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13・塞げない穴

 暗い過去は穴を通じて、生きている間中、生きる邪魔をしようとする。一人では、どうにもならない事がある。

 

 

 トアが今宵の宿としているのは、集落の家並みから少し外れ、アメハタキが他より密な林の中に建つ煉瓦小屋。最初はもっと造りが良くて集落の中心部にある建物の部屋を勧められたのだが、トアは人気が多い事を理由にそちらを拒否し、こちらを選択した。

 そうして衆目を嫌って入ったはずの古びた小屋は、しかしトアの望みに反し、秘密裏に監視されていた。十数の、しかも最も忌むべき無頼の輩に。彼等は獲物に気取らせない距離を保って木立に潜み、窓のカーテンに遮蔽された向こう側の気配を窺い続ける。

 遅れて、梢のように細くこけた男がそこに合流した。

「……揃ったか」

「これで全員だ」

 夜陰の仮面で顔が見えない同士、小声で言葉を交わす。

「まだ灯りがついてやがるな」

「寝込んだところをって手筈だが、もうやっちまうか」

 勢い込む者を制し、遅れてきた統率者は確認を取る。

「中に奴が居るのは確実なんだろうな?」

「ああ。出入りできるのはこっから見えるあの扉と窓だけで、入った後の動きはない」

「ネコが一匹、窓から入ってったぐらいか」

 取るに足らないと思われるそれを、尋ねた彼だけが訝しむ。

「ネコだと?」

「どうかしたか?」

「……そいつはもしかしたら、ただのネコじゃないかも知れねえ。いつだ?」

「ちょっと前に、俺達の横を通り過ぎて」

「そうでなくても、俺の尾行に勘づいて警戒したような奴だ。もう俺達が狙ってるのはばれてる前提で行動した方が――」

 言ったそばより、鈍い爆音が轟いた。全員の視線が一斉に小屋へと注がれる。

 彼等の位置からは何の変化も見られない。だが煉瓦の崩落する音で、事態は把握された。

「裏手だ!」

「先に動きやがったか!」

 血気盛んな数名が飛び出し、猛然と駆けていく。彼等に続こうとした残りは、しかし統率者が止めた。

「待て。――お前達は俺の指示通りにしろ」

 先に小屋の裏手へと回り込んだ者達は、ぼっかりと空いて中の灯りを駄々洩らす壁の穴を目にした。煉瓦とその破片は外側に向けて散っており、この穴を生じさせた衝撃が小屋の内側より放たれたのは明白。けれど中には誰の姿もない。

「逃げたな」

「追うぞ!」

 彼等は物々しく、携帯していた刃物や銃、小型の照明を取り出して再び駆ける。

 そうした嵐が林の奥へと吸い込まれていき、戻る静寂。残された小屋も元通り捨て置かれる――かと思いきや、元通りには修復できそうにない破られ方をした壁の穴を潜り、先の統率者がひっそりと入った。

 上に引っ掛けられた、昼の明るさを夜に貸し出す畜陽灯によって明らかとなる容貌。黄褐色で繋ぎ型の作業衣を纒う彼は、フォルトピアニでトアに痛い目を見させられたダクラだった。

 小屋の内部は、水場と寝台とテーブルがあるだけの質素な一間。ダクラは二の腕まで袖を捲り上げている腕を組んで見回し、ここに覚えた『違和感』の元を探る。

 寝台の脇に落ちてへたったシーツ。倒れて中身を零している背負い鞄。放胆な壁の穴。それ等より容易に導き出される、『寝台に居た者が多勢に狙われていると知って跳ね起き、慌てて大事な品だけを持って、窓も扉もなく手薄と思われる側を選んで強引に脱出口を作り、逃走した』――との所見に、彼は納得しない。

 目をつけたのは窓の下。そこの木の床だけ、他と違って傷みや汚れがほぼない。それは長年に渡って上に何かが置かれていたため。範囲から察するにその何かは、今は隅に寄せられている寝台。

 ダクラは自分が立てる靴音の反響にも神経を尖らせ、寝台へと歩み寄る。そして落ちたシーツの皺の一つが、ほんの僅か床に挟まったものである事に気づき、確信する。

 彼がシーツを掴み、引っ剥がしたのが契機。発見された床下貯蔵庫の蓋は途端に下からぶち抜かれて爆ぜ、木っ端微塵になった。衝撃に煽られたダクラは反射的に目を瞑り、身を庇う。

