52:悩みとは現実逃避である。
「う~ん。実に悩ましい」
とある飲食店の一角にて、僕はそう唸る様零した。
具体的に言うと、連日マリンをクレナに任せてリリスに相談するくらいには悩んでいた。
今回の事で余計分からなくなった。
昨日のマリンは少し気持ちが晴れた様に見えたのだ。
クレナと話して何かしら悩みが解決されたのだろうか……?
いや、もちろん気のせいの可能性もある。
それで言ったらマリンが悩んでると言うのも気のせいという可能性もある。
そんな出口のない考えを、僕は正方形のテーブルに着いて巡らせていた。
「私は考え過ぎだと思いますがね」
と、左手側に座るリリスが応じた。
店内は入ってすぐの右手にバーカウンターがあり、他にもテーブルが並ぶとその数に見合った人で賑わっていた。
そんな店内の奥の方にて、僕は入り口方面に座り、リリスは左手側に座って話を聞いてくれていた。
「人が何にも悩んで無い時期など無いのですから。今のマリンを受け入れてあげては?」
と、大人な意見のリリス。
「そうだね。一先ずそっとしとこうかな。なるべくゆっくり行きながら」
どうせ今日とて馬車の通行止めなのだから。
いつかマリンも心の整理が付いて、話してくれるまでは。
そう思いながら僕は返事して。
「ん、その話で言ったらさ。リリスにも悩みとかってあるの?」
「えっ。私に、ですか……?」
ほんの思い付き程度の気持ちで訊いたつもりだったが、リリスはそれに不意を突かれた様に問い返した。
僕はそれに肯定の意味を込めて視線を返す。
リリスは言葉に詰まった様に視線を受け止め、やがて氷が溶ける様にゆっくり口を開くと。
「あら、そこの殿方。相席よろしくって?」
「え? ああ、どう……ウげっ!」
急に現れたその少女──リシアに気付いて、僕はつい喉を鳴らした。
「だから『げっ』て何よ! 『げっ』って! しかも『ウげっ』って何よ! 進化させてんじゃないわよ!」
僕の反応に気に入らなかった様にリシアは店内にも関わらずそう怒った。
「ほ、他にも空いてる様ですが?」
「ここがいいの! ダメって言うの!?」
リシアは意地になった様に仁王立ちして言いここから動く気配はない。
僕がリリスの方を見ると、彼女は肩を竦めて返した。
「どうぞ」
「ふふん。話が分かるじゃない」
僕が対面の席を手で勧めると、リシアは気を良くした様に座り。
「じゃ、またどこかで」
「え、ちょちょ、ちょっとぉ! なんでもう行こうとするのよ!」
席を立とうとする僕にリシアが慌てて止める。
「冗談です」
「悪い冗談ねっ。まったく」
すぐに腰を落ち着かせる僕にリシアはつんっと澄まし顔で返した。
と、それに合わせたかの様に後ろの方から複数人の男性の笑い声が聞こえてくる。
「頑張れよー! 嬢ちゃん!」
「兄ちゃんもちょっとだけ相手しとってくれー」
な、なんだ?
僕が後ろを振り向くと、バーカウンターに座る三人の中年男性がこちらを見て笑っていた。
「お友達が欲しいらしくて、ずっとこそこそ見よったんよ」
と、入り口側の端の男性が、更に隣の空いている席を指差して言った。
「あ! ちょっと皆んな言わないでよー!」
それにテーブルへと手を突いて文句を言うリシア。
勇気出なくてずっと見てたのか……
「違うから! ぜんぜん違うから! 私が躊躇なんてする訳ないんだから!」
寧ろもうちょっと遠慮してくれ。
「わ、分かったから落ち着いて」
ムキになった様子のリシアへ手を翳して宥める。
リシアはそれに腰を下ろすと騒いでいた三人の方をキッと睨んだ。
「お~、こわ。我々はもうお暇しますか」
「ごめんな嬢ちゃ〜ん」
と、それにそそくさと店を後にする三人。
「わ、分かってるから」
その後も不満そうにこちらを見るリシアへ僕は取り繕う。
やっと落ち着いたか、リシアは表情を戻し。
「それで? なんの話だったのかしら?」
そう然も有りなんと訊いてくる。
き、切り替えが凄いな。
「ふふん。何やらお仲間さんの事でお悩みの様じゃない」
「き、聞いてたんだ」
僕の内心も他所にリシアは楽しげに言っていた。
その楽観思考を少し分けて欲しい。
「それはね、あなた。好きなのよ」
と、リシアはそんな突拍子も無い事を言う。
「何が?」
「あなたが」
問い返すと、リシアは僕の目を真っ直ぐと見て言った。
「マリンを? そりゃまあ、好きだけど」
僕はそれに否定する事なく答えるが。
「違う違う……って、え? 好きなの? 恋愛的な?」
「そう言う意味じゃないけど」
しっぽでも掴まれた様に問い返したリシアも、僕の返事を聞くと威勢を正して。
「いい? 要は気付いてないだけで本当は好きなのよ」
えぇ? そうかなぁ?
