69:寵愛の祝福
朝。微睡みから意識が浮上していくと、寄りかかった何かに違和感を感じる。
「ん?」
「どけ」
端的に言うクレナ。
「わぁ!?」
目の前にあったクレナの横顔に驚いて体を起こす。
どうやら寝ぼけてクレナに被さってたらしい。
「ああ、ご、ごめん。僕が邪魔で起きれなかった?」
「いいよ。今起きた」
謝る僕へクレナは応えつつ背伸びしていた。
って、誰かに見られてないよね? そう思い馬車の方へ顔を向け──
(良かった。まだ誰も起きてないみたいだ)
そう思ったのも束の間、馬車の中に引っ込む金髪が見えた気がした。
……苦笑いする他ない。
〇
「ぐ、く……っ」
川の浅瀬で兎の皮を剥ぎ血を流していた。
溢れる涙と喰いしばんだ嗚咽を零しながら作業を続ける。
「ごめんね。ごめんね」
もう死んでる兎に言いながら腹を裂く。
内臓をナイフで掻き出していると何かの塊が落ちた。
「こ、子供……」
それは数匹の子供が入った子宮だと分かった。
生々しい肉の塊。もう生を受ける事もできない胎児を見てこれも食えるのかと考えた自分が居た。
その時後ろから足音が聞こえ、急いで二の腕で目元を拭った。
僕は足音の主が一体誰なのか予想できなかった。
だが振り向けなかったのは、もしかしたら期待していたからなのかもしれない。
その足音の主は僕の隣まで来ると同じ様に屈み込んだ。
視界の端に黒いローブが映る。リリスであった。
「非情、なのかなぁ。こんなのも、慣れちゃうのかなぁ」
僕はいっそ吹っ切れてしまい弱い内心を零した。
リリスは一時黙って受け止め。
「人それぞれ線引きと言うのはあります。それは生きる上で当然の事だと、私は思います」
気休めでない、本音を言った様だった。
「それに、こう言っては何ですが……」
と、何か言いにくそうに言葉を止めたリリスを振り返ると。
「アズサも、線引きはしているではないですか。兎の血を見て発作を起こしてましたが、魚のを見ても何もなかったのではないですか?」
リリスもこちらを見て言った。
僕はその言葉にハッと気付かされる思いになった。
「自分じゃ、気付けなかった……」
僕は呆然と呟く。
一瞬魚類と哺乳類じゃ違うと言いかけたが、それこそ線引きであった。
「気に病んで欲しくて言った訳ではありません。それがアズサなんです。その姿を私は受け入れます。そしてそんな私を、アズサも受け入れてくれるのでしょう?」
そう問いかけるリリス。
「うん……」
「それでいいではないですか。生きる為に糧とする。そして私の為に生きてください」
覇気なく答える僕をリリスは包み込む様言った。
「先日、仲間が傷つくと嫌だと言う話をしましたね? ではアズサ。あなたは哀しむ私を横目に、何も犠牲にせず餓死してゆくと言うのですか?」
「そ、そんな事しないよ! 仲間を置いていくなんてしない! それに……お腹空くし」
僕は慌てて否定する。
「ではアズサ。あなたの目の前に牙を剥いた獣が居るとします。アズサはどうしますか? もちろん、アズサが傷付くと私も哀しむものとします」
僕はその問いに息が詰まる思いだった。
「そ、その時は……覚悟を決めるよ」
僕の返事を聞きながらリリスは立ち上がる。
「答えは出ましたか?」
そう問いかけて手を差し出す。
「あなたが覚悟を決めた時は、いつだって誰かを守る時でした。それが時に自分自身であっても、それは私を守る事に繋がります」
リリスは語る。
「例え、それが獣でなくても」
そして遠い日を見る様に言った。
「自分を責めたり、自暴自棄にだってならなくていいんですよ? 本当にダメな時は、私が叱ります。本当にダメになりそうな時は、私が手を差し出します」
リリスはそう言い。
「こうやってね」
最後に微笑んだ。
ほんのちょっと、白い歯を見せて。
「リリス……」
僕は彼女の名を呼び、差し出された手を取った。リリスの手を引き立ち上がる。
