32:マジ無理ぃ
「ひっ!」
それを見てマリンは悲鳴を上げると小さく飛び跳ねた。
だが無理もない。
なんなら僕がそうならなかっただけマシである。
辺りには茂みに隠れてこちらを狼数匹がぐるりと一周し、一定の距離を保ってこちらを伺っていた。
僕は定める視線も見つからない中、ただ狼狽に忙しかった。
まだ人の言葉を話してた悪魔とも違って、自然に対する脅威を感じる。
「ど、ど、どうするの!?」
「逃げたいが……多いな」
無駄に騒ぐばかりの僕と違って、クレナは冷静に狼を注視した。
四人で集まって背を向け合う。
その時、一匹の狼が茂みから飛び出し向かって来た。
すかさずクレナが前に出て、剣を構えて牽制する。
と、それを皮切りに次々と距離を詰めてくる狼達。
「きゃっ!」
その一匹がマリンの方へ向かい、リリスがそれを庇って押し倒した。
そしてリリスは狼へ手を翳し、意味の読めない単語を呟くと蛇の様に畝る炎を浴びせた。
顔から体まで体毛に着火し、熱さに悲鳴を上げる狼。
また別の狼が襲い掛かる。
その先のクレナはすぐにそれに気付くと、軽い足捌きでそれを避けた。
「くっ、守りながらでは捌き切れない」
だが絶えず向かってくる狼に余裕は無さそうだ。
ま、不味いんじゃないのか?
狼の数は優に十は超える。これが押されてる状況なのは素人目でも分かる。
リリスも悪魔襲撃の時に力を使い切って、いっ時全力は出せないと言っていた。
軽い炎を出して牽制してるが、これもいつまで保つのか。
「アズサ、マリンをお願いします」
リリスから背中越しに頼まれる。
僕はマリンの側へ行くと、座ったまま腰が引けてる様子のマリンを立たせた。
と、リリスとクレナの目を掻い潜った狼がこちらへ向かってくる。
「きゃっ!」
「ゔっ」
思わず二人共々絡まって転倒した。
と、そんな僕らへ狼は飛ぶ様に襲い掛かり。
「うぶっ!」
「うぎゃっ!」
途端、襟首を掴まれ後ろへ引きずられる。
同時に狼の顔面へ叩く様に剣を薙ぎるクレナ。
狼はそのまま逃げる様茂みへと向かった。
「さすがに庇いきれません」
と、僕らを引っ張ったリリスが、手を振るって炎を出すと群がった狼を散らした。
もう手一杯の筈だ。
し、しっかりしないと!
マリンと立ち上がらせ、手を腰に収めた剣へと翳す。
だが引き抜く覚悟はできていなかった。
僕が今更に逡巡していると、一匹の狼がこちらへ向かって来た。
「ま、待って!」
獣は待ってはくれない。
情けなく静止を頼んでも呆気なく、それが当然の如く狼が馬乗りになる。
僕は牙を剥きだしに頭上から見下ろす狼を見上げ、混乱と茫然と恐怖に染められる中この狼に格下だと思われてるのを思考の隅で察した。
と、リリスの炎が狼に被さり、その狼は逃げて行った。
僕は何度も九死に一生を与えてくれたリリスを半泣きで見上げる。
かと言ってお礼を言う暇も余裕も無く、慌てて立ち上がる。
「ぐぅ、痛いぃ!」
「ま、マリン!」
と、マリンの悲鳴に顔を向けると、マリンは既に転がり狼に跨がれていた。
僕は一瞬の躊躇の後、マリンの元へ行くと狼を掴んだ。
幸いすぐに退いて距離を置く狼。
「ひぃぅ」
マリンの手の甲からははっきりと引っ掻かれた跡があり、血が垂れていた。
さっき狼に踏まれていた様だ。
守らないと。
次はこんな上手くいかない。
今のだって噛まれてたかもしれない。
リリスやクレナだって手が回らないかもしれない。
そうだ。
今ここにいるのは僕だけじゃないんだ。
僕は腰に下げていた剣の柄を掴んで一思いに抜いた。
久しく自身の刀身を見て、更に息が荒くなると同時、荒かったのだと自覚する。
当然の様に剣が震える。
と、こちらを伺っている様子の狼と目が合う。
「うわああああぁぁぁぁっーー!」
狼が向かってくると同時に裏返った声を上げて駆けた。
振り上げた剣を突き立て、狼の顔目掛けて振り下ろす。
刺突。
頭は固くて、そのまま傷を作りながら胴へと刺さる。
