37:激情が灯る
「ひっ!」
「逃げるな!」
思わず後ずさった僕にグレンが叫ぶ。
「襲われるぞ。そしたら人の味を覚える。仮にお前が逃げ切れても、その頃には街中だろう。住民に被害が及ぶぞ」
説明するグレンだが返事する余裕が無い。
「シスターもだ! 囮希望じゃないなら動くなよ?」
「は、はい!」
投やる様にシスターにも忠告するグレンだが、それも今はどうでもいい。
ゆっくりとこちらを警戒しながら体を出す狼。
その距離10メートルと言った所だろう。
今すぐ逃げ出したいのを堪え、その姿を見る。
目の前に肉食獣がいる。
やろうと思えば肉を断ち、骨をも砕くだろう鋭利な牙と強靭な顎。
普通に考えて不味い状況だ。
僕にとって肉食獣といえば檻の向こうに居た存在だ。
それが障害も無くこんな近くに。
それに大きい。
全長は1メートルを超える。
元いた世界の狼よりきっと大きい。
僕は恐怖で動けない分思考が回っていた。
本能が、理性が、ここに居るのを拒否している。
と、狼がこちらに向かってくる!
緊張で足が竦み、狼が近付いているのは分かっているのに上手く動けない。
それでも狼はその大きな牙を剥き出しにし。
「危ねぇ!」
グレンによる遠慮の無い体当たりで狼の襲来を回避する。
情け無さと負い目に無気力になる。
──お前は、もう少し喧嘩しろ……
ふと先日グレンに言われた言葉を思い出した。
グレン。この世界で生きてきた、君が言うのなら一考の余地もあるのだろう。
狼がこちらに向き、倒れた僕らと距離を保つ。
なら、少しくらい。参考に。
僕は手元の剣を見下ろした。
先ほど勢いのまま腰に差していた剣を。
僕はそれを掴み、必要以上に握り締めた。
そして遂にこちらへと襲い掛かる狼。
僕は鈍い音を響かせて剣を引き抜き、両手で持って剣先を狼へと向けた。
「うわああぁぁぁーー!!」
叫ぶのだ。
何かを誤魔化す様に。
無意識下での誘導される様な剣筋に、心渦巻く激情を乗せて。
途端、沸騰する様湧き上がったその感情は、僕の中での恐怖や道理、全ての感情を一時上回った。
一瞬の内が何秒もの時の様に感じる中、剣先は流れる様に狼の胸へと突き刺さった。
思い出した様に感じるその重み。
肉を断つ生々しい音。
その一突きで狼は絶命した。
こちらへ力無く身を預ける死体を横へずらし、剣から垂れた血が手を汚す。
──ごめんなさいね。ありがとう……
「え?」
その時、どこからか声が聞こえた。
まるでこちらを魅了する様な美しい女性の声音に、僕は周囲を見渡した。
半壊した建物の群れが見えるだけで、人は側に居るグレンとシスターだけだ。
空耳?