「あなたが」
と、言いながら僕に向けた手の平を自身の胸に向け。
「私の事を」
どこからそうなった。
方向転換どころか別の道走ってた気分だ。
「ええ、そうね。それしか考えられないわ、ええ」
呆れた視線には気付かず、リシアはうんうんと頷く。
「あなたも本当はそうなんでしょう?」
と、今度はリリスの方にも視線を向けた。
当のリリスはその視線を受け止め、ただじっと。
ずっとリシアへと瞳を返していた。
急に途絶えた会話と、終わる気配の無い無言に周囲の喧騒だけが響く。
そしてリシアが気まずくなったのか、ちらちらとこちらを見始めた頃。
「リリスです。先日は出過ぎた事を言い、失礼しました」
リリスはやっと口を開くと、固まる寸前だった空気を和らげる様にリシアへ手を差し出した。
「あら、これはご丁寧に。私はリシアよ。よろしく……って、これ前もしたわよね?」
「そうでしたか?」
気前良く握ったリシアが疑問気に問うと、リリスは恍けた様に首を傾げた。
然も純粋な瞳で見返して、確実にリシアの心を抉る。
り、リリス、容赦ないな。
意外と根に持つタイプなのか?
微妙な位置まで上げた頬を固めたまま、リシアがリリスに握られた手を引っ張っている。
「そ、そうかもね。とにかく、こう言うのはゆっくり信頼関係を築いてからで」
「やぁねぇ、考えが子供だわぁ」
程よい鞭撻も渡ったところで話を戻すと、リシアは離してもらった手を軽く摩りながら言った。
「そんなに変わんないだろう?」
「経験の差よ。素直に大人の女性から助言を貰いなさい」
少し言い返すと、リシアは飄々とそう応え。
「じゃあどうするっての?」
「教えてあーげない♪」
言葉でステップでも踏むかの様に言われ、僕は視線を平坦な物に変えた。
「さっきの仕返しよ。ふふんっ」
心底楽しそうに言って鼻を鳴らすリシア。
と、その時注文していた料理が運ばれてくる。
「わー! 美味しそう!」
それに目を輝かせるリシア。
テーブルの中央に置かれた木製の大皿。
それに載るのはジャガイモとインゲンマメのトマト煮だ。トウガラシをお好みで付け、スプーンかフォークで食べる。
とろける程柔らかそうなジャガイモが湯気を立て、トマトの甘酸っぱい香りが共に届いた。
僕はそれを小分けにすべく小皿へと移していく。
「ね?ね? 一口くらいいいわよね?」
と、それに物欲し気に言うリシア。
「ん」
「えへへ。ありがとう」
僕は手に持っていた小皿をリシアへと渡す。
あくまでも僕の分からだ。
「いただきます」
「いただきまーす」
「戴きます」
リリス、僕と取り分けた後、それぞれ手を合わせて食前の挨拶をする。
僕だけ指を伸ばしていたが。
「ま、仲直りしたいなら謝るのが一番よ。手取り早いとも言うわね。実際面倒な事から逃げてると思うし」
と、リシアが長い髪を耳に掛け、ジャガイモを冷ましながら言う。
「今後とも付き合いがあるなら、しっかりと話し合いなさい。それでルールを決めたりすると良いんじゃないかしら?」
そう言うや料理を口に運び、それからは食べるのに夢中になるリシア。
謝る、ね。
別に喧嘩してる訳じゃないんだけどな。
寧ろ喧嘩の方が良かったのかもしれない。
なんと言うか、マリンとは喧嘩をできる様な距離感ではないのだ。
喧嘩とはぶつかり合い。喧嘩をするのは距離感が近いからだ。
その点マリンはなんだか、一定の距離を保ってる感じがする。
もちろん人それぞれ心の距離と言うのはあるのだろうし、マリンのそれも尊重するつもりだ。
仲間とは言え、それはまた別で尊重し合うべき距離感なのだと思う。
だけど、あのどこか他人行儀な所は直してくれないだろうか……?
