46:地図
重厚な音を響かせて、ドアノッカーを二度叩く。
金色のそれから手を離し、家主が来るのを待った。
数秒の間の後、扉の向こうから足音が近づいて来る。
そして控えめに扉が開くと、少し下の目線に女性がこちらを窺いながら顔を出した。
赤毛がかった髪を後ろで三つ編みにした若い女性である。
「お届け物でーす」
僕はその女性へ笑顔で言い、手に持っていた木箱を差し出した。
小さくて然程重くもない、片手で持てる程度の物だ。
「まぁ、どうも」
女性はそれを聞き扉を一際開けると、警戒心の無い笑顔を向けてきた。
○
僕は背伸びして街を歩きながら、先程の屋敷の様に豪奢だった建物を後にした。
午前の新鮮な活気の中、目の端に街を囲む外壁を置きながら歩む。
隣には側で待ってくれていたリリスとマリンも居る。
ロビアを出発してから約一ヶ月が経った。
この世界に来て約一ヶ月半である。
こちらにも月の概念はある。
偶然か分からないが、こちらでも約三十日だ。
やっぱこれくらいがちょうどいいのかな?
まぁ、それはいいとして。
「悪いね。毎度付き合ってもらって」
「いえ。今後の四人の為にも、必要な事です」
と、軽く応じるリリスとそれにフードの中で頷くマリン。
今のマリンの格好は新調した紺色のマントに包まれ、顔には同色のマスクをしていた。
首元まで密着したマスクで、認識される程強くなる呪いの対策として顔を隠しているのだ。
気休めかもしれないが、マントの方もなるべく清潔にしている。嫌悪感を失くす為にである。
「依頼達成の報告は後にするとして……。私はカードの方が気になります」
「うーん。やっぱどうにかしないとかな〜」
リリスに言われて僕は手元のカードを見た。
僕の身分証たるギルドカード。
これには僕の名前と年齢しか登録されてない。
正直言って、これだけの情報しか登録されてないカードで旅するのは無理がある。
普通はもっと出身地とか、住所とか。できれば保証人的な人が登録されてれば理想的なんだろうけど。
いかんせん僕にはそのどれもこの世界には無い。
外壁がある様な大きな街に入るには多少の審査と言うか、確認があるのだ。
国境付近の町になるにつれその傾向は強くなる。犯罪者等の指名手配者を国内に入れない為、また国外に逃がさない為だ。
今は登録したばかりだと言い訳が通じるし、十五のガキだからどうも無いだろうと見られてるから通れているが。
やはり可能ならすんなり通れるのが理想だ。
ついさっきの入門のだってそうである。
まずマリンが呪いの影響か怪訝気やら険しい視線──中には不機嫌さを隠そうともしない人も居た──を向けられつつも、身分証を見ると案外質問も無くあっさりと通り。
次にリリスの方も見た目が子供だからか怪訝気な目のままギルドカードに目を通し、見間違いを疑う様に見開くと数度の質問をして途端恭しく接して通した後、毎度僕の番で制止が掛かる。
ここまでが恒例化しつつあった。
まあ、あまりに登録された情報が少ないから怪しんでるとかではなく、あくまで事務的なやりとりではあるけれど。
「どうしましょうか。もし国を跨ぐ道を行くなら、さすがに今のままでは入国できないと思いますが」
「だよねぇ」
やはり多少の登録は必要だろうか。
ギルドカードは冒険が本文の冒険者の為に国家間の移動も円滑に行える様連携してるのが利点らしい。
だが組合も組合で人員管理を担う責務として多少の登録や審査が必要と言う訳だ。
「まあ、考えとくよ」
登録するなんて言っても、なんせ元々僕はこの世界の住民じゃない。デタラメで登録するにしてもまだ知識が足りな過ぎる。
僕がこの世界の知識や経験が浅いのはロビアのいざこざで十分学んだ。
一生使うかもしれないギルドカードの登録をするにはまだ早計だろう。
「まぁ、遅くても問題ないですし。いいでしょう」
と、リリスもそう言ってくれる。
「とりあえず組合に向かいましょう」
「うん。そうだね」
てくてくと雛鳥の様に付いてくるマリンを連れて、僕らは組合へと向かった。
〇
この世界にも時計は普通にある。
と言っても、この世界の人は大体町の教会の鐘楼の音で時間を把握するし、基本時間には大らかだ。
