54:強姦
「遅いわね」
馬車の中、私は窓から覗いた荒野を見て呟いた。
茶褐色の地面が広がり、動く物は見当たらない。
「ケイン! どういう事よ! 全然来ないじゃない!」
私は後ろを振り返って傍に立つケインへ言った。
馬車内は広く、大人が立ち上がって対峙できる程の空間である。
木製の車体と両端に向かい合う長椅子。
後面にある入り口は布で遮り、御者台を覗く小窓はそこに人が居ないのを示していた。
「ちょっとケイン! 聞いてるの!?」
そんな空間にて、私は返事のないケインへ詰める。
と、ケインは入り口を背に無言のまま私を見下ろしていた。
「ケイン?」
いつもの無表情ながらどこか様子の違ったケインへ私は首を傾げた。
「リシア様」
「だから様はいいって言ってるでしょう……。それで? 道間違えたなら素直に言いなさい」
「いいえ、間違えてはおりません。私の思う通りの場所に着きました」
と、問題無いと答えるケイン。
「本日は折り入って、お願いがあります。リシア様のその御身体を、謹厚に愛でる権利を受け賜りたく存じます」
そして丁寧な口調でそう言った。
「何? やりたいっての?」
私はケインを見上げて問う。
肯定の意味の含むだろう視線が無言で返された。
「あなたねぇ。私との伽は最低三ヶ月の献身の上で気入った相手だけって言ってるでしょう? 確かにあなたは今いる給仕相手じゃ一番長いけど、それでもどれくれいだったかしら?」
「五ヶ月です」
「あら? もうそんななるかしら。でもダメねぇ」
私は目の前に居る事を差し置いても巨軀のケインを見回す。
「何か重そうだし、疲れそうだし。って言うか場所が馬車ってどうなのよ。あなたそんな感性の無い人だったっけ? とにかくダメダメのダメね。あなたと身を重ねる要素が無いわ」
私はやれやれと首を横に振る。
「残念です。同意の上が良かったのですが」
と、特に表情を変えることもなく、そう不穏な事を言うケイン。
「な、何よ? 私を襲うつもり?」
「ええ」
平然と頷く。
「は、はぁ? あなた何言っちゃってるの? 私を襲ったとなると大変よ? 街の人皆ーんなに言いふらしてやるんだから!」
私はなるべく大きく見える様、腕を広げる。
それに何の反応もせずただこちらを見下ろしたケイン。
「そもそも! 本当に私を襲う隙があると思ってるの? プルルンも通路もすぐそこよ? いいの? 叫ぶわよ?」
私はそう彼を脅すがケインは私を見下ろしたままに返事をしない。
まるでそんな事関係無いとでも言いたげに。
「な、何なのよ! そもそもここは本当にプルルン付近なの!? あんた最っっ低ね! 騙して拉致するなんて! 陰湿よ!陰湿! やっぱりあんたなんか侍らせとくんじゃなかったわ!」
その私の言い草にケインが表情を崩した。
「小娘が。過程と思ってずっと我慢してれば生意気を!」
そう怒鳴るやゆっくりと手を上げながら踏み出すケイン。
「何よ! 本当の事じゃない! 違うって訳ー!?」
私は下がりながら言い返すも、すぐに奥へと背が付き追い込まれた。
「やめなさい! ケイン! 怒るわよ? ねぇ、ねぇ! やめなさいってば!」
私の両手首を掴んで無理やり倒そうとするケイン。
力で敵う訳もなく、私は右側の長椅子へと倒された。
「もう! 痛いッ!」
お尻を床、背を座版の端に付けた私をケインが跨り、両手を頭上へと持ち上げる。
「やめて! やめてってば! ケイン!」
「静かにしろ」
私はケインにお腹を殴られる。
弱めているのは分かったが、それも悔しくて私はケインを睨んだ。
「もう最悪……! 何であんた何かとやらなきゃいけないのよ! 屈辱よ! 屈辱!」
なるべく邪魔ができる様、私は全身に力を入れながら叫ぶ。
「五ヶ月も尽くしてやったんだ。有り難く思え」
「感情を強制しないで!」
頭上のケインへ言い返しながらも、私は心情と共に疲弊して来ていた。
何でこうなるのよ……
最近は、『祝福』の使い方も上手くなってきたと思ってたのに。
これからもっと、楽しくなると、そう思ってたのに……
その時不意に思い出し、縋る思いでケインの拘束から抜け出した左手で床の木目を目指す。
だがピンっと張った指先虚しく、私の望む所へは届かなかった。
それに気付いたケインはすぐに私の手を再度掴み上げた。
「痛い、痛い! やめて! せっかく傷跡も治ったってのに!」
無理な体勢で掴まれる手首が軋む様で私は痛みに訴える。
「ふん! 傷なんて治りさえすればそれでいいだろう!」
「女の傷跡は心の傷なの!」