そんな事を余った大皿のトマト煮を眺めながら思い。
「ん~、これとこれね」
そんな声に視線を上げると、ちょうどリシアがメニュー表を見せながら給仕に注文してる時だった。
「あ! ちょっと!?」
時遅し。僕が咎める頃には注文を終えていた。
「何よ。いいじゃない別に。私今日まだなのよ。あ、そういえば『主よ、なんとかかんとか、以下略!」
うわっ、くっそ適当~。
今の食前の挨拶だよな? この世界の人は信仰深い人が多いと思ってたのに、これくらい適当な人も居るんだな。
ちょっと安心したけど。
「そ、そうじゃなくてさ……お金、あるの?」
「何よ、ケチんぼね。男なら美女にご飯の一つや二つ、奢って見せる甲斐性を見せなさい」
こんこんと言ったリシアに僕は項垂れる思いになった。
そ、そうしたいよ本当は。
ここだってリリスの持ちである。
毎度組合を確認しては僕でもできる様な依頼はないかと探すものの、そんな都合の良い依頼が都合良くある訳もなく、こうやって歳下の女の子に食べさせてもらってるヒモ状態なのだ。
つい先日は片手間にもできる様な荷物運びの依頼をこなしたが、とても僕一人でやったとは言い切れないし、その依頼達成のお金は共有の物としてリリスに預けている。
どうにか仕事に繋ぎたい、なんて思いもあって文字の勉強を進めてはいるが、移動を続ける中慣れない世界で仕事を見つけるのは安易ではなく……
とまあ色々言い訳は並べてみたが、正直そんなの丸っと無視して申し訳ない気持ちでいっぱいである。
生活費の件は話し合って、旅を優先しようって話には落ち着いているのだが。
それに納得して気にしない程図太い神経してないのだ。
「私、お金は持ち歩かない主義なのよ。生まれてこの方、自分のお金で食事した事なんて一度もないわ」
「えぇ!? じゃあ今も無いの!?」
と、リシアの発言に僕は仰天する。
「そう言ってるじゃない」
「それで勝手に頼むだとかありえないんだけど! そう言う所が非常識だって言ってるんだよ!」
当然の事の様に言うリシアに僕は説教した。
「な、何よ! 急に攻撃して来ないでよ!」
「そっちが先に仕掛けてきたんだろう!?」
「仕掛けてないわよ! 私はいつも通りに過ごしただけよ!」
「それがおかしいって言ってるの! この、歩く非常識! 喋る失礼!」
「なっ」
僕の暴言を聞いて言葉が出ない様に口をぱくぱくと開閉するリシア。
「も、もう! このいやしんぼ! そんなに奢るのが嫌だった別にいいわよ!」
そしてリシアはそう怒って言い返すや、テーブルに手を突いて立ち上がり。
「誰かこの私に奢りたい人ー!」
椅子に上がって手を挙げると、店内中に響く声でそう言った。
それに店中の人々が立ち上がり、群がって手を挙げていた。
「はいは〜い。喧嘩しないでね〜」
それを慣れた手つきで眺め回すリシア。
め、めちゃくちゃだ。この人。
僕はその光景を戦慄と共に眺めた。
明らかに慣れてる。
いや、財布持ってない時点でそうなんだろうけど。
リシアは一人飛び抜けた位置からぐるりと囲む男性達を見下ろして、宥める様に笑顔を振りまいていた。
って、ていうかこの人達もどうなんだ。
いくら美人だからってこんな群がるものか?
集まった男性達は皆一心不乱にリシアへと主張し、中にはお金を掲げる者もいる。
これはこれで一種異様な光景だった。
「ご、ごめんね。リリス」
その騒動の真横にて、打つからない様二人で顔を伏せる中僕はリリスに謝った。
それにリリスは微笑み首を横に振る。
「大丈夫ですよ」
そう言うリリスも、さすがに今回は困った様に眉を垂らしていた。
「リリスも、溜め込まずに我儘言っていいからね?」
そんなリリスに僕は気を解す様言った。
リリスは若干弱った瞳をこちらに向けると。
「何か思いついたら、そうします」
そう零した。




