02・野原のなくし物
星の下に生まれる、という言葉がある。あまねく生を宿命づけるこの概念が真ならば、同じ太陽に命の起源を持ち、その下を歩んでいる彼等の出会いもまた、必然。
黄色い砂を、何人にも神の力を否定させない超自然的な平坦さで、空の端まで行き届かせる地。トアは後ろのネコマタを振り返り、フードの陰から確認する。
「まだこっち向きに進んでていいんだな?」
「ああ、だが待ってくれトア、これ以上歩くのは、困難だ……」
ネコマタは砂に脚を取られてよろつき、トアの速さについていけなくなっていた。
「俺と行動すると決めたのも、遺跡に案内すると言ったのもお前自身だろ、ネコたま。こんな砂漠の半ばまで俺を連れ出しといて、今更へばられちゃ困る」
不本意な呼ばれ方をしても、今のネコマタに正す余力はない。
「そうとはいえ、この星の太陽光線、俺の身体には過剰で少々きついのだ。エネルギーへの変換効率も思いのほか上がらない。もし地球に長期滞在したら、自己機能だけでは傷みの修復が追いつかなくなるだろうな……」
朝の時間帯を過ぎて高くなりつつある太陽に参り、ネコマタはとうとう座り込んでしまった。
「――ったく……」
トアは溜め息を吐いてフードを脱ぐと、その場に下ろした背負い鞄から、ぺしゃんこのつば広帽を引っ張り出して被った。そして数歩戻ってネコマタを片手で摘み上げ、後ろのフードにポイと収める。
トアの背負い直した鞄の上部がちょうど台になり、フードの中でひっくり返ってもがいていたネコマタの腰が落ち着いた。帽子のつばで、直射日光からも守られる。
「おお、これはありがたい。カプセルの開封に続き、トアに助けられたのは二度目だな」
「ふん。水場を離れた場所で、余計な時間を食いたくないだけだ」
トアは途端に元気を取り戻したネコマタにツンと返し、また歩き出した。
彼等が目指しているのは、広大な砂漠の只中にそびえ、どの方角からでも空に食い込んで見える事により円錐型と推測される、黄褐色の巨大な建造物。『奇妙な現象』に阻まれて誰も辿り着けず、常時観測されるにも拘らず実存の確認ができないため、幻の旧文明遺跡とされている。
何故そこへ赴く事となったのか、理由は出会いの日まで遡る。
***
「そうか、お前はトアという名なのか」
七年近く封じられていた谷を抜けて山裾へ踊り出たネコマタは、溢れる光に目を細め、自分の位置情報を取得して続けざまに話した。
「カプセルの不具合に見舞われたが、転送先のずれは想定の範囲内で済んでいる。俺が降り立つ予定だった星の船の離着陸場は、現在地からさほど遠くない。ああ、星の船というのはサザから地球へ訪れる宇宙船に付けられた、地球の民向けの呼称だ。それに先んじて来た俺の役目は、地球の民に星の船の到着日と場所を伝える事でな――」
歩むトアの関心は、横で捲し立てるネコマタではなく、辺り一面に広がる草むらの中にあった。道々、アダシヨモギやツブラナタネといった食用にも薬用にもなる目ぼしい植物を摘み、収穫物保存用の肩掛け鞄に入れていく。
「――で、一度は星の船の離着陸場を確認しておきたいのだ。立ち寄ってくれないか」
屈んで草を掻き分けるトアの前に回り込んで、ネコマタは彼に頼む。
「ついてくるのは勝手だが、俺を訳の分からないところへ連れていこうとするな。自分だけで行っとけ」
目も合わさず立ち上がり、彼は気ままに歩を進める。
「俺は別行動をしてトアを見失いたくない。平時は仕掛けが働いていて人が近づけない領域内にあるが、仕掛けを探知して回避可能な俺となら問題なく入れる。だから同行を――」
ネコマタを全く相手にしていなかったトアが、そこで初めて足を止めた。
「……人が、近づけない?」
「そうだ」
「旧文明遺跡か?」
振り向いて尋ねた彼に、ネコマタは頷く。
「機械文明の技術を用いた施設だから、現在の地球での認識はそうなるな。星の船の離着陸時に起こり得る事故を防止するべく、周辺は何もない平らな砂地を保持しておかなければならない。そのためにある人避けの仕掛けは、千年前に星の船が運び込んで展開、稼働させたものだ」
遠方からの旅にてこの地方へ初めて来たトアは、市街地で物資調達の最中に聞いた噂を思い出す。
「砂地にあって、人が近づけない遺跡――。もしかして、ラートリフ砂漠の『天地の楔』?」
ネコマタの二本ある尾の先同士がくっつき、丸を作った。
「その名称、地球の民が同施設を表すものとして記録されている。俺が行きたい施設とトアが知っている遺跡は、どうやら同一らしい。興味が湧いたか?」
相手の反応に手応えを感じたネコマタ。だが結局、つれなく後ろを向かれた。
「手つかずの遺跡に入れるのは魅力だが、お前自体を信用できない」
離れまいと後を追い、ネコマタは彼に聞く。
「どうすれば、俺を信用できる?」
「そうだな……」
