、その蛇の頭部を真横からほとばしった一筋の光が貫通した。頭部は一瞬で溶けて霧散し、残された巨体だけが轟音を立てて倒れ、砂煙を巻き上げる。

 ネコマタは横を向く。砂煙越しのトアは、白い鳥の片翼に似た人工物を右手に構えている。光はそれの先端より放たれたものだった。

 腕を下ろし、トアはネコマタに歩み寄る。あわや大蛇の腹の中、だったにも拘らず、ネコマタはけろりとしていた。

「助けられたのは、これで三度目だな。礼を言う」

「……お前、身を守る機能とか装備とか軒並み壊れちまってんじゃねえか? 簡単にやられるとこだったぞ」

「そういった類いの機能は最初から備えていない。安全なサザでは全く不要でな。表面に静電気を発生させられる程度だ」

 本格的な危機感の欠落っぷりに、トアは頭を抱えた。

「そのまんまの感覚でこっちに来たのか……。平和ボケが過ぎるだろ」

 呆れられても意に介さず、ネコマタの関心はトアが右手に携えている物に向く。

「トアの身を守る装備は、それか」

「……遺物の銃だ」

 素気なく答えてネコマタを通り越し、トアは転げて砂上の堤となった蛇の遺骸に近づく。

「どうした?」

「こいつはツヅラヘビだ、腹に何か持ってる。……貰うぞ」

 トアは、自分の背丈を上回ろうかという幅を有した蛇の胴体で他よりも膨れている箇所に手を当て、中身の位置に見当をつけた。ネコマタの尾が二本でVの字を形取る。

「今、同名の生物情報を見つけて生態を把握した。飲み込んだ獲物を胃に貯蔵しておき、入眠時にのみ分泌される液でまとめて消化する、と」

「未消化の獲物が取り出せれば糧にできる」

「ほう。その構造的に、人が狩猟で使役する動物の改良を目的として実験的に生み出した生物の変異種、という説は正しそうだ」

 トアが銃の側面をいじり、先端を蛇の鱗に接触させる。刹那、そこから閃いた光の刃が、蛇の図太い胴体をいともたやすく両断した。

 ツヅラヘビは行動範囲が広く、砂中や土中を泳ぎ回って厳しい環境の地にも豊かな恵みを腹に詰めて運んでくるため、人々の間で重宝されている。もっとも、その恵みを得られるのは『人の側が蛇の恵みにならなければ』の話だが――。

 横にずれた切り口の片側から、赤い布に包まった何かが粘る糸を引いてずるりと出てきた。その布がめくれて見えたものに顔をしかめ、トアは目を背ける。

「……胸が悪くなるもん引き当てちまった」

 刺繍が入ったフード付きケープを着ている、黒髪の幼い娘だった。

「ツヅラヘビに飲まれた犠牲者か」

 言って近寄るネコマタと入れ代わりに、トアは鞄を置いてある方へと離れる。

「はーあ、もうそれ以上そいつの腹を探る気にはなれねえ。遺跡の中も探れなかったし、ほんと碌でもねえ日だ」

 ネコマタは、じっと娘を観察する。そしてある事に気づき、娘の鼻の前に、白い方の尾の先をそっと近づけた。

「――くしゅっ!」

 くしゃみを聞き、トアが信じられない面持ちで振り向く。

「まさか」

「トア、この者、生きているぞ」

 告げるネコマタのところへ駆け戻り、彼は横たわる娘の傍らに膝をついた。

 娘はまつ毛を震わせ、目を開ける。

「おい、分かるか?」

「……ン、ん……?」

 彼女の意識が回復し、ネコマタはほっとした。

「胸部が微かに動いたので、鼻の呼吸を確認しようとしたら尾の毛に反応を起こした。咬まれず丸飲みされ、且つ、時間もさほど経っていなかったため助かったのだろうな。良かった」

