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21・観念の火葬場2

 ネコマタは元来た川沿いを遡り、ひた駆ける。自力で解決できない問題を抱えた頭が高負荷で処理を続けていてぐちゃぐちゃで、注意に欠いて逸るばかりの脚は、川が縁を削る灰白色の岩場で何度も躓き、もつれる。

 ――トアを死なせてはならない。しかしセグノの民が有効な治療手段を知っているとは限らない。得られた治療手段が無効であった場合、またはそもそも得られなかった場合、次の選択肢は? とにかく何でも、自分にできる事をしなければ。自分に、できる事を。自分に、できる、のは――。

 ネコマタの内に、なくなってしまったオトマキの奏でが響き渡る。気落ちするトアへの宣言と共に。

『よし、トア。これからは、俺がオトマキの代わりを務めよう』

 ――トアのために、なすべきは?

 同じそれを考えて寄り添った過去と食い違い、彼に背を向けてどんどん遠ざかっている現在。生じる迷い。

 ネコマタは行く手の窪みに引っ掛かって姿勢を崩し、とうとう派手に転げた。身体を打ちつけ、勢い余って放られた先は川の上。

 落下に反応したネコの身が反転する。

 ――ああ全く、生来の習性というものは。脚から着水したところで没するのは免れないというのに――。

 乱雑な思考に混入する、瑣末な愚痴。ネコマタは冷たい水に全身浸かる予測をする。

 脚先が水面に触れる直前まで見開いていた目が、刹那、映像を途切れさせた。暗い中、ネコマタを受け止めたのは深い水、ではなく、深い茂み。四つの脚の裏も柔らかな着地の感触を得る。草の匂いが蒸すそこから、八方より葉に撫でられて頭を出したネコマタは、自分の全感覚機能について異常の発生を疑った。

「……これは、一体」

 暗闇は夜がもたらしていた。窓明かりがあちらこちらで灯っている風景も、空き地の茂みに居るとする自分の認識も、昼の時分に川へ放られた直後の状況としては信じ難いものばかり。アメハタキの木々の合間に日干し煉瓦の民家が散在するそこは、目指していた集落にしか見えなかった。

「セグノ、なのか……? 一刻も早く着かねばと思っていたものの、まさか、一瞬で?」

 ネコマタは混乱に混乱が重なった挙動で辺りを見回す。初めてセグノを訪れた時と同様の、ヒゲが震える反応を示して。それが何に対しての反応なのかが不明で気になったために、ネコマタは墓地でカミリアと出会った夜、しばしトアと離れて単身でセグノを探索したのだった。

 その際に見かけた小さな民家の一つが今、ネコマタの眼前にある。探索時は暗がりで沈黙していた家だが、今宵は見上げる窓の奥に淡い光が灯っていて、中に誰かが居る気配も感じられる。

 そこへ訪問者があり、ネコマタの位置からは見えない扉を叩く。

「――爺さん、具合はどうだい? 入るよ」

 次の、扉が開く音に被った叫び。

「うわっ……タマ!」

 家の中より飛び出したと思しき低い影が駆け去るのを、ネコマタは目撃した。同時に、壁越しに拾った微かな声。

『いくな――』

 ヒゲの震えが全身の毛に及んだ。影が向かった方の闇を吸い、瞳孔が最大まで開く。

「……いけない、行ってはいけない……!」

 無意識の言葉に弾かれて、ネコマタは『タマ』の影を追った。茂みを出て、新たな茂みに入る。

 覆う草を突っ切って抜けた先は、やけに眩しかった。瞳孔が針の形となり、昼の刻を指す。

「んん?」

 乾いた風に煽られ、ネコマタは立ち止まった。その脚が掴んでいたはずの地面は、気づけば平坦な石材になっている。そこが建物の屋根と知らしめる景色も、セグノから一変していた。陽射しに鈍色を晒す雑多な街並みと喧騒は、フォルトピアニのそれである。ネコマタは呆然として呟く。