 その瞼を微風が撫でる。再び開けた目は、顔の前で交差した腕越しに翻ったローブの背を捉えた。

「裏だ、逃すな!」

 瓦礫を飛び越え、壁の穴を抜けて逃走を計ったトアは、突如真横から何者かの体当たりを受けて吹っ飛び、倒れ込む。

「……っく」

 すぐさま地を掴んで立ち上がりかけた彼を、待機していた者達が一斉に被さって取り押さえる。

「はなっ……放せえっ!」

「この物騒な銃さえ奪っちまえばこっちのもんだ!」

 煉瓦の壁と床下貯蔵庫の蓋を破壊したオーカイスを取り上げられ、這いつくばらされたトアはもがく。悠々と小屋を出てきたダクラが彼を見下ろし、せせら笑う。

「残念だったなあ。逃げたと見せかけて、しばらくここに隠れて俺達をやり過ごすつもりだったんだろ? で、隠れる床下の蓋を誤魔化すためのシーツが不自然に見えないよう、わざわざその横まで寝台を移動させた――と。ご苦労さん」

「く、そ」

 床下貯蔵庫に入って内側から蓋を閉める際に、あらかじめ被せたシーツを床と蓋との隙間に噛ませてしまう失敗がたとえなかったとしても、行動を起こした直後に小屋を調べに訪れ、そうした些細な形跡も見逃さないような人物が相手であった時点で、トアにとっては大誤算だった。

「狙われてるのを察知して、逃げる経路もまず押さえられてると考えれば、一旦身を隠して打開の機を窺う場所が欲しいよな。それが、『もぬけの殻』を派手に演出したここだ。一度中を見せて誰も居ないと思い込ませた場所なら、改めて捜されにくいもんな?」

 思考の型を完璧になぞられ、トアは歯を軋ませる。

「俺は仕事柄、こうやって逃げ隠れする奴を捜し出して捕まえる事に関しちゃ腕に覚えがあってね。小賢しい真似は通用しない」

 彼の生業は、借金の取り立てや略取、誘拐。非道な経験に培われた勘と、更に『もう一つの根拠』をもって、ダクラは陽動に惑わされず、トアがまだ小屋に居る可能性は低くないと睨んだのである。

 そしてダクラに逃げ口を固めるよう指示され、小屋の正面扉と側面の窓付近にも分かれて待機していた者達が、トアの捕獲場所に集合する。

「お前が必ずこの集落を訪れるのはエンディから聞いた。それで追ってきて集落に探りを入れたところ、少なくともここ半年は余所者の出入りが一切ないとの事だったんでな。先回りできたと踏んで、張り込んでたんだよ。悪いな」

 そう勝ち誇るダクラの後ろ、小屋の壁穴より姿を現したネコマタが叫ぶ。

「トア……!」

「出てくんな!」

 共に床下貯蔵庫に隠れ、何があっても事態が収まるまでそこに居ろと命じていたはずのネコマタに、トアは怒鳴った。にも拘わらず、ネコマタは彼に走り寄る。

「頼む、お前達、トアを解放してくれ!」

 懇願され、場の男達は面食らう。

「ね、ネコが喋った?」

「こいつ、尻尾が二本あるぞ?」

 一人、ただのネコではないと推測していたダクラだけは平静を崩さなかった。

「この声……フォルトピアニで聞こえたおかしな声と同じだな。やっぱり遺物の類いか? こんな滑らかに動いて喋る自律型なんざ初めて見るが」

「まあともかく、対象の捕獲は完了だな」

 仲間の一言で、ダクラは肩の力を抜く。

「やれやれだぜ。これだけの日数と人員を割いて捕まえられなかったら、今度こそ俺の頭は吹っ飛ばされてるところだ……」

 トアには全く解せなかった。

「なん、で、そうまでして」

「なんでって? そりゃあ滅多にない『高価な人形』を確実に捕らえるためさ。何せ、人を信用しようもんなら死ぬ闇商いでのし上がった強欲と猜疑の権化を相手に、一切を欺いて逃げおおせた奴だ。念を入れるに越した事はない。そうだろ? なあ、『ルインドル』」

 もがいていたトアが硬直する。過去の汚泥より掴み出された名を前にして。

 彼の反応に、ダクラは口の端を上げた。

「……やっぱりお前か。四年前に、豪商ベデンの屋敷を脱走した従僕ルインドルってのは」

 かつてそう呼ばれていたトアの、その狡猾で大胆な前歴こそが、一筋縄ではいかないものとして彼の行動をダクラに読ませた『もう一つの根拠』だった。

 トアは、唇をわななかせる。

「……どう、して……」

「切っ掛けは、古物屋の愚痴だ。幼い子供とネコを連れた野朗に騙されたと。お前の事だよな?」

 ダクラは仲間に譲られたランタンを手にトアの前で屈み、色を失った彼の顔を照らして嗜虐的に語る。

「全く、どっから足がつくか分かったもんじゃねえなあ……。お前、古物屋に妙なもんを掴ませる時に『ロドーア』の文官らしき者との交渉を匂わせたろ。あの日前後に、そんな奴がフォルトピアニにも周辺の遺跡発掘場にも居なかったのは確認済みだ。古物屋を騙すために、信用ある目利きの存在を出そうとして真っ先に浮かんだのが、以前住んでたロドーアでよく目にしてた文官だったんじゃねえか? 中央の権力者と繋がりが深い商人の屋敷なら、そういうのも出入りしてるだろうし」

 確かに、古物屋に対してトアが別の交渉相手としてでっち上げた学者の『白地に青の斜線が三本入ったマント』は、世界屈指の大国、ロドーアにおける官吏の装い。比較的有名とはいえ、小国の辺境区フォルトピアニにて、海を隔てた遥か遠いその国に関するものが咄嗟の嘘で出るのは、いささか不自然だった。

「お前に関する件をまとめてうちの上層に報告したら、たまたま、数年前にロドーアのベデン邸で起きた事件を知ってた者が居てな。古物屋の話と、オーカイスの所持、あと誰かに隷属してたとしか思えない言動があったのとで、もしやと繋がったのさ。お前が屋敷に保管されていたオーカイスを奪い、ベデンに大怪我を負わせて逃亡したまんまっていう、件の従僕じゃねえかとな」

 ネコマタは、トアが人との接触を避けていた最大の理由をここに知る。何処まで行こうが何年経とうが、追われる身であったせいだと。小さな不注意でいつこうして素性を暴かれ捕らえられるかも分からず、余儀なくされていた事だと。

「ベデンは今でもお前を忘れられず、ご所望だそうだ。だから、お前には相当な価値がある――。子供でもオーカイスでもなく、それ等の入手を阻んだ目障りなお前が一番の高級品だった訳だ。笑えるな」

 過去の自分の名以上に二度と耳にしたくなかった『べデン』という名が繰り返し上がる度、トアの意識は身体から乖離していく。ダクラが垂れ流す話も、だんだんと遠いものになる。

「お前をベデンのところへ連れていきゃ、うちの団は褒美がたんまり貰えるわ、新たな豪商との繋がりができるわ、俺個人はこないだの失敗を許されるわで良い事ずくめだ。相手方に引き渡すまで丁重に扱ってやるから、大人しくしとけ」

 放心して逃げる気力を喪失したトアは、両脇を抱えられ、吊り上げるようにして立たされる。

「ついでに、コレも土産に持ってくか」

 そう言って、ダクラはネコマタの首根をむんずと掴み、持ち上げた。

「あっ、こらやめろ、下ろせ」

「へへ、高値間違いなしだ」

 焦る声に反応して、自失状態のままトアは顔を上げた。狭窄したその視界を、捕われて身動きを封じられたネコマタが占める。

 ――俺はそんなトアが好きなのだ――。

 そこに含まれる言葉がもたらしてきた悲劇の数々が、脳裏を駆け巡る。

 ――また……まただ、まタ……オレノ、セイデ――。

 湧き上がって内にも外にも向く怒り。衝動が彼を支配する。

「小屋にある小僧の荷物も、誰か運び出せ。他に金になる物が入ってるかも――」

 仲間に指示しているダクラに、トアは牙を剥いた。いきなり理性の制限が外れた力で暴れ出し、拘束していた者達をことごとく振り払って掴み掛かる。

「おっとぉ?」

 ダクラは伸ばされたトアの手をかわし、彼が取り返さんとするネコマタを高く掲げた。男達が再び一斉にトアへ向かう。

「てめえ、ふざけやがって!」

 ダクラから引き剥がして蹴り倒したトアを、彼等は当たり散らすための砂袋と同等に扱う。

「おいっ、やり過ぎるな!」

 慌てて割り入ったダクラは彼等の足元で転がったままぴくりとも動かなくなったトアを見て、溜め息を吐く。

「……あーあ、伸びちまった。価値が下がらねえように、痛めつけるのはほどほどにしろと言ってあったろうが……。まあいい、さっさと連れてくぞ。ファダ、ここまで車を回せ」

「ト、トア……トア!」

 彼を助ける術を持たないネコマタは、ただ闇雲に呼ぶ事しかできなかった。

 

 巻き込むまいとするものごと、彼を吸い寄せる執念深い穴。先に彼の意識だけが、その淵へ引きずり戻される。

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