 娘の小さな手の中に、トアは指先を置く。

「手、握れるか?」

 その指に弱々しくも力が込められたのを感じ、更に呼び掛ける。

「俺の顔は見えるか?」

 漂っていた彼女の目の焦点が、徐々に合っていく。トアの顔ではなく、彼の向かいに居て同様に自分を覗き込んでいる、ネコの顔の方に。

「……タマ、ちゃん……?」

「え……」

 ネコマタは目をまん丸くする。

「ああ、タマちゃん……なん、で……? どこに、いたの……?」

 娘は起き上がろうとしてすぐ眩暈を起こし、トアに支えられた。彼は自分のローブの内側から平たい水筒を出し、彼女の口にそっと水を含ませる。

「……おい、聞こえてるか? 『タマちゃん』」

 娘に水を分け与えながら、トアは何故か固まっているネコマタにも呼び掛けた。ネコマタは我に返り、頭を振る。

「お、俺はネコたま……違う、ネコマタだ」

 水筒から唇を離し、娘は夢うつつにネコマタを見る。

「タマちゃん、『ネコマタ』になれたの……? おしゃべりしてる……わあ、ほんとにシッポ、ふたつ……。ティコね、トトといっしょに、タマちゃんさがしてて――」

 ティコという名らしい娘のふわふわと曖昧だった夢が、急に暗転して重みと現実味を増し、悪夢に堕ちる。

「――ヘビ……おっきなヘビがでて、ティコのとこへ、くちが、ああ……!」

 真っ青になり、トアにしがみつく。

「わっ……!」

 突然の事に気が動転したまま、彼は恐ろしい体験を鮮明に思い出して自分の胸で慄く彼女を何とか宥めようとした。 

「だっ、大丈夫だ、ヘビは死んだ、もう居ない」

「……ほん、とに……ほんとに、も、いない? こわいヘビ、こない?」

 引きつれた声で繰り返し聞かれ、トアは証明となるものを指先す。

「ほら、あれ見ろ」

 ティコは恐る恐る顔を上げ、言われた方に目を向ける。その視界を全面占拠したのは、ぱっくりとした赤い切れ目から禍々しい粘液を垂れ流す、白銀の大蛇の遺骸。

 空に白目を剥いて泡を吹き、彼女は気を失う。

「あ――おい、しっかりしろよ、おい!」

 下手を打って焦るトアに、ネコマタは落ち着き払った助言をした。

「呼吸さえしていれば、今は刺激せずに再起動を待つのが最善だろう」

 その平静さが、先ほど何かしら変だったネコマタの様子を、却ってトアに印象づけた。

「……そう、だな。しかし参ったな……こんな誰も来られねえ砂漠の真ん中で子供を助けちまうなんて。あの道のりを、今度はこいつを抱えて帰れってのかよ」

 他者に無関心で冷淡に思われる彼が、力なき者を放り出せないとする姿勢を見せるのは二度目で、ネコマタは目を細くする。

「この砂漠を出るのに、来た時と同じ時間と労力は使わないぞ」

 言われた理屈が、トアにはすぐ分からない。

「何でだ?」

「帰りは時空洞の仕掛けを回避して歩く必要がない。むしろ自ら引っ掛かり、施設から遠い位置へ飛ばされれば帰路の短縮になる」

「……ふうん、そうか。なら何とか……」

 彼の飲み込みの早さに、ネコマタは立てた尾の先で二重丸を描く。

「流石、旧文明の品を使いこなしているだけあって、未知の技術や環境を理解する力に長けているな」

 トアはティコの粘ついたケープを一旦外し、彼女を抱き上げて運ぶ。

「仕掛けとか仕組みとかはさっぱり分からんが、利用できるもんはとりあえず利用すりゃいいってこった」

「その調子なら、サザでの生活にもすぐ順応できるぞ」

「……日照りを避けて夕方には発つ。チビとネコを背負わされる事を考えるともう少し休んでおきたいが、うっかりここに長居すると星の船とかいうやつが来て、お前に押し込まれちまいそうだからな」

 肩をすくめ、トアはネコマタのサザ行き推しをあしらった。

 

 そんな滑稽なやり取りが、乾き切っていたトアの日常に『いつもの平穏』として沁み込んで根元を弛ませ、少しずつ、彼を不安定にしていく。

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