「またしても……どうなっているのだ。荒野から黎明の祭壇へ居場所が移った時と同じ現象か? しかし今回は、あの現象を引き起こしたと思われるカミリアは居ないが……」

 立て続けに起こる不可解に、ネコマタはすっかり翻弄されていた。いきなり一匹で放り込まれた物騒な街にて姿勢を低くし、降りられる足場を探して人気のない裏路地側を見下ろす。そこの地べたに落ちている焦茶色の切片が、緑の双眸を引きつけた。

「あれは、カタラズブシ?」

 ティコをセグノへ送り届ける途中にこの街へ入った時の記憶が浮かぶ。ネコマタは通りがかった店先で売られていたカタラズブシの香ばしい匂いに大層高揚し、それが何かも知らない内からトアに購入をせがんだ。

『どうしても入手しておかねばならない物と直感したのだ、頼む』

『そんなに齧りたいのか? まあいいが……代わりに、お前が入ってたカプセルとやらを売って金に換えても文句言うなよ』

 そんなやり取りを経て一度手に入れたカタラズブシは、しかし高揚を引き起こした原因を分析する機会がないまま、トアの都合により失われてしまった。

 そして今再び、ネコマタはそれを欲しいと思った。何故欲しいのか自分でも分からなかった以前と違い、今はトアに食べさせたい、という明確な理由を持って。

「そうだ、あれを持ち帰ってトアに食べさせれば良いのだ。そうすれば回復するはず――」

 根拠なき確信に駆り立てられる様は、夢の中の行動原理とよく似ていた。

 だがそのカタラズブシを求める者は、他にも居た。ネコマタが立っている建物と隣の建物との隙間にあるゴミ溜めより、一匹のネコが姿を現す。薄汚れているが、元は白毛と辛うじて判別できる。

「……タマ」

 セグノで見かけて追ってきたネコであると、ネコマタはこれも根拠なく見做した。そのネコは辺りを警戒して忍び足でカタラズブシに寄り、少し匂いを嗅いで咥えた途端、一目散に駆け出した。

「あっ……待て、待ってくれ!」

 屋根伝いに後を追うネコマタは、懸命なタマと感情を共有する。

 ――ああ、そうだった。あれを持ち帰りたかった、あれを食べさせれば回復すると思っていたのだ、この時も――。

 タマが不意に角を曲がり、ネコマタの視界から消える。

 ――思っていた? 『この時』? 誰が、いつ?

 姿が見えなくなった方向へと勢いよく後脚で蹴り出す。が、前脚は空を掻いた。タマにしか意識が行っておらず、うっかり屋根の上から何もないところへ飛んでしまったネコマタは、高さに相当する衝撃を受ける覚悟で着地の体制に入る。

 見開く目に迫る地面。その映像が、またふつりと途切れた。

 落下先の夜に緩衝されたのか、ついた四つ脚にさほど負荷はかからなかった。ネコマタが降り立ったのは、断崖の半ばにせり出した小岩。下方では細く昏い川が、せせらいでいる。

「ここは……」

 トア達とフォルトピアニからセグノへの迂回路として通った谷川、とネコマタは認識する。

「……うむ、フォルトピアニで成らず者達に目をつけられ、どうにか撒いた後に追っ手を気にして念のため、街への道中に発見していたこの隠し通路めく谷川を選んで辿り――」

 ネコマタの視線が川の流れを遡る。似てはいても、せんだっての経緯とは相違する事を口にしながら。

 ――街への道中に、発見していた? 来訪した方角とは異なるのに?

 遡った先の遠い川辺に、薄ぼんやりした明かりが一つ。光源は、自由に読み出せないだけで決して揮発しない記憶。ネコマタの意識はそちらに吸い寄せられた。

 ランタンを横に置いて岩に腰掛けている男の姿が浮かび上がる。髪と口髭が白くなって尚、貫禄のある体躯。片側だけズボンをたくし上げて剥き出しの足に膝から下はなく、その切断面には、水で湿らせた布が巻かれている。

「……無理をして擦れてしまった時は、ああして義足を外し、冷やして休んでいたな」

 入り混じる過去に、納得して上向く白の尾と、納得せず下向く銀の尾。

 ――俺の新規記憶と、地球の民だった者達から預かってきた既存記憶とが、混線しているのか?