お祈りの時間さえ分かればいいくらいに思っている。
時間に関して驚いた事があるが、この世界にも干支がある。
干支、と言うより十二支だが。
十二支とは十二の動物の事である。それにより時間や方角を示す事をこの世界でもやっている。
つまりは二時半頃を丑三つ時とか、北を子とかって表現ができる訳だ。
動物の種類は割と違かったみたいだけど。
まぁ、余談である。
干支は陰陽道と合わさって、占いとかにもよく用いられる媒体だ。
もしかしたら偶然って訳でもないのかも。
案外、こっちの世界が発祥だったりして。
と、そんな事を暇だったので組合の壁に掛けられた振り子時計を見て思っていたら。
「あ」
そうマリンの零した声に僕は振り返る。
マリンの視線を追うと、ちょうどクレナが入って来た頃だった。
「お兄さん」
「いい子にしてたか?」
クレナは見上げるマリンをフードの上から軽く撫でた。
居心地良さそうに目を細めるマリン。
「時間ぴったりだね」
僕もその様子を見てクレナに言う。
「ありがとうな」
「何ともないよー」
恐らく色んな意味を込めているそのお礼に僕は軽く応じた。
「少し肥えたか?」
「え? そうかな?」
ま、この場合は戻ったが正しんだろう。
「それよりご飯にしよ! さっき美味しそうな露店見つけたんだよ! ね?」
笑い掛ける僕にマリンも頷く。
「そうか。じゃあ案内してくれ」
穏やかに微笑むクレナを共らって、僕らは組合を後にした。
〇
青々とした雑草の群がる広場。見渡せる大空には所々白い雲が浮かんでいた。
目の前には露店で買った食べ物が置かれている。麦パンの様な物に野菜と薄く切られたお肉。
そしてそれを中心に僕らは円を作って座る。
「いただきます!」
そして僕はパンッと両手を合わせると一人元気に言った。
次いでさっそくパンを手に取ろうとして、皆んなを見て止める。
三人は両手を祈る様に組んで瞳を閉じていた。
そ、そっか。
今日一番の食事だった。
僕は三人を眺めながら待つ。
「主よ、天の民へと御心を振る様に、どうか我らにもお与えください。糧と共に、この御身を」
クレナが代表して神への祈りを捧げる。
「頂きます」
「「頂きます」」
クレナに合わせて二人も言うと、そっと祈りをやめて目を開ける。
そしてパンを取るのを僕も真似ながらそれを見ていた。
これ未だに慣れないんだよなぁ。
にしても、宗派の違いか。
何とかに入れば何とかに従えって言うし、僕もあっちにした方がいいのかな?
「食べながらで悪いが、この後はどうする?」
と、パンを齧ろうとしたところでクレナに問われる。
「次の街のランタン行き?の便だっけ。遅れてるんでしょ?」
今はとりあえずと北上してる訳だが、何でも北西の山脈辺りから魔物が流れて来て乗合馬車が運行止めになってるらしい。
なので今は足止め食らってる状態なのだ。
そして僕達の目的地である魔王領についてだが、出入り自体は何ら問題無いらしい。
人族とは不干渉を貫いてるとは言え、表立った外交が無いだけで、魔人?魔族?とか言う種族の人達も、普通に国外を闊歩していると。
まあ、特別種族毎に国を隔ててる訳ではないらしいしな。
この世界には人間以外にも知性や文化を持つ生物がいる。
魔人か魔族とやらがその例だ。悪魔や神さまが居る時点で何となくは察してたけど。
他にも獣人?や、妖精さんとかも居るらしい。
そんな色んな種族がごったに暮らす世界故、魔王領もその例には漏れないという訳だ。
まあ、氷の時代は400年も前なので、さすがに魔王の恐怖も風化してるのかも。
だから意外とそんな怖い場所ではないのかもしれない。
ただ道中が危険だ。
「ああ、だがちょうどいい。そろそろ位置を確認しておこうと思ってたところだ。お浚いも兼ねてな」
言いながらクレナは地図を取り出すと、それを中央に広げた。
たぶん地図に疎い僕に配慮して、南をこちらへ向けて。
その地図に載ってある大陸は大まかに見るなら横に倒した長方形であった。真ん中が吊り上がって湾曲している。
もちろんそんな角々しいものでもないが。
「まず俺達が居るのがここだ。この街はこれだな」