トアはくるりと回ってネコマタと相対し、うるさく伸びた髪の両側を耳に引っ掛ける。
「谷に入る前、俺はこの原の何処かに耳飾りの片方を落とした。そいつを日没までに見つけて俺のところへ持ってこられたら、信じてやってもいい。お前が本当に機械のネコで、何か知らんが探知する力があるってんなら見つけられるだろ」
彼の左耳にしかついてない、空の深みより削り出されたような青い玉の飾りを観察し、ネコマタは納得する。
「……なるほど。トアは植物を採集しながら、実はその耳飾りも探していたのだな。生憎、俺が探知できるのは特定の装置が発する波だけで、遺失物を発見する機能は持ち合わせていない」
「それじゃ話にならねえな」
降参と受け止められたのを即座に覆し、ネコマタは挑む決意を示す。
「だが見つけられる可能性はある。探知機能の証明にはならないが、トアが言った条件を達成したならば、どうか良しとして欲しい」
「はあ? 機能がないってんなら、どうやって見つけるつもりだ」
「地道に探す作業なら行える。正直条件とは関係なく、俺はトアがなくした物を、どうにか発見したい」
思わぬ事を言い出され、トアは驚く。
「どうして」
「谷までは、どう歩いてきたのだ?」
何故だか俄然、使命感に溢れたネコマタ。それを前に、意味が分からず気後れするトア。
「え、と……あっちから」
「南東か、分かった。ではその方角から谷までの道筋を、重点的に探すとしよう。谷の口の右手で待っていてくれ」
ネコマタが身を翻すのを見て、トアは戸惑った。そして、あたかも自分が吹っ掛けた無理難題を思い留まらせたいかのように聞いた。
「このだだっ広い草むらで耳飾りみたいなちっせえもん、見つけられると思うのか?」
「目線が低いのと多少鼻が利く分、トアよりも発見できる確率は高いぞ。何より――」
緑の瞳に顧みられ、彼はどきりとする。
「――トアにとって、大事な品なのだろう?」
ネコマタは分け入った草をガサガサと揺らし、遠のいていった。
残されて立ち尽くすトアには、既に結果が分かっていた。ネコマタは決して、耳飾りを見つけてこられないと。
山々を跨いで通った太陽が、いよいよ地平に沈む。その残照に燃える草むらを出て、猫影が力なく帰還する。
トアは、指定された谷の口で待っていた。そして、自分の近くまで来て何か言おうとしたネコマタより先に口を開く。
「……ポンコツ。人を疑うって事を知らねえのか」
ネコマタはぽかんとする。
「どういう事だ?」
「元々ないんだよ。俺の耳飾りは、片方しか」
嘘を明かして憤慨されるのを覚悟していたが、トアの予想に反して、ネコマタは安堵の様子を見せた。
「……なくしたのではなかったのだな。ならば良かった」
トアは苦々しく思った。ネコマタに対して、ではなく、自分自身に対して。ネコマタの態度に棘が一切ないのは、却ってばつが悪かった。
「怒らねえのか」
「トアは俺を待っていた。なくした物がなかったのなら、それを探しに行った俺を待つ理由もなかったはずだろう。今は、その理由を知りたい気持ちが何にも勝っている」
彼がネコマタにありもしない物探しを課したのは、慣れ切った独りに戻りたかったから。できないと返されたなら、やはりお前は信用に値しないと強気で追い払える。できると返されて探しに行ったなら、黙って置き去れば良い。そう算段していたのだ。だが探しに行ったネコマタを、トアは置き去れなかった。
「……信用に条件つけてくる相手を無条件に信用しちまうような、赤ん坊より生存能力の低い奴を野っ原に置き去りにしたんじゃ、寝覚めが悪くなるだろうがよ。あともう一つ、お前に聞きたくてな」
トアは髪を掻き上げ、左の耳飾りを露わにする。
「何でこれが、俺の大事なもんだと思った?」
ネコマタは、その結論に至った分析を披露する。
「トアの髪や、他に身に着けている物が皆一様に汚れているのに対し、耳飾りの青い玉だけは、汚れもくすみもなく艶を保っている。ゆえに格別な意味を持って日頃より手入れされている品と読み取った。違うか?」
トアは汚れてごわついた髪全体をぐしゃぐしゃと掻き、顔が赤らみかけたのをごまかした。
「ポンコツなんだか、有能なんだか……」
「ああしかし、トアの信用を得る機会は失ってしまった」
項垂れるネコマタに、トアはぽつりと告げる。
「……天地の楔、行ってやるから案内しろよ。ネコたま」
びっくりして、ネコマタの鼻先と尾の先が上がる。
「本当か? 俺を信用してくれるのか?」
「疑う事を知らねえ奴は騙す事も知らねえ。そういう意味では信じられる」
「そうか、ありがたい! 俺はネコマタでありネコたまではないが……!」
ネコマタの目も、トアの耳飾りの玉に並ぶ艶を得た。
自分にとってしか価値がないはずの物を大事な物と捉え、真剣に探し出そうとしてくれる者の出現に困惑しつつ、トアは仮の連れ合いがある旅を経て、いずれ閉ざし続けた自らと向き合う。