 男に寄り添うネコにも、ネコマタは目を瞠る。一匹で街を彷徨い、薄汚れる出来事など『まだ』知らない白い毛並みと瞳をきらきらさせて、タマは、彼がナイフで削っているカタラズブシを見つめている。

『お前のためにと買ったカタラズブシに救われたな。こいつは戦地でも世話になった優秀な保存食だ。次の街か集落くらいまでは食い繋げるだろう』

 ネコマタは頷く。

「……そう、おかしな連中に絡まれて、最初に見かけたあれ以外の食料は調達しそびれて」

 ――トアと来た時の記憶ではない。

 男は腿の間に置いた器の削りブシを摘み取り、タマに差し出す。人の言葉を解せなくても、タマが彼の口振りと節の太い指に頼もしさを覚えて安心し切っている事は、それを食む無邪気な姿に表れていた。見ているネコマタの口の中まで香ばしい幸福に満たされる。トアに買ってもらったのに結局食べられず仕舞いとなったカタラズブシの、知る訳がない味まで舌に染み出す。

「あれは本当に美味くて、旅の疲れがすっかり吹き飛んだ。これ一つあれば、ふたりで何処まででも歩いていけるとさえ思えた。元気になって、何処まででも……ふたりで、ずっと……」

 ――預かってきた記憶?

 この谷川でトアに語った、自分の言の葉を拾う。

『会えば分かる。必ず――』

 ――誰かの記憶?

 ――違う。

 ――誰の?

 タマから焦点が移り、男の解像度が上がっていく。まなじりを下げた、厳ついのに人好きのする彼の表情をよく見ようとして、ネコマタは身を乗り出す。

 ――タマの?

 その途端、足場の小岩が砕け、崩れ落ちた。生来の習性に逆らって伸ばされた両の前脚は、彼に届かない。

 今度こそ本当に、飛沫を上げて水に落ちた。水中にて揺らめいて見える光は遠ざかり、煌めく無数の泡も、ネコマタを置いて上へ散っていく。

 ――会えないままになった。苦労してカタラズブシを持ち帰っても、食べさせたかった大切な者は、もう何処にも居なくて……。

 気泡の衣が脱げるのと入れ替わりに、常闇が纏わりつき、深淵へ引きずり込もうとする。

 ――このまま沈めば、会えるだろうか。

 そのように考えるも、会いたい者に会える気は全くしなかった。待ち受けるのは、常闇を常闇とすら認知できなくなる虚無。

 ――永遠に、会えないままになるだけ。トアとも――。

 心が溶け出ていってしまう虚無の際で思い浮かんだトアの名が、ネコマタの背に温かな感覚を甦らせた。トアが仔ネコを助けた話をしながら一度だけ撫でた時の、ネコマタにとって己がものと断言できる確かな記憶。

『俺はあの繰り返す旋律を正確に記録している。いつでも再生可能だぞ。必要な時は……そうだな、俺を撫でてくれ』

 ネコマタの内に、再びオトマキの奏でが響き渡る。

 ――そうだ、俺はトアのオトマキになると決めた。もう失わせてはならない。

 沈むに任せていたネコマタは四肢をばたつかせ、辺りの常闇を手当たり次第に引っ掻き始める。 

 ――帰らなければ。

 抗い出すと全身が酸素をごっそり消費し、急に息苦しくなった。まだ微かに見える上方の光に意識を据えて、どうにかそちらへ行こうとする。

 ――俺は、トアと生きる。生きるのだ。

 生きようとして、もがけばもがくほど、苦しくなる。自重と水の抵抗で思い通りにいかず、口から空気がどんどん抜け、身体は浮かび上がるどころか一層沈む。ここで諦めれば一切の苦しみはなくなると理解しながらも、それを全力で拒み、ネコマタはトアと過ごして苦も楽も山ほどある事を知れた世に、強く執着した。

 ――生きたい――!

 願いに呼応して閃いた光が、求める者に向かって一直線に伸びる。そして途方のない虚無を冴え冴えと突き刺して瞬刻怯ませ、飲み込まれる寸前だったちっぽけなネコをすくい取った。逞しい腕と大きな掌に抱かれた覚えにそっくりだ、とネコマタは思う。

 ――誰の記憶?

 優しく力強く引き揚げられる過程で、ようやく得心する。

 ――ああ、俺の――。

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