と、言いながらクレナは大陸の南東にある菱形の国を指さした。
南に海の面する国で、更に北西の国境寄りにある粒の様な印をクレナは指差す。
遂に国の端辺りまで来た訳だ。あと2、3の街を経由する間に、僕もギルドカードの登録をしなくちゃだろう。
「魔王領は北の端の小さな部分だ。この少し南から大陸中央に向かって大陸を分断する様に山脈が連なっている。これを境目に国々の国境となってるんだ。だからこの山脈を迂回しなきゃならない」
そう言ってクレナが指差したのは大陸のど真ん中にある山脈だった。
「まだどの道を通るかは決めて無いんだろう? ギルドカードをまともに登録してないとか」
「う、うん」
「一応最も安全な経路となると、東に進んで隣国の神聖ミリオス法国に入国、そのまま北へ進んで魔王領といった道だろうな」
クレナは地図上で山脈を避ける様に弧を描いて言った。
「ただギルドカードをもう少しまともに登録しなきゃいけない。今のままでも誤魔化せそうではあるけどな」
そう付け加える。
「次は逆に西に進む経路だ。実は山脈が二股になっていて片方がこちらへと流れてる。だからここら辺は街もあまりないし、北部の国境も曖昧だから隣国のエルドラド帝国を過ぎて、大陸北西にあるアルテミス連邦国へとこっそり行ける。闇商人がよく使う道だ。国も黙認してる」
すぐお隣の帝国とやらの北部を指差して、そのまま山脈の西側をなぞるクレナ。
地図を見る限りじゃこの大陸には魔王領も含めて五つの国があるらしい。
そしてその全てに中央の山脈が面していた。
「そのまま山脈付近を沿って北上すれば、物資も補給できて魔王領に付くだろう」
山脈の始まりの更に北に位置する魔王領と、大陸北西にある連邦国のその北東に位置する国境を指差す。
地図で見れば海と山脈の間であった。
「ただ、やはり多少の危険は伴う。魔物も出るし、商人を狙った盗賊も出るって話だ。いや、それ以前に」
と、クレナは地図から顔を上げ。
「自分の馬車を持ってる前提の話だな。便を使うなら結局入国には身分証明が要るだろうし、この経路にする利点はあまり無い」
こちらを見て話の区切りを示す。
「えっと、て事はこっちの東から行く?」
「まあ、そうなるな」
と、クレナは一度頷き。
「ただ、一応言うならもう一つある」
また地図へと視線を下げて、クレナは大陸のど真ん中を指差した。
「この山脈を通るんだ」
「え、えぇ? そんな便出てるの?」
クレナは首を横に振る。
「だからこれも、俺たちの馬車があればな。だが間違いなくこれが一番早い」
確かに早そうではある。
「で、でもさ」
「ああ」
言い淀んだ僕に、クレナが頷く。
「一番危険でもある」
代わりに言ったクレナ。
僕はそれに腕を組むと。
「う、う〜ん。ないかなぁ」
そう難色示す。
死んじゃったら元も子もないし。
「どう思う?」
僕は左手のリリスへ意見を求めた。
「半々です。時間短縮の面ではこれ以上ないですし、先駆者による道を辿れば一月程で山は越すかと」
そうリリスは私見を話す。
「ただ本当に問題なのは備蓄です。さすがにそれ程長期間の遠征は経験がないので、下手な事言えませんが……。生きる力が試されるでしょう」
と、リリスは述べた。
要はサバイバルになるかもしれないって事か。
こちらの道は中々厳しそうだ。
「まあ、これも馬車があればの話です。徒歩でも行けなくはないでしょうが……」
皆で地図を見下ろして、暫し会話が途絶えた。
恐らく、各自で考えを巡らせて。
「な、なんだか私の為にやってもらってるみたいで」
「しーっ」
その時控えめに声を上げたマリンへ、僕は口元へ人差し指を立てて向いた。
「すみません、なんて言わないでよ? こういう時は『ありがとう』だよ」
僕は右手のマリンへ優しく言う。
「今は皆んな同じ目標を持ってるんだ。たまたまマリンが助かる順番だっただけだよ? だからマリンも、一緒に考えよう。何か意見はある?」
そして僕は彼女へ問うた。
マリンの左目が、更に下を向いた。
俯いて、誰とも目を合わさずに。悲しげに。そして。
「や、やっぱり、行くべきでしょうか? わざわざ」
されど皆に聞こえるように、マリンはその言葉を零した。