しっかりと力を入れたのに、リリスは身じろぎ一つせずに僕を引き上げ、それがまるで僕からリリスへの信頼の形の様で。
僕はこちらを見上げるリリスを見つめて。
「かわいいね」
「は?」
突拍子も無く言った僕にリリスは怪訝に返した。
「ああ、ごめん。つい」
リリスが呆れ返ってしまわぬ前に僕は内心を整理した。
「ありがとう! お陰で吹っ切れたよ!」
僕はリリスへ笑いかける。
リリスも微笑み返してくれた。
「ごめん。ちょっと悩み過ぎだったよね」
「いいえ。それぐらい悩んでくれた方が、いっそ安心します」
少々落ち込んでしまった僕だが、それもリリスは受け入れてくれた。
心情の変化に一段落ついた所で、僕はすべき事がまだ残ってると思った。
〇
拠点へと戻り、皆んなを呼び集めた。
僕の前へと並ぶ面々。僕は皆んなの視線よりずっと下に視線を漂わせた。
「その、最近は僕の様子とかで、いろいろ迷惑とか、心配かけたと思う。一先ずその分で、ごめんなさいと、ありがとう」
僕は両手を前に頭を下げる。
「その上で、だいぶ心が晴れました。もう、大丈夫。命を頂く事も、自分なりに割り切る事ができました。それに、単純に慣れようとも思う。いちいち悩んでも居られないだろうし」
そう今の心情を語った。
「あ、アズサ」
「分かってる。ダメな慣れってのがあるのも」
途中僕の様子を窺った様にリリスが呼ぶ。
「その時は、お願いね」
僕がそう微笑み掛けると、リリスは軽く微笑み返しそれ以上は言って来なかった。
「と、とにかく! ご、ご心配を、おかけしました」
僕は勢いよくそう言い、最後に深々と頭を下げた。
この旅の一つの区切りである様に感じた。
〇
「これが『聖杯』で、これが『祝福』ね。つまりはここで『聖杯の祝福』を賜っている事に少女は気づいたって事ね」
「なるほどー」
馬車に揺られる中、僕は向かいに座るリシアに絵本の内容を教わっていた。
クレナは屋根の上に、リリスとマリンは御者台に居るから今は二人っきりだ。
「祝福を受けるって一体どんな感じなんだろうね?」
勉強もそこそこに、雑談しようと僕はリシアに話を振った。
「以外と普通よ。言われないと気付かないわ」
「へぇ〜。って、それは祝福受けてないと分からないじゃん」
自分の事の様に話すリシアへ僕はつっこんだ。
と、リシアは一時何かを考える様に僕の方を見返すと。
「私はね、『祝福持ち』なのよ。それも魂のね」
そう然も有りなんと語ったそれは中々に不意を突くものだった。
「え? そ、そうなの? それ本当?」
「ふふ。皆んな同じ様な反応するわ」
リシアは面白そうに笑った。
「精神と感情を司る神様の祝福でね。通称は『寵愛の祝福』。名の由来はその特性にあるの」
と、どうやら本当の様でリシアは語り出す。
「〝特定の感情の無償譲与〟。何の感情かは神さまの御心しだいって感じらしいけど、大概は『好き』とかって感情よ。そして、私のも」
な、なるほど。だからこんな我が儘に育っちゃったのか。
本当に神さまからの『祝福』を受けた人っていたんだなぁ。
それもこんな身近に。
「その特徴と、神さまからの『愛』を受けてるって事で、『寵愛の祝福』。それがどんな感情であれ、そう呼ばれているわ。他にも『羨望』とか、『尊敬』の感情を受けるって事例もあったらしいけど。どこまで自由かは私もさすがに知らないわ」
と、そこまで聞いて僕は一つ気になった。
「ねぇ。ちなみにその感情ってのは、悪感情も集める事ができるの?」
それを聞いて、リシアはすぐに思い至った様に反応した。
「マリンの事言ってるんでしょうけど、たぶんそれは違うわよ? そこも調べてるでしょうし、悪感情を集める『寵愛の祝福』の事例は聞かないもの」
その説明に納得する。