固いのに弾力のある皮膚と肉の感触が生々しくて、その重みが手だけでなく、肩から胴、更に足の先まで伝わり土を踏みしだいた。
全く浅い。
剣先が刺さり、血も滴る傷を浅いと感じる狂気。
足を踏ん張り、腰に力を入れて剣を引き抜いた。
「ああああああぁ!」
引き抜いた反動で半身と刀身が反転し、そのまま弧を描く様振り上げる。
刀身と声は裏返したままに、叩き割る様にして剣を振り下ろす。
狼の目の上の、頭蓋を囲った薄い肉と皮膚に剣が刺さる振動を手の平で感じた。
「ああああぁ! あああぁ!」
振り下ろした以上の力を使って剣を引き抜き、血飛沫を撒きながら叩き下ろす。
その都度頭蓋の硬さが伝わって、狼の悲鳴を誤魔化す様に僕も叫んだ。
ずっと顔を狙って。たまにズレて胴に当たると引き抜くのが大変だった。
いつの間にか狼は動かなくなっていた。
目も潰れて、顔の形も変わっていた。
生きてはいる様で、足が少し動いて肋も上下していた。
僕は剣を振るのをやめた後、膝を震るわせた。
立ってるのもやっとで、震える剣を杖代わりにする。
荒い息。
震える瞳。
上下する肩。
僕は、横たわった狼から目が離せずに。
「こっちだ! 犬ども!」
その時、よく響く青年の声が聞こえ、ハッと意識が戻った。
声の聞こえた方へ引っ張られる様に振り向く。
僕らを囲う狼の向こう。
木々や茂みに隠れもせず堂々と仁王立ちするグレンが居た。
「あ、アズサ君!」
と、その脇には小さくなって隠れる様にしている、鈍色の髪をした少女も居た。
その娘は何故か僕の名前を知ってる様で目が合うと呼んできた。
「おらぁ! くっせぇの喰らえ!」
と、グレンは暴言を吐きながら何かを狼へと投げた。
白い尾を引くそれが打つかるや、たちどころに白い煙りが広がっていく。
それを満遍なく広がる様、グレンは幾つも狼へと投げつけた。
すると狼達はその煙りから逃れる様に四方へと駆け出した。
「おら、退け! ちょうど犬関連でイライラしてたとこなんだよ!」
「あわわわわ! すっごい怪我!」
と、クレナは狼相手にも横暴に突き進み、少女はマリンの手を見るやその元へと寄った。
「できるか分からないけど」
少女はマリンの手を取ると自身の手を翳し。
「ひ、『ヒール』! あっはー、やっぱ無理っすよねー」
恐らくは治癒をしようとして失敗した。
だがダメ元だった様で適当に苦笑するとそれ以上は触れなかった。
「ほら、今のうちに逃げるぞ!」
と、グレンに言われてやっとすべき事を思い出した。
僕らは一度顔を見合わせ、その場から逃げ去った。
◯
森の入り口辺りの平原。
そこで僕らは膝に手を突いて荒い息をしていた。
「すまない。助かったよ」
「おうよ!」
まだ余裕のありそうなクレナがグレンへお礼を言った。
「さっき使ったのは魔狼避けの煙玉か? 馬鹿にならない値段だろうに」
「まあ、いいって事よ」
「いや、是非を礼をさせてくれ」
「ははっ。じゃあ貸し一つってことで」
と、そんなやり取りをするクレナとグレン。
「大丈夫?」
その脇では少女がマリンの手へと包帯を巻いていた。
涙目ながらこくりと頷くマリン。
「強いんだね」
そんな姿を少女は慈愛に満ちた表情で眺めた。
「おいお〜い。お前、まさかもうへばってんのかぁ? そんなんじゃ仔犬の名も勿体ねぇぜ」
と、グレンが茶化す様に僕へ近付いてくる。
だが、そんなもの今の僕には聴こえてないも同然だった。
波打つ鼓動。
静まらない呼吸。
止まらない汗。
合わない焦点に瞳を震えさせて僕は虚空すら見ずに。
「アズサ?」
怪訝気なグレンが立ち止まって名を呼んだのも、気付いているかも自覚できずに。
もっと、震える。
足が。鼓動が。瞳孔が。柄を離す事も忘れて力んだ手も、剣と共に。
息が荒い。僕は太鼓の様に波打つ煩い鼓動を自覚し、過呼吸の如く肺を動かしていた。
途端、二の腕を誰かに触れられ、僕は咄嗟に剣を落とすと跳ねる様に身を引いた。
雑草の潰れる音と軽い金属音が響いた。
後ろにはこちらを見上げる黒髪の少女が居た。