ただの気概だけで虚勢も抵抗も保ち、プライドを維持する様にそんな言い合いをしていた時。
「あ、あの〜」
と、そんな、緊迫した場に合わない。間延びした声が届いた。
バッと二人して入り口の方を見る。
「こ、これは……邪魔した方が、いいやつですかね?」
そこに居たのは布から控えめに顔を出す、燃える様に赤い髪と、同じく燃える様に赤い瞳を持った少年だった。
「邪魔して! 全力で邪魔して!」
その後、私が肯定したのはもちろんの事だ。
○
とある荒野にぽつんと立った木のそばに、同じくぽつんとあった馬車の中。
僕は顔を覗かせて押し倒された様子のリシアと、それに跨り押さえ込む大柄な男からの視線を浴びていた。
こっそり近付き覗き込む何てどうかと思ったが。
まぁ、どう考えてもただのお取り込み中って訳でもなさそうだったし。
僕は気は乗らなつつも、布を払って馬車の中へと踏み入った。
「なんだ? ガキ。どうしてここが分かった?」
「え? いや、分かったって言うか……」
リシアから手を離して問うた大柄な男に僕は返事を言い淀んだ。
単純に聞き込みしただけなんだけどな。
リシアが先に行って嫌がらせするって言うもんだから、馬車の停車場に行って聞き込みをしたのだ。
そしたら個人所有の馬車がすぐに割れて、それももう出発したと。
こう言っては何だがリシアは結構目立つ。
それも何故か殆どが好意的な目で。
既に席を取ってしまっていた乗合馬車の業者の人には頭を下げて、何かあったらすぐに僕が対応して出て行き、道の途中でも置いて行って構わないという旨を伝え、予定通り出発したのだ。
取り消しする意見も出たが、僕の居ない所で問題起こされてはそれこそ収拾がつかなそうだ。
一回痛い目合わせるのもありかなと思ったが、とばっちりが来そうで怖い。
主に今後、商会の乗合馬車が使いづらくなるとかだ。
それは困る。
そんな理由でいつ邪魔しに来るものか警戒しながら揺られたのだが、リシアは結局来なかった。
着いた町でも軽く聞き込みをしたが、リシアは着いて居ない様だった。
追い抜いた馬車は無い。
すれ違った馬車は警戒してちゃんと見ている。
なのに前の街では出発した様で、新しい街には着いて居ない。
簡単に言うと、この時嫌な予感がした。
聞き込みでリシアがケイン?と呼んでいた男らしき人と居るのは分かっていた。
別にそれはどうって事ないのだが、プルルンの町は国境付近にある一番端の町だ。
周りの町はどれも遠いし、舗装された一本道以外を通るのは苦労する筈だった。
なのにすれ違いせず、街にも着いてないとなるといろいろ想像はする。
気分屋そうだが、あの時のリシアからは復讐してやると言う意志をすごく感じたし。
まあ、そんな訳で。
地図を確認しながらちょうど人払いできそうな場所まで様子見に来たのだが……
僕は若干涙目で手首を摩るリシアを見た。
「ふん。まあ、いい。このガキ一人黙らせるくらい簡単だ」
と、大柄の男改めケインがリシアを背に僕へと向いた。
「え、えっと。本当は嫌ですけど、喧嘩するって言うなら抵抗します。見過ごせませんし」
僕はケインと対峙する様に立ち、両手を前に構えた。
一応保険と言うか、隠し球もあるので安心して前を向ける。
「な、何なのこの状況……。どっちがボコられてもすっきりはするわね」
と、リシアが感慨深そうに僕らを見て呟いた。
「お前も参加するか?」
「じょ、冗談よ!」
僕が呆れて返すとリシアは慌てて訂正した。
案外平気そうだな。
「ふん。戯れ言はそこまでだ。どうだ、ガキ。お前初めてはまだだろう? そんな顔をしている。俺の後で良ければ、ここはお互い手を取り合わないか?」
「ひっ」
と、ケインがそんな提案をし、リシアが小さく悲鳴を上げる。
「結構です」
「ちょっと! もうちょっと迷いなさいよ!」
さっきの『ひっ』はどこ行った。
何故か憤ったリシアを呆れて見下ろす。
「まあいい。一人でここまで来た事は誉めてやるが、不用心過ぎたな。人一人縛る分のロープなら用意してるのでな」
と、ケインはそう調子を崩さずに言う。
前から計画してたって事か。
遅かれこうはなってた訳だ。
これは事幸いなのかどうか……
顎を引き、拳を軽く握って構え直す。
──僕次第だな……
それを返事と受け取った様子のケイン。
「いいだろう。下馴らしとしておこう」
首を伸ばす様に左右へ倒すと、ケインも僕に応じる様拳を構えた。
合図は要らない。
この狭い空間の中で、一つの喧嘩が始まった。