まあ、気のせいか。
そう納得した時。ふっと、自分でも気づかなかった内心の激情が収まるのを感じる。
轟々と激しく燃えていた様な炎が、段々と弱まる様に。最後、蝋燭の灯りを消す様に、ふっと。
「大丈夫か?」
と、謎の喪失感を覚えて呆然としていた所、グレンに呼ばれて我に返る。
「ああ」
彼の伸ばしていた手を取って立ち上がった。
次いで狼の胸に刺さった剣を力任せに引き抜く。
「心臓を一突きか……。案外慣れてるのか?」
血が流れ出る狼。
それを見て何となしに呟いたグレンの方を見る。
「すまん」
咄嗟に彼は謝った。
僕は適当に血を払うと剣を鞘に収める。
そして横たわる狼へと手を合わせた。
「あ、あの」
と、それも終えた所でシスターがおずおずと声を掛ける。
「ありがとうございました」
振り返ると深々と僕らに頭を下げるシスター。
「さっさと逃げちまいな。組合の方向なら安全だろう」
「は、はい」
と、グレンの言葉に最後深々と頭を下げ、シスターは去って行った。
僕達はその後も他に魔物か人が居ないか見回る。
「案外居ないみたいだな」
と、グレンの言う通り、被害の割に逃げ遅れた人や二次災害はあまり無さそうだった。
「よし、次いくか」
そう言うやグレンは剣を収める。代わりに地図と小型の羅針盤を取り出し、それに耽っていた。
手持ち無沙汰の僕はその場に立ったまま居た。
も、もう帰った方がいいかな? 僕。
冷静になって、そんな考えが過る。
さっきのはさすがに偶然だ。
このまま居ても、足手纏いにしかならなそうだし。
戦う理由も特に無い。
目の前の人を見捨てる程非情ではないが、献身する程正義感もない。
それにグレンの言う通りそういう我儘を通せるのは強い人だけだ。
リリスも待ってくれてる。もう帰ってしまおうか。
僕はそんな逡巡を辿った末。
「って、まだ僕を街から出そうとする理由聞いてないじゃん!」
その事を思い出し、思うまま口に出した。
「チッ、魔力で乱れてんな……。あ? なんか言ったか?」
「ぼ、僕を街から出そうとする理由だよ! それが聞きたくて追いかけて来たんだ」
「あぁ? そういえば、そんな事言ってたか」
と、グレンは言いつつ羅針盤と地図を仕舞う。
歩き出した彼に僕は付いて行く。
「さっき言った通りだよ。地図の形が魔法陣になってるって」
「そ、それがどうしたってのさ!」
「あれ? 言ってなかったか?」
と、グレンはこちらを振り返り。
「俺とお前が人探しと称して回った場所が、その陣の要点、延いては魔物の出現地点になってんだよ」
そう然も有りなんと言った。
「え? え? 何それ聞いてない!」
「悪りぃ。今言った」
悪びれる様子も無く応えるグレン。
だが僕はそれどころじゃない。
「ま、待って。って事は、クレナも危ないんじゃない!?」
「あの少年か。まあ、そうかもな」
ど、どうしよう。
僕らが街を回ったのは元々クレナの依頼の跡を追ったからだ。
これが偶然でないと言うのなら、クレナだって何かに巻き込まれてる可能性があると言う事だ。
でも、彼を助けるなんて大層な事、僕にはできない。
僕は願望と無力感の差に悔しさを感じる。
今更だが大人しくグレンの言う通りに四人で街を出てけばよかった。
そんな後悔も然る事乍ら、今はそれをどうにかしないといけない。
「つ、伝えないと。それで、クレナと一緒に街を出ないと」
僕は気持ちを整理する為にも、次の目標を呟いた。
「それが妥当だろうな」
それに応じるグレン。
段々と動かす足が速くなる。
どうやら付き合ってくれるのだろう。
クレナは自分の命が狙われてると言っていた。
それが何故なのかは分からない。
だが確かにこの街はどこかおかしい。
クレナが何と言おうが、さっさと急かして出て行ってしまおう。
もしも、最悪ってのが起きてしまったら……
僕はその想像を払う様に頭を振る。
不当に命が失われるなんて、あってはならない!
それも人の手でなんて!
それに、もしクレナの身に何かあったらマリンが悲しむ。
それは許せない。
〇
放送を聞き、僕らが次の魔物出現場所へと向かった先は既に建物が半壊されていた。
元々広場の様な場所にあったのか、道を抜けると視界が広がった。
教会もそうだがここも来た事があるのだろう。
何となく見覚えのある道を見て思った。
上空には大きな鷲の様な獣が鋭い眼孔を向けながら滑空していた。
鳥獣は計四羽居る様だ。
「あ、あれ? クレナは?」
「別のとこ行ったんだろ」
周囲にクレナは見当たらなかった。
「さぁ、行くぞ」
と、グレンが駆け、僕もそれに続く。
僕らより先に救援に来ていた人が居た様で、服装から見て同じ冒険者であった。
茶髪の青年が三人、上空の鳥獣に対して剣を振り回していた。
って、あの人達!
「あっ! ってんめぇ〜、この前はよくもやってくれたな!?」
ピアスの青年がこちらに気付くと早速突っかかって来た。
その青年達は先日グレンに喧嘩を売って返り討ちにされた人達だったのだ。