「り、リリ」
名前を呼びきる前に、その少女は僕へと抱き着いた。
「なっ!?」
遠くで少女が声を上げたが、気に止めない。
リリスは僕が対応する間も、反応する間も与えず、腕を回す。
「大丈夫ですよ。大丈夫、大丈夫」
そして優しい声音で囁き、僕の頭をゆっくり撫でる。
「うっ、ぐ。うぁ」
僕は張り詰めていた物を全て溶かす様に涙を流した。
声を上擦らせてその場で崩れる。
僕もリリスの腰に腕を回し、体に抱き着いた。
涙に濡れるのも忘れて。今だけは。
「大丈夫、大丈夫」
リリスは立ったまま、膝立ちになった僕を上から撫でる。
僕は段々と咽び泣きから声を荒げて、赤子の様に泣きじゃくった。
ちょうどお腹辺りに顔を埋くめて、リリスの抱擁を感じながら止め処なく涙を流した。
それをリリスは受け止めて、優しく撫で続けていた。
僕は誰にも邪魔される事なく、いっ時の間嗚咽と涙をその場で流し続けていた。
◯
「死にたい」
夜。軽い洗身も終わってから宿屋のベットにて、僕は天井を見上げて思った。
というか、口に出ていた。
「死にたい、死にたい、死にたい! あーもー、無理いぃぃーー!」
ジタバタと四肢を動かし、僕は叫んで羞恥を誤魔化す。
隣ではリリスがベットに腰掛けてこちらを見下ろしていた。
「そんなに気にする様な事ではないと思いますよ? 冒険者稼業は時に死と関わる事もあるので、精神を病んでしまう方は大勢いますから」
「そこじゃないよぉ!」
僕はがばりと上体を起こしてリリスに抗議する。
いやまあ、そんな事と切って捨ててしまう事はできないが。
今日殺めてしまった狼とその家族には顔向けなんてできないが。
気にしてる部分が違うのだから今ぐらいは置いておく。
僕が本当に気にしてるのは。
「み、見られたんだよ!? 泣いてるとこ! あーもー、あんなとこ見られたら一生前向いて歩けないぃぃ!」
そう。僕が気にしてるのは昼間のあの泣きじゃくりだ。
僕はベットにうつ伏せになるとバタバタと足を動かした。
もうずっとベットから動きたくない。
「誰も馬鹿にした様子は無かったと思いますよ? 寧ろ哀れんでる様な、そんな目です」
「余計悪いよ! ……ま、待って。もしかして、グレンまでそんな目で?」
僕ははたと気づいてリリスの碧眼を覗いた。
リリスは普段、言葉を濁したり、誤魔化したりしないはっきりとした子だ。
どんな時も素直に話してくれる。そんなリリスが。
リリスが、目を逸らした。
ぅ〜ッ!
「もう寝る!」
僕は布団を翻して蹲る。
顔を隠して真っ暗な視界の中、殻に閉じ籠る様丸まった。
「明日、病院へ行ってみますか? この国では一定の規模の組合を構える街には精神科の設置が義務付けられてるので、この街にもあります。隣町に行けば、精神病棟だって」
「そうゆう問題じゃないの〜!」
布団の向こうからの声に蹲ったまま応じる。
って、何やってんだろ。僕。
リリスは気を使って言ってくれてるだけなのに、こんな当たってしまって。
バカみたいだ。
いや、バカなのかも。
謝ろう。
と、頭に何かが当たる感触。
「り、リリスぅ」
見るとリリスが慰める様な優しい瞳で見つめて、僕の頭を撫でていた。
「私はね、アズサ。アズサの泣きたい時に泣けるとこ、結構好きですよ?」
と、恥ずかし気も無く、そんな告白をするリリス。
「あ、ありがと」
僕はどうしていいか分からず、一先ずお礼だけ言った。
と、僕を撫でていた手もすぐに戻される。
「あ」
思わず声を零した僕。
戻された手をつい目で追っていた。
「ん?」
リリスはそんな僕に首を傾げる。
「お、おやすみ!」
今更気恥ずかしさが込み上げ、僕はまた布団に籠った。
「お休みなさい」
布団の向こうからリリスの返事が聴こえる。
いづれかリリスがランプの灯りを消し、布団の狭間から漏れていた光も無くなった。
その残像を暗闇で見つめながら、ほんの少し後悔して思っていた。
……やっぱ、もう少し撫でてって言えば良かった。