「感情は魔力そのものって話聞いた事ない? 正確には、悪感情は〝魔力〟で、好意的な感情は〝神聖力〟って話を。『寵愛の祝福』はね。好意的な感情、つまりは神聖力しか集められないって話なの。まあ、要は都合がいいのよ。『羨望』はされても『嫉妬』はされない、みたいな? 『愛情』を受けても『愛憎』は受けないみたいな感じにね。ただしその人が元々偏愛家なら別でしょうけどね。感情の表し方が元々それならば、そこまで捻じ曲げる事はできないでしょうから。『羨望』も、それ自体に『嫉妬』されちゃ敵わないだろうし」
なるほどね。
祝福も使いようか。
「だから、マリンのは正真正銘の『呪い』よ。きっと」
そして虚空に視線を落としてリシアは言った。
「ちなみにさ。さっきから物言いが確定的でない理由とかって、ある?」
「主の御力を計り知る何て事は不可能だからよ」
う、う〜ん。そうでもなさそうだったけど。
僕は一人知り合いの女神を思い出していた。
「この力のお陰で、私は好き勝手過ごしてこれたわ。お金や食事に困る事もなかったし、どんな男だって振り向かせたし」
と、リシアは表情を変えずに語り出す。
「ただし長くても半年だけね。どんな相手であれ、私は半年経ったら必ず振ったわ。祝福の力で無理やり付き合わせて、それ以上その人の時間を取るのは気が引けるもの」
そう控えめに肩を竦めて言うリシア。
そのまま視線を下にした。
「ケインもね。私なんかに会わなければ、あんな事にならなかったんでしょうけど」
何かを思い出す様にそう語る。
話が分からず内心首を捻っていると。
「ケインには元々婚約者が居たらしくってね。私がそれを奪っちゃった形なのよ」
「え」
今更齎されたその情報に思わず声が零れる。
「もちろん知らなかったんだけどね? それを知ったのは、ケインが私の下に付く様になってから、ずっと後」
黄昏る様な表情で語るリシア。
「婚約者本人から直接文句を言われたわ。私に関わって来たのは、その一回切りだったけど」
その時を思い出す様に言い、リシアは指先で軽く頬を撫でた。
「今思えば、ケインが一番落とすのに時間掛かったわ。たぶん、元々一途な人だったんでしょう」
そう真面目な雰囲気で話すリシア。
「私にその事を言わなかったのは……まあ、家庭の事情ってやつね」
そう含み気に語る。
「ちょ、ちょっと待って。そんな事知った上でずっと一緒に居たの?」
「そうよ。だから夜の相手は断ってきたの。婚約者に申し訳ないもの」
珍しく控え目な考えではあるが。
「その割には頼りっきりじゃなかった?」
「か、勝手に付いて来たのよ! それで、渋々半年間はって思って……。それはもう絶対の決まりだったから。ケインも、その意志は伝わってたみたいだし」
「ふーん」
「本当よ?」
胡乱な目で頷く僕へ釘を刺す。
「でも、最後の最後であんな強行に出るとはね。五ヶ月と二十五日。あと数日って事で、気は引けるけど、私からも何かしらのお返しはしようと思ってたんだけど」
リシアは若干気を落とした様になる。
「ダメねぇ……そんなのもすっかり忘れちゃって。本気で振り切ろうと思えばできた筈なのに、有能だからつい残しちゃって」
そう独り言のように語るリシア。
「こんな私だから、『祝福』の力を借りないと、男の一つも捕まえれられないんでしょね」
リシアは困った様に眉毛を垂らし、自嘲気味に寂しく笑って言っていた。
「『祝福』って、自由に効果を切り替えられたりはしないの?」
何も気の利いた言葉は浮かばず、代わと飛ばしたその問いに、リシアは首を横に振る。
「ずっと、点きっぱなしよ」
「それは……疲れそうだね」
僕はそれについ零した。
「疲れそう?」
「う、うん。ずっと誰かに好きで居られるって、なんだか疲れそうだなって」
意外そうに問い返したリシアへなんの慰めにもなっていない感想を返すと、案の定リシアは不意を突かれた様に表情を崩す。
「ふふっ。罰当たりねぇ」
可笑しそうに笑い、軽く窘める。
それもふっと真剣な物に変えると。
「でも、そうね……。私、疲れてたのかも」
リシアは入口から外を眺め、黄昏れる様に呟